♰Chapter 38:待宵の月と迷宮洋館
諸々の用事を終えるとオレを含む四人で明日の簡単な打ち合わせを行った。
午前七時に凪ヶ丘高校の最寄り駅に集合ということで話はまとまった。
オレと水瀬、琴坂はブライトランドで何が起きるかを知っている。
一方で姫咲と神宮寺には遊ぶことの他には何も話していない。
二人には恨まれる可能性もあるが恨みの一つ二つで大魚が釣れるなら安いものだ。
明日に備えて全員が眠りにつくなか、オレは洋館バルコニーの椅子で転寝をしていた。
深海に沈むような感覚を感じつつ意識が手放されていく。
どれくらいそうしていただろう。
不意に目を覚ますと、姫咲がオレの隣りに座っていた。
行儀よくちょこんと体育座り、とでもいうのだろうか。
これだけ至近距離に人が寄っても目が覚めなかったのは迂闊だ。
睡眠に意識が囚われていたとはいえ頭の痛くなる思いだ。
「……姫咲?」
両膝に埋めるように伏せていた顔が持ち上がる。
桃色の瞳が庭園の常夜灯と月明かりに照らされて、薄く光を帯びているようにも見える。
――深紅ではない。
すなわち吸血衝動に駆られているわけでもなく、興奮状態にあるわけでもない。
冷静な思考でオレの隣りにいるのだ。
「おにーさん」
「どうして、お前がオレの部屋のバルコニーに? お前の部屋は反対側だろう?」
「この洋館って生き物みたいだよね……。明日が楽しみって思ったら寝付けなくなっちゃって。ここの敷地内から出なければ夜の散歩もいいかなって歩いてたら、気付けばおにーさんの部屋にいたんだ。ベッドにいないから空き部屋かなって最初は思ったんだけどここが開いてたから」
「水瀬の言っていたことは本当だったのか……」
以前水瀬との雑談で深夜の洋館は迷宮化することを教えられていた。
単なる揶揄いでそう言ったのだと思っていたが事実らしい。
「おにーさん?」
「ああ、いや何でもない。それでオレが転寝してたってわけだな」
「うん、そういうこと」
水瀬の洋館は水瀬の活動している時間帯には迷宮化しない。
一方で水瀬が非活動時間帯になると代わりに洋館内の空間が歪むという。
一階が二階に、存在した――あるいは存在しない階段がなくなったりあったり。
ある程度の法則はあるので、オレや水瀬、他の守護者なら難なく突破できるが、姫咲にはそれを知る術がなかった。
ある意味で被害者なのだ。
「しっかり伝えてなかったのはこちらの落ち度だな。すまない」
「ううん、いいんだ。わたしが勝手に動いただけだし、おにーさんは何も悪くないよ。ただ……ほんの少し怖かったのはほんと」
見れば指先がわずかに震えているように見える。
見ず知らずの他人と生活をすること。
守るとは言いつつも実際は軽度の軟禁状態であること。
”屍者”に狙われているとはいえ、オレが彼女の立場で考えるなら心細くなるだろう。
まして姫咲は吸血鬼と人のハーフだ。
あくまでも推測することしかできないため、彼女の苦痛を本当の意味で理解してやることはできない。
「ねえおにーさんの手、握ってもいい?」
本来なら躊躇なく断るところだ。
だが今の彼女は不安を感じており、近い未来の彼女は”屍者”をおびき寄せる釣り餌として使われ、さらに傷付くことになる。
それを考えれば手を差し出すことくらい大した負担にはならない。
身勝手にも彼女に対する行動に、彼女の『赦し』を求めたのだ。
椅子から降り、姫咲とわずかな間を開け、同じ場所に座り込む。
すると恐る恐るオレの手に比べれば小さな手が重なった。
「……あったかい」
表情は穏やかで束の間でも安心感を得られているのであればよいと思う。
「”動物は認めていい。植物も認めていい。目に見えないものだって認めていい。でも中途半端なものだけは認めてはいけない”」
まるで何かの文章を暗唱するように言葉を用いる彼女。
「それは姫咲の言葉か?」
「ううん、神父様の言葉よ。この国じゃなくてわたしの故郷のだけどね。意味はそのまんま――動物も植物も生きているだけで美しく賞賛されるべきで、中途半端なものは何であれ醜く批判されるべきってことなんだ」
確かに意味はそのままであり、とても簡潔だ。
だがその教えはあまりにも排他的な考え方ではないだろうか。
中途半端なものはこの世界にありふれている。
それを片っ端から非難するとは傲慢な考え方もあったものだ。
「姫咲はその教えをどう思っているんだ?」
「正しい――とは思えないかな。ううん、そう思いたいだけなのかも。だってそれを認めてしまえばわたしは」
そこで言葉が途切れる。
途中で酸素がなくなってしまったかのように何度も口を開き、そして閉ざす。
最後には消え入りそうな声を絞り出した。
「わたしは自分自身を否定してしまうことになるから」
重ねた手のひらから温もりを求めるように握られる。
「今にも不安で押しつぶされそうって顔だ。まるで迷子だな」
「あはは、うん言えてる。わたしは迷子よ。吸血鬼と人。どちらの道で生きるかすら選べない――ううん、そもそも生きるか死ぬかすら自分で決められない。どこを見ても道標なんか置いてないんだ」
それから首元から銀色の十字架を取り出す。
姫咲が逃亡し、発見した時に返したものだ。
まさかサンセットモールに偶然にも拾い上げたものが彼女のものだとは思いもしなかった。
あれ以降は常に肌身離さず首から掛けている。
「ねえ、おにーさん。前にさ、言ったよね。わたしはある目的のために生きてるって。おにーさんにとっては夢みたいに現実味がなくて、つまらない話。聞きたい?」
姫咲は静かに瞼を伏せ、オレの答えを待つ。
この機会を逃せば彼女の口から事情を聴く機会はないかもしれない。
オレは静かに頷いた。
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