♰Chapter 19:わだかまり

「六百年――わたしはそれだけの年月を生きてる」


「――え?」

「はあ⁉」

「これは――……」


この場の全員が驚愕する。

それはオレも例外ではない。


だがよく考えてみれば不思議なことではないだろう。

屍者――中でも吸血鬼は屍食鬼の上位に位置する存在だ。

屍食鬼に寿命がない以上、吸血鬼も不死身に近しいと推測はできる。


「驚くのも当然だよね。でも本当のこと」

「好奇心なんだがそれならその見た目は――」


もしかすると超高齢の――。

姫咲がオレのことをきっと睨んだ。

失礼な思考が過ったことを察知したのかもしれない。


「わたしは確かに六百年を生きてるよ。でも心も身体も十四歳のままだからね! 真祖の血を受けてからわたしの全ての時は止まってしまったの。だから一生このまま」

「外敵にさえ気を付けていれば不老不死ともいえるな。歴史上、秦の始皇帝が追い求めたと言われるほど稀有で望まれたものだ」

「……そんなにいいものじゃないよ。止まってるってことは生きてるって実感が得られないってことだから」


濃密な秘密がぶちまけられたことで場の空気に微妙なものが流れる。

問われても即答できない何かが空間を支配している。


「ま、まあ? 大体姫咲のことは分かったでしょ? はい次! あんたが逃げ出した理由を聞きたいわね!」

「それは単純よ。おにーさんやおねーさんたちを傷付けたくなかったから。ハーフって結構危ない立場なんだ。簡単に言うなら人間と吸血鬼が天秤に載せられているイメージ。人間の血を飲まないとどんどん吸血鬼の方が重くなっていって……自我がなくなっていくの」


なるほどな。

オレを廊下で弾き飛ばしたときも、吸血衝動を必死で抑えていたのだろう。

そうなると渇望のトリガーを知りたいところだ。


「姫咲さん、どれくらいの間隔でどのくらいの量が必要なの?」

「一週間に一度は人の血を両手で一杯くらい。異能を使えばその頻度も量ももっと多くなる」


つまり一定量ではなく不定量であるということ。

異能の行使という変数によって左右される部分もあるのだ。


オレはISO支部で宇賀神と狗飼が調査していたことを思い出す。

そこでは姫咲と民間人男性の姿が監視カメラに映っていた。


「湾岸沿いの連絡橋でのこともそういう訳だったんだな」

「……知ってるんだね。夜に一人、疲れた顔をして歩いている人を捕まえてお酒を飲んでもらうの。話を聞いてあげるとみんなたくさん飲むんだ。それからホテルまで連れて行って血を吸う。あとは――そう、さっきの工場地帯を根城にしていたこともあったよ。何度か繰り返すうちに怪談話が持ち上がったみたいで……最近はそれを利用することが多くなってた」


随分と泥臭くそれでいて地道に生きようとしていたのだと気付く。

その不屈の精神力があればこそ数百年もの間を生き抜いてこれたのだろう。

感情を失わず、理性を失わず。


「でも、でもね! 人を傷付けはしたけど命を奪ったりはしてないんだ……! だからって傷つけたことを許される理由にはならないけど」


そこで言葉が切れる。

姫咲は秘密を明かし、失踪した理由も聞けた。

情報の整理が必要なことは多々あるが概ね聴取は完了と言ってもいいだろう。


東雲は情報の密度に疲弊したように気勢を削がれている。


「ふぅ……オーケー。あんたの事情はもう大体分かったわ。この場の人間を危険に晒したのもそういう背景があったんだって一応納得した」


この話し合いの最初の方に見せた牙は静かに収められている。


「そのうえで血のことは水瀬も含めてなるべく早く、明日にでも結論を出すわ。だから今日はもう休みなさい。昨日から一日中歩き回った挙句、雨に打たれて疲れたでしょ?」

「おねーさん……本当にありがとう」

「御礼を言われることはないわ」


退出した姫咲のあとには守護者三人とオレが残される。


「まあ、そういうことであたしも一度屋敷に帰るわ。色々あったから気持ちを落ち着けたら明日にでも学院寮に戻るつもり。何かあったらいつでも連絡を寄越しなさい」


続いて東雲も出て行った。

最後に残ったのはオレと琴坂だ。


「……八神くん」

「なんだ?」

「明日か明後日、学校が終わったらでいいから貴方の時間が欲しい」


明日は久留米兄の件を片付けに行くことになる。

明後日ならば特に放課後の予定はない。

強いて言えばそろそろ錦や笹原に真面目に朝凪祭の練習に参加しろと言われそうな予感はするが。


過程と結果について、人には二種類ある。

一つ、過程がどうであれ最後に良い結果があれば全てを赦せる人。

二つ、過程が良ければ、最後の結果の良しあしは関係ないという人。

そして学級委員の二人は後者だった。


「明後日なら空いている」

「……ありがとう。明後日、ミミズク堂で待ってる」

「ああ」


一人残された空間で少しだけ考える。

一つの困難を乗り越えてもまだ”屍者”の問題は解決していないのだ。


たった十数年しか生きていないオレたちには想像もできないほど長大な時間軸を生きてきた姫咲楓。

半人半鬼であり、真祖の血を受けた特別な存在であるところの彼女。


魔法使いにならなければきっと気付きもしなかっただろう存在の数々。

それを目の当たりにするオレは様々な感情を観察する。

失ってしまったものを遠くから眺めるように。


これ以上誰もいないリビングに留まる意味は皆無だ。

自室に戻るべく、三人とは別の扉から廊下に出る。


「……水瀬、聞いていたんだな?」


部屋を出ると壁際に水瀬が寄り掛かっていた。

顔色はあまり優れない。


「ごめんなさい。盗み聞きみたいな真似をして」

「本来は咎めるべきなんだろうが……水瀬にもこの会議には参加してほしかったから結果的にはよかったな。さしずめかなりきつい態度を取っただけに姫咲と顔を合わせづらい、そんなところか」

「……ええ」


思ったより後悔の色が濃く、精神的に重く圧し掛かっていると見える。


「今少しだけ時間あるか?」

「あるけれど何をするつもり?」

「善は急げというだろう? わだかまりは早めに解くべきだ」


それだけ言えば何を指すのか理解してくれたらしい。


「分かったわ。本当はこんなことを頼むべきじゃないんだろうけどお願いできるかしら?」

「任せてくれ。場所はオレの部屋でも構わないか?」

「ええ、お任せするわ」



――……



オレは水瀬を自室に待機させておくとその足で姫咲の部屋へ向かう。

ノックすると数秒で扉があいた。


「おにーさん……?」

「さっきのさっきで悪いが少し付き合ってくれないか? 工場地帯での件で水瀬が話したいことがあるそうだ」


姫咲は戸惑うでもなく、小さく頷いた。


「うん、私も直接会ってくれるなら誤解を解きたいから」

「それについては心配いらないと思うぞ」


その一言に疑問を抱いている様子だが言葉は重ねない。

代わりに先導してオレの部屋に連れて行く。


「姫咲さん」

「おねーさん」


二人の間には微妙な空気が漂っている。

嫌悪感や敵意ではなく、お互いにどう切り出すべきか見計らっているような気配だ。


先に口を開いたのは水瀬だ。

深々と頭を下げる。


「ごめんなさい。始めに言っておくと大体の話は知っているの」

「そっか……おねーさんは聞いてたんだね」


先程のオレの言葉の意味を理解した姫咲が得心がいったように頷く。


「改めて謝らせてほしい。工場地帯では私の早とちりで貴方を傷付けた。本当にごめんなさい」

「頭を上げてよ。わたしは気にしてないよ。わたしの方こそおにーさんを傷付けてごめん。突然あんなことがあれば誰だって戸惑うよ。それにこれまではずっと私の正体を隠していたし、大切な人を傷付けられたら怒るのは当然だよ」

「それでも謝らせてほしい。一瞬でも貴方を憎んでしまった私を私は赦せないから」


水瀬にとってオレの存在は、同居人であり、魔法使いであり、そして相棒だ。

寝食まで一つ屋根の下で共にしている以上、『最も近い距離の人間は?』と問われれば真っ先にお互いがお互いを挙げるだろう。

オレも水瀬優香という一人の人間を関係値の高い人間として受け止めている。

そしてそれは彼女から見るオレであっても似たようなものだろう。


――だが時々思うこともある。

水瀬にとって相棒とは本当に相棒という意味合いでのみの言葉なのか。

それ以上の意味を含んではいないのか。


姫咲がオレの血を吸ったときの水瀬の殺気は冷たかった。

常日頃から息の詰まるような感情を知っているオレでさえ一歩退きそうになった。

なら姫咲にとってはトラウマになってもおかしくないレベルだ。


普段は憂い気で物静かな印象が強い優しい少女。

だが本気で怒ったときにはどうなるか想像が尽かない少女。

それにしてもあの冷たさは異常だった。


あくまで想像だが彼女の過去には何か大きな出来事があったのかもしれない。

つくづくオレは水瀬について知らないことが多すぎる。


姫咲は身体の力を抜いてベッドの脚に腰掛けた。


「ほんとはね、怖かったよ。水瀬おねーさんがあそこまで冷たくて、刺すような視線を向けてくるなんて思ってもいなかったから。ああでも責めてるわけじゃないよ。 繰り返すけどそれだけのことをさせちゃったのはわたしのせいだから」


虚空を見つめて小さな吐息を漏らす。


「もっと早く打ち明けてればよかったね。おにーさんには結構諭されてたんだけど覚悟が決まらなくて結局こうなっちゃった」


その言葉に水瀬がオレを見る。

オレはただ首肯する。


「いいえ、姫咲さんの気持ちを考えれば無理もないわ。私たちは屍者を見つけ出し、解決しようとしている。そんな集団を前にして一歩踏み出すことは決して簡単じゃないもの」

「逆の立場ならオレたちでも同じことをしたかもしれないしな。誰だって他人からの拒絶は怖い」

「そう言ってくれると少し気持ちが楽かも」


最初の重苦しい空気はだいぶ軽くなった。

水瀬と姫咲のわだかまりも間もなく解消するだろう。

わずかながらこちらも協力しよう。


「ひと段落着いたところでオレからの提案なんだが、握手をしてみないか?」

「握手?」


姫咲が疑問を浮かべる。


「ああ。つい最近知ったことだが仲直りするときには握手を交わすんだそうだ。一度見てみたいと思ってたんだ」

「八神くん、珍しく本音が漏れてるわよ」

「わざと漏らしてるんだ」

「……くくっ……あははっ!」


思わずと言った様子で姫咲が笑いだす。

目の端にわずかに光るものを見た気もするが触れはしない。


「姫咲さん――ううん、楓って呼んでもいいかしら?」


水瀬が右手を差し出す。

それに対して姫咲は柔らかく手を握り返す。


「じゃあわたしもおねーさんのこと、おねーさんって呼ぶね」

「ふふ、おねーさんは取らないのね」

「これは癖みたいなものだから」


考えうる限り円満に収まったようだった。

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