♰Chapter 20:幻想からの解放

「それで? 昨日いきなり休んだかと思えば『明日話すから』って。しかも水瀬さんと八神からの返信メッセージが全く同じって……二人してどこにデートに行ってたんだよ。うらやまけしからん!」


時刻は十二時半を回って少し。

昼休み、オレと水瀬は周防を誘って部室に集まっていた。


「……というのは流石に冗談だ。真面目な話、どうしたんだよ。これでも結構心配してたんだぜ。なにせ噂の場所を調査した次の日に欠席したんだからな」


適当に購買で購入したおにぎりを食べている。

オレは梅、水瀬は明太子、周防はおかかである。


「心配させてしまってごめんなさい」

「オレも悪かったと思っている」

「別にそれはいいさ。何せ――あ、しま――いやなんでもない」


突然慌てたようにぎこちなくなる。

視線がわずかに部室として与えられた教室の後ろに行ったことを見逃さない。


そこには不自然にも布を掛けられた巨大な何かがある。


「あ、おい開けに行ってはいけない! それはパンドラの箱――」


容赦なく捲り上げるとそこにはTVとDVDプレーヤーが置いてあった。


「これはどうしたんだ?」

「あちゃあ……見つかったか。お前たちがいなかった昨日のことだ。ほら工場地帯の調査のとき、水瀬さんの端末カメラで映像を送ってもらってただろ? PC上だとどうにも画面が小さて見づらかったんだ。で、使われてないものを貰ってきたってわけ。ちゃんと許可は取ったから安心してくれていいぜ?」

「へえ、周防くんが」


水瀬も感心したように近づいてくる。


周防の視線は行ったり来たりと忙しない。

まるで一定の距離を保たせたいかのようにあと一歩を踏みこませない。


右に迂回しても左に迂回しても鏡のようにぴったりと通せんぼしてくる。


「……なぜ触らせない?」

「あ~いや……そう、まだ調整中なんだ! ちょこっと修理している最中なんだが――」

「それならなおさらオレに見せた方がいい」


テレビのリモコンを手に取り、電源を入れる。

そこには普通にお昼の天気予報が流れている。

別に壊れているようなところはなさそうだが。


次にDVDプレーヤーの電源を入れる。

特にそれを触れたときの周防が絶望的な顔をしていたので、オレは察してしまった。


ディスク排出のスイッチを押すと。


「八神くん、それは……?」

「……『妹』もののアニメのディスクだ」

「ということは周防くんのこれまでの反応は――」

「ああそうだよ! それを隠そうとしてたんだ! 昨日水瀬さんたちがいない間にこっそりとアニメ視聴してました、すみませんでした!!」


もはや抵抗は無意味と悟ったらしい。

諸手を挙げ降参の姿勢を示す。


「部長から何か言ってやれ」

「ええ……私から言えることといえばあまり部室を私物化しないようにね」

「今度から気を付けよう。だがしかし、くっ……その珍獣を目にしたようななんとも言えない目。ぜひ妹にもしてもらいたい表情だ……! また新たな扉が開けるかもしれない!」


水瀬は本当になんとも言えない表情をしていた。

オレも心のなかではたぶんそんな表情をしている。


「水瀬、一時から久留米も来るだろう? もう十五分もないぞ」

「そうね。周防くん、手短に久留米くんのお兄さんが襲われたっていう怪物の正体について話すわ。私たちが現地調査で得た情報も含めてね」

「やっと聞けるわけだな」


姿勢を正す周防を横目にオレは姫咲の部屋を出た後の事の顛末を思い出していた。


幸いにして水瀬は前日に廊下から姫咲の話を聞いていた。

姫咲は人を殺さず、屍食鬼にもせず、人の血を呑んでいると言った。

それはつまり、彼女は人を殺していないということ。


少し思い返す。



――……



きぃ、ぱたん。

扉の軋む音、閉ざされる音。

それから水瀬はほっとしたような吐息と共に胸を撫で下ろした。


「よかったな。姫咲と仲直りできて」

「ええ、本当に」

「緊張したか?」

「正直に言えばしたわ。でもそれ以上に逃げるのは行けないことだと思った。だってそうでしょう? 私が勝手に勘違いして、勝手に彼女を傷付けたんだもの」

「だが実際には殺気を向けたくらいで実際に斬りつけたわけじゃない」

「身体を傷付けていないことは謝らない理由にはならないわ」


水瀬の真っすぐな言葉には痛いほどの誠実さがある。


「そうか」


オレはそれを理解しつつも、どこか実感なく頷いた。


洋館の長い廊下を歩きながらオレは一つの話題を振る。

姫咲の話す内容と久留米兄の話す内容に行き違いがあるように感じたからだ。


「……水瀬は廊下から話を聞いてたんだよな?」

「その、ごめんなさい」

「別に責めてるわけじゃない。ただ一つ、久留米兄と姫咲の話に違和感があったと思ってな」


水瀬は記憶を遡り、すぐにオレと同じ違和感に気付いたらしい。


「久留米くんのお兄さんは友人たちが殺されたような言い方をしていたけれど、姫咲さんは誰も殺していないと言っていた――そういうこと?」


オレは首肯する。


「そうだ。久留米兄が嘘を吐いているようには見えなかったし、姫咲が嘘を吐くメリットもない。だとすれば二人ともが真実を語っていると思うんだ」

「一番しっくりくるのは、お兄さんが友人たちが全員亡くなってしまったと勘違いしている可能性ね。思えばショックな出来事を見てしまったからというよりは友人たちの死に強く反応していた気がする。でも彼がそれを知らないとは思えないわ」


久留米には色々とこの件の情報を共有してもらっている。

それによれば兄の友人たちは現在昏睡中だが、近いうちに回復するらしい。

そして久留米からは兄もそれを知っていると聞いていた。


姫咲の話を聞くまでは信憑性を疑っていなかったが一気に怪しくなってくる。


「仮説としてはいくつかあるが、可能性が高いのは二つくらいか。一つは久留米の勘違い。普段の学校生活を見ているとしっかりしているからやや薄い線かもしれないが。もう一つは友人たちが無事だと伝えるタイミングがまずかった可能性だ。事件直後に伝えていたならショックで内容が入らないなんてことはままあることだ」

「どの仮説が当たるにしろ当たらないにしろ、明日答え合わせをしに行きましょう。もし当たっていたならもう一度情報を伝えることでお兄さんは立ち直れるかもしれない。あとは彼が認識している怪物の正体だけど……」

「姫咲のことを詳しく話すわけにもいかないだろうしな。それらしい筋書きを立てて話すしかないだろう。それも周防と久留米兄の二つもの筋書きを用意してな」


隠すべきところは隠し、話せるところは伝える。

これはオレ達の到達した結論だった。



――……



「まず周防くんが案内してくれた倉庫でのこと。そこには確かに血痕のようなものが残っていたわ。それも複数人のね」

「ってことは噂の怪物は実在したんだな。久留米兄の話を疑ってたわけじゃないが実際に複数人が襲われるってのが納得できてなかったんだが」

「ええ、怪物はいた。でも一度目は逃がしてしまったの」

「逃がした⁉」

「思ったよりも化け物の方が上手だったんだ。夜になると久留米兄の二の舞になるだろう? だからその日はそれで調査を終えた」

「そうか……それで二日目の昨日も調査に行ってたってわけか」

「その通りよ。一日中駆け回って夕方ね。同じ場所に戻って来ていたところを魔法で討伐したの。もうあそこで人が襲われることはないと思う」


一回目の調査のときには屍食鬼と交戦したこと。

実際に久留米兄たちを襲ったのは姫咲であったこと。

他にも相違点はあるがかなり簡略化して伝える。


「それならもう久留米兄の件は解決したってことか?」

「そうなるな」


それを聞いた周防は椅子に深く座り込む。


「それならよかった。久留米もきっと喜ぶだろ。だがどうやってそれを伝えるんだ? 聞いた限りじゃ魔法のことを話さないとその怪物を追い払ったっていう結果に繋がらないだろ?」

「だから貴方には久留米くんよりも早く事の次第を教えたのよ」

「ん……んん? つまり……?」

「先に話したのは事実を知ったお前と、久留米とその兄にする話に齟齬が生まれるからだ。お前は魔法を知っているが久留米とその兄は知らないからな。だから久留米たちには魔法を話さず別のものに置き換える」

「作り話ってことか……なるほどな。全部理解した。それでいつ教えてやるんだ?」

「教えるのは彼の兄がいるその場でだ」


こんこんこん、とノック。

一時ちょうどに姿を見せたのは久留米だ。


「水瀬さんに呼ばれてきたんだが、ここでいいんだよな」

「ええ、大丈夫よ。そこまで長く話すつもりじゃないから」


空いている席を示した水瀬に従い、久留米が座る。


「お兄さんの方はまだ相変わらずかしら?」

「ああ、何も変わらない。お前たちが来る前と来た後でも全く変わらなかった」


久留米の表情が沈む。


「私たちから一つ聞きたいの。以前に送ってくれた情報と重複すると思うけど気を悪くしないでね」

「あ、ああ。それが必要なことなら何でも聞いてくれ」

「お兄さんのお友達は亡くなったの?」


やはりその質問が一体どういう意味を持つのか図りかねている様子で困惑している。


「いや、かなり出血していたみたいだけど命に別条がある人はいないと聞いている。まだ昏睡中らしいがじきに目が覚めるともな」

「それはお兄さんも知っていること?」

「ああもちろんだ。兄さんには看護師が目の前で友達は無事だと伝えていたから」


どうやら二つ目の仮説が正しかったらしい。

水瀬は最後の問いを重ねる。


「それはいつのこと?」

「確か……兄さんとその友人が入院した当日中――」


そこではっとしたように久留米は目を見開く。

ここまで誘導すれば誰でも気付くことができる。


「そうか……そういうことか! あの憔悴っぷりは恐怖体験をしたからだと思っていたけど、兄さんは友達を見殺しにしたと思っているのか!」

「多分そういうことだと思う。”猫の手部”として調査したことも話したいから、放課後に貴方の家に行ってもいいかしら? おにーさんの友人の無事だという証拠も必要だから病院によってからにはなるけれど」

「ああ、ああ! もちろんだ……!」


再び見えてきた希望の芽に久留米の声に勢いがつく。


「久留米」


周防が久留米を呼ぶ。

力強い笑みと共に肩を組む。


「お前の兄貴が立ち直れるといいな!」

「ああ、ありがとう」


久留米はわずかに曇りの晴れた様子で表情を和らげた。



――……



放課後、病院へ寄り道をしてから。

久留米宅で水瀬は周防に話した事のあらましをさらに改変して伝えた。

具体的には魔法を防犯グッズの特殊警棒に、怪物を野生のハクビシンに置き換えたのだ。


「……工場地帯に住み着いたハクビシンが原因だったのか。確かに鋭い爪や牙も兄さんの言うことと一致する。赤い目というのも光が反射すればそう見えることもあるだろう」


久留米は大きく溜息を吐いた。


「手間を取らせてすまなかった。その場のノリだったとはいえオカルト話を聞いてしまったから冷静に見れば気付けるはずのものに気付けなかったんだな。兄さん」


この前と全く同じで布団の中から動かない。

話は聞いてくれていると思うが信じられないのだろう。


そこで久留米は兄が誤解していると思われることに言及する。


「兄さん、よく聞いてほしい。兄さんの友達は全員生きてるよ」


そこでようやく視線が動いた。

しばらく話していなかったからか、話しづらそうに喉が動く。


「……嘘、だろ?」

「嘘じゃない。ここにみんなを連れてくる前に兄さんの友達が入院している病院に寄ってきたんだ。これを見て」


久留米の持つ端末には入院している友達の写真が収められている。


結論から言うと彼らはすでに目覚めていた。

つい先日に目覚めたばかりでリハビリと経過観察中とのことだった。

それでも元気な様子ははっきりと伝わる。


それに縋るように布団から出てきた兄に端末を差し出す。


「あ、ああ。あああぁ……本当に生きてるんだな……。嘘じゃ、ないんだな……?」

「もちろんだよ、兄さん。そうか、本当に水瀬さんたちの言うとおり看護師の言葉は聞こえていなかったんだね」


ぐすぐすと泣き始める久留米兄。

五分ほどもすると落ち着いたようだった。


「……悪かった。”猫の手部”の皆さんも、本当に、本当にありがとうっ……!」


深く頭を下げられる。

『友達の死』という昏い幻想に憑りつかれていた彼はようやく解放されたのだ。



――……



久留米宅の玄関先でオレたちは依頼完了のサインを受け取る。


「本当にお前たちにはどれだけ礼を言っても足りないくらいだ。兄さんを立ち直らせてくれてありがとう」

「いいんだぜ! 今だから言うが久留米お前、ブラコンだろ」


肩をガシッと組んで周防はそんなことを言う。

あまり自己主張をしない久留米が困ったような顔をする。


「……否定は、しない」

「やっぱりな! 俺も妹大好きなシスコンだから分かるわけ。大事な家族だからいつも笑っていてほしいし、いつも元気でいてほしい。暗い顔なんて似合わないってな」


それに久留米は頷いて同意していた。


「それにいつも傍にいてほしいしな。何ならずっと隣りにいてほしいくらいだ。ソファに座ったときの拳一つ分の距離、それを埋めるために地道に近づいていく緊張感。そして妹に気付かれずにゼロ距離になったときのまるでゴミを見るかのような――」


饒舌に語り始めるその内容に、久留米はさらに困惑して視線を逸らしていた。

だが決して引くわけでもなく薄い微笑みで聞き手に回っている。

憑き物が落ちたようだ。


「悪いな久留米。周防は少しネジが飛んでるんだ」

「色々大変だな、お前たちも。とにかく今回は助かったよ。朝凪祭、一緒に頑張ろうな」


ぐっと突き出された拳にオレと水瀬、そして一人で話し続けていた周防の手首を持ってくる。


「星には一つ足りないが、四葉だな。きっと幸運が俺たちに訪れる」


最後に一言、久留米のロマンチックな言葉で締められる。

見送られた”猫の手部”の面々はそのまま帰路に着くのだった。

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