♰Chapter 21:伝言
次の日の放課後。
水瀬は久留米と共に朝凪祭実行委員としての務めを果たしている。
そんななかオレは琴坂と待ち合わせたミミズク堂を訪れようとしていた。
相変わらず梅雨なのでどんよりと暗い雲が空を覆っている。
それでも雨が降っていないことが救いだろう。
ミミズク堂の前に置かれたベンチに座っている少女に目が留まる。
彼女はぼんやりと面白くもおかしくもない空を見上げていた。
「姫咲」
呼び掛けて初めて気付いたらしい。
はっとしたように視線が合う。
その瞳は桃色であり、緋色の兆候はない。
「こんにちは、おにーさん。奇遇ね」
「それは嘘だろう」
「あはは、バレたか」
「どうしてここに?」
「……わたしに付いていきたいってそういうから。誰もいない洋館に置いておくより、気分転換も兼ねて外に出た方がいいと判断したの」
前回の姫咲の失踪。
あの原因は彼女の秘密にあったわけだが、幻影の一部では閉塞的な空間に軟禁状態であったこともあるのではないかと指摘された。
よって付き添いはあるものの外出は可となっている。
ミミズク堂の奥から出てきた琴坂の手には紙袋がある。
どうやら本を買ったらしい。
「そうなんだ。無理言っておねーさんに付いてきたの。あ、でも大丈夫。おにーさんとおねーさんに用事があることは知ってるからその邪魔はしないよ」
「そうか」
特にオレから言うことはない。
琴坂がそう判断したならそれでいいだろう。
ミミズク堂から徒歩で移動を開始する。
電車に乗るでもバスに乗るでもなくだ。
「……今から二人にはわたしの家に来てもらう」
オレの視線を感じたのか、先導しながらそんなことを言う。
「琴坂の家、か。これもまた豪邸な予感がするな。水瀬邸も東雲屋敷も大きいし」
「水瀬おねーさんの家が大きいのは分かるけど東雲おねーさんの家もそんなに大きいの?」
そう言えば姫咲は水瀬邸のことしか知らない。
見たら突っ込みたくなるくらいにはビッグサイズだ。
「ああ、普通の家なんか目じゃないな。どこぞの貴族の末裔かと錯覚してもおかしくない」
「へえ、すごい!」
感動する姫咲をよそに琴坂は少し申し訳なさそうにする。
「……残念だけどわたしの家は優香や朱音とは違うよ。期待されても応えられるようなものは何も」
「大丈夫だ。むしろ平凡な家の方がオレ的には落ち着く。……姫咲にとっては残念かもしれないけどな」
若干しゅんとした姫咲を見てそんなことを付け足しておく。
広すぎる家というのも色々と不都合がある。
仮に水瀬邸を例に、洋館を地下室から屋根裏部屋まで一周するとする。
所要時間はたっぷり五分は下らないだろう。
もっと言うなら門からガーデンまでを含めればさらに膨らむ。
ゆえに普通の住居を見ると安堵するのだ。
「それでそこにオレを呼ぶ理由はなんだ?」
「……八神くんにはとある人から伝言を預かっているの。それを聞いてもらいたい。あとは……わたしの私物をいくつか洋館に運ぶ手伝いをしてほしい。男の人の手があるとすごく助かるからね」
伝言だけなら口頭で言いはずなので恐らくは後者が本音なのだろう。
そこに突っ込むのは野暮というものだ。
オレは気付かないふりをして頷く。
「伝言の礼だ。荷物持ちは任せてくれ」
そんなこんなでミミズク堂から琴坂の家まではそこまで時間は掛からなかった。
「わあ……ここが琴坂おねーさんのおうち」
二階建てのアパートはお世辞にも良い住居とは言えない。
築何年かは不明だが相当の年月は経過していると見るべきだ。
姫咲のなんとも言えない表情にオレも同意する。
かんかんかん、と外付けの階段を上って二階の一室の前に立つ。
琴坂が鍵を取り出す間にオレは興味本位でインターホンを押してみた。
普通ならぴんぽん、となるはずなのだが無音で反応はない。
もう一度押してみる。
「……故障か?」
部屋番号と表札、インターホンとドア付けのポスト。
どれも薄汚れている。
「……故障じゃなくて仕様だよ。大家さんがそう言ってた」
「琴坂は言葉の色も見えるんだよな?」
「うん。この前も言ったけど時々ね」
「その大家の言葉に嘘偽りはなかったのか?」
「……ヘッドフォンをしてたから流し聞きしてた。色は集中しないと見えないから分からない」
オレはこの守護者は大丈夫かと溜息を吐く。
何はともあれ、扉を開けた琴坂に招かれる。
「入って」
「お邪魔します」
「邪魔する」
通された女子の部屋。
案外と外観に反して内観は小綺麗だった。
恐らくはリフォーム済みなのだろう。
水瀬邸で水瀬の私室は何度か見たことはあるが、実際にお邪魔したことはない。
東雲に関しても同様。
つまりオレは初めて同年代の異性の部屋に招かれるわけだ。
あまりじろじろと見るのも失礼だろう。
とはいえ暗殺者の性分として周囲の観察は極めて重要なことだ。
迷惑にならない程度に軽く見て部屋の感想を述べる。
「はっきりと色のある部屋だな」
そう。
生活に必要な家具は一通り揃っている。
キッチンやその奥にあると思われる浴室も完備。
一際目を引くのは部屋の本棚に並べられた多くの書籍類と楽譜や音楽関連のもの。
実際に一本のギターなんてものも置いてある。
元々そこまで広くないアパートだが、本棚の周囲に入りきらなかった書籍類が積まれているところを見るにやはり手狭なのだろう。
「……ごめん。あまり、片付けられてない」
そうは言うものの部屋の面積が小さいだけで、モノ自体は丁寧に積まれている。
わずかに崩れていた書籍の山を丁寧に積み直している。
「おねーさん、これ」
壁掛けコルクボードにいくつかの写真が飾られている。
琴坂の思い出の数ページであるらしく、中学生くらいのものが多い。
姫咲はその写真のうち、一枚を指さす。
「それは一昨年のハロウィンのときの写真」
「へえ! この衣装可愛いな~! ぴょこぴょこ動く尻尾とか特に!」
写真の琴坂はデビルフォークを片手に照れくさそうにはにかむ悪魔に仮装している。
カボチャの髪飾りは隣に映る少女とお揃いだ。
「あ、こっちも可愛い! 小さいおねーさんだ」
夢中で色々な写真に目を通す姫咲とは違い、オレはハロウィンの写真に注目していた。
「この写真……隣は水瀬か? 今とは髪型がだいぶ違うな」
琴坂は懐かしそうに微笑みつつ頷いた。
「魔女に仮装した優香だね。本物の『魔法使い』が『魔法使い』のコスプレをするのが面白そうって……そう言ってた。今は腰まで届くロングだけど、ほんの数年前まではショートだったんだよ」
「変わるものだな、人は」
「……変わらないものの方が少ないよ」
「そう言えばそうだ」
ただ、と琴坂は何気ない表情でとんでもないことを抜かす。
「――優香はコスプレ、好きだよ。昔と変わらず」
「……ジョークか?」
「……さあ、どっちかな」
とても気になる一言を植え付け切り上げられてしまう。
一体何のためにそんな真偽の分からない情報を投げてきたのか。
琴坂はベッドの上に載せられていた三つのクッションを抱き上げると、部屋の中央に置かれた小さな丸テーブルの周囲に均等に並べる。
丸っこくデフォルメされ、たくさんの綿が詰まったサイズ感。
――クラゲとイルカとアザラシだ。
「わあっ! おねーさんは海の生き物が好きなの?」
「……好き。わたしの唄はクラシックが多いけど、それとは別に趣味で音楽を作ってるの。水族館でインスピレーションを受けることが多いから、その度にお土産を買ってたら自然と増えていったのよ」
随所にある小物も可愛らしい海のものが多い。
琴坂に好きなものに座るよう促され、姫咲は今までになく目を輝かせてアザラシにぼふんと抱き着く。
オレはどれでもよかったので手近なクラゲに、琴坂は余ったイルカにもたれ掛かる。
「琴坂はずっとここに住んでるのか?」
「ずっと……の定義によるかな。わたしは帰国子女だから。このアパートには日本に帰ってきてから住んでる」
帰国子女ということは海外暮らしもそれなりに長いのだろう。
日本は治安の良い国として一桁台に挙がるほど高いスコアを記録している。
たとえここ――口は悪いがボロアパート――でも気にならないという訳か。
「はっきり言うのもなんだが、あまり防犯設備が整ってなさそうだが」
「一人暮らしのことを心配しているなら大丈夫。わたしは広い館に住みたいとは思わなかったし、身の丈に合った小さな部屋が落ち着くの。たとえ、強盗が入ってきたとしてもすぐに拘束できるしね」
それはそうか。
戦闘型の魔法使いではないとはいえ、彼女の魔法は言葉を通して様々な効果を及ぼす。
オレがあれこれ心配を焼く必要はない。
「いらないお世話だったな」
琴坂は一度離席すると台所で麦茶を入れ、それを置いて座った。
それから手近なヘッドフォンを取ると姫咲に渡す。
「……姫咲さんは好きな曲を聞いて本でも読んでいて。わたしと八神くんは話があるから」
「うん、分かった」
姫咲は大人しくヘッドフォンを装着し一番上に積まれていた本を読み漁り始めた。
一応彼女は部外者ではあるので必要以上の内容は聞かせないほうがいい。
そういった配慮だろう。
「……八神くんを今日呼んだのは、〔
「この前お前が端末を見ていた時の連絡がそれか。だが琴坂じゃなくて、会ったこともない守護者からオレにか?」
紅焔の守護者と言えばオレが会ったことない守護者のうちの一人だ。
「そう」
「それなら水瀬に頼めばいいはずだが……」
オレは水瀬の相棒だ。
わざわざ琴坂に伝言を回す必要はない。
「紅焔の守護者は融和と美徳を重んじる。少し前に優香が守護者の一人とひと悶着あったんだ。今の〔幻影〕の一部における優香は腫物なの」
「ひと悶着って言うのは守護者の一人を手に掛けたということか?」
琴坂はちびりと口を付けていたガラスコップを持ったまま一瞬固まる。
それからゆっくりと机に置いた。
「……そっか。優香、話したんだ。信頼されているんだね」
「相棒という関係上、知っておくべきことだと判断したらしい。明かすタイミングとしてはあまり良くない時だったとは思うが」
「しっかりしているように見えて優香は抜けているところとか、可愛いところがあるから」
「違いないな」
オレも麦茶を飲む。
結露した水滴がコップを伝っていた。
「紅焔は朱音にも頼もうとしたけど個人的事情に関与したくないって言われて拒絶。かといって八神くん本人とは面識がないから、八神くんと接点を持った絶唱の守護者のわたしを選んだみたい」
「……とばっちりを受けたんだな」
こくり、と頷かれる。
オレの関与する件で時間を取っているのは申し訳ないが、一番気になるのはあったこともない守護者からの伝言の内容だ。
「……そのままの言葉を伝えるね――”長槍の魔法使いが君との再会を望んでいる。招待は六月二十七日の午後八時、場所は始まりの場所。彼の我儘に付き合ってやってほしい。by美しさを求める紅焔の守護者より。P.S.君と会えたならその美しさを計ってみたいものだ”と」
「その日付だと明日だな……」
始まりの場所――すなわち夜藤港だろう。
オレと槍使いの始まりはあそこ以外ではあり得ない。
守護者はつくづく個性的な人間ばかりだ。
紅焔の守護者とやらからも独特な匂いがする。
同組織でもなければ関わりたくない部類の予感。
「それに長槍の魔法使い……港のときの魔法使いか」
「間違いないと思う。紅焔の守護者は槍の魔法使いと少し縁があるから。言伝をするほど仲が良かったのは知らなかったけど」
「確かに受け取った。覚悟だけはしておかないとな」
槍の魔法使いの力は絶唱の守護者をして、最強格と言わしめる存在だ。
それもこの前まで殺し合いを仕掛けてきた間柄。
まったく油断できない。
そのとき姫咲がぴょこぴょことアピールしていることに気付いた。
琴坂がヘッドフォンを外すようにジェスチャーする。
それから姫咲が琴坂の傍まで寄っていく。
耳元で何事かを話しているようだ。
「……うん、いいよ」
「ありがとう。おにーさんは絶対に傍に来ないでね!」
「……? ああ……」
何事か分からなかったオレだが姫咲がリビングから隣りの部屋に消えていく。
オレは部屋の間取りを推測する。
次の瞬間にはそこは浴室とトイレの空間である可能性が高いと結論を出す。
「ああ、手洗いか」
「……はっきり言わないであげた方が良かったと思うよ」
「無粋だったな……反省する」
わざわざ明確に言葉にする必要はなかったと振り返る。
コップの余った氷がからんと音を立てて崩れた。
琴坂は麦茶を注いでくれる。
「……それで伝言には付き合うの?」
どうしてもそこが気になる様子だ。
「付き合うつもりだ。相手が居場所を教えてくれるチャンスだ。オレがすっぽかした場合、いつ襲ってくるか想像もできない。きっといいことにはならないだろうからな」
個人の相手が集合場所を決めるなら十中八九その場に本人も現れる。
相手にとっても有利だがこちらにとってもメリットはある。
「わたしも付いていったほうがいい?」
一人で、とは指定されていない。
守護者が近くにいてくれるのなら魔法使いと対峙するうえで心強い。
だがこんなことに幻影の戦力を割く訳にはいかないし、恐らく相手にオレを殺すつもりももうない。
殺すつもりならすでにいつどこからでも襲われているだろう。
こんな風に律儀に呼び出しをかける必要もない。
「いや、その心配はいらない」
「優香か朱音を連れてく?」
「その必要もない。その時が来たらオレは一人で行くことにする」
「そう……」
涼しい顔をしている。
まるで冷房が効いているかのように。
しかし隠し切れない汗が彼女の頬を伝っている。
夕暮れ時とはいえ六月中旬を迎えている今。
気温はすでに三十度を記録しているのだ。
そして何よりこのアパートにはエアコンなどという気の利いたものはない。
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