♰Chapter 22:血と提案

「話が終わったついでに聞いてもいいか?」

「なに?」

「この部屋にいて暑くないのか?」

「……暑いよ。でも扇風機があるから」


申し訳程度のそよ風が部屋を抜けていく。

涼しさというよりは熱風を拡散しているだけのような気がする。

だとすれば逆に熱中症の危険性が増すので辛いところだ。


「今度でいい。せめてエアコンを取り付けるよう、大家に掛け合ってみてくれ。殺人的な息苦しさだ」

「……考えとく」


琴坂は立ち上がると積まれていた本を十冊ほど紙袋に詰める。

それを二セット作り上げると一つをオレに渡してきた。

話は完全に終わったのだろう。


「……伝言は以上。今度は八神くんに手伝ってもらってもいい?」

「それはもちろんだが……やけに姫咲が遅くないか? デリカシーがないと言われても仕方ないかもしれないが」


姫咲が消えてからかれこれ十五分近く。

流石に心配にもなってくるというものだ。

この暑さも尋常ではない。


琴坂もオレの言葉に危機感を覚えたらしい。

彼女はこんこん、と扉をノックする。


オレはその一歩後ろで待機する形だ。


「……姫咲さん、大丈夫?」


返事はない。

もう一度今度は少し強めのノック。


「————」


それでも返事はない。


「……入るよ」


扉は半分ほどしか開かなかった。


「姫咲さん……? 姫咲さん⁉」


扉にもたれ掛かるようにして姫咲が倒れ込んでいた。

腕には犬歯のような噛み跡と流血。

彼女の呼吸は荒く身体中から嫌な汗をかいていた。


「はあ、はあ……!」


琴坂が身体を支えているが目を覚まさない。


「”貴方の痛みは軽くなる”」


軽い暗示をかけているようだが大した効果は見られない。


「脱水症状……とは違うな。もしかすると人の血を欲しているのか……?」


彼女の腕に残された傷跡は間違いなく自傷によるものだ。

吸血衝動が抑えきれなくなりやむを得ず自身を獲物とした。

だが吸血衝動は収まらず、危機的な状態にある。

そう推論を立ててみるも結論は出ない。


「今日中に姫咲が欲する人の血について結論が出る予定だったな」

「……確かにそう。でも――まさか八神くんまた」

「そのまさかだ」


オレは服の袖を捲ると腕を晒す。


「待って! 彼女に血を与えることがどんな副作用をもたらすか分かっていない。彼女は否定していたけどもし噛まれることで”屍食鬼”になるのだとしたら? 吸血衝動は収まってももし吸血鬼の方に天秤が傾いてしまっていたら?」

「それでもやるしかない。放っておいてもよくなることはないだろう」


琴坂は納得いかないようだったがそれでも最後には頷いた。

オレも彼女も正論ではあるが、少しばかりオレの方が諦めが悪かった。


短刀を自らの腕に沿える。


「……万が一、あなたが屍食鬼になってしまったら――すぐに浄化してあげるから。痛みも苦しみもなく」

「それは助かるな」


一息に短刀の刃を滑らせる。

肌に一筋の赤線が引かれ、そこからにじみ出るように血液が滴ってくる。


それを琴坂に支えられている姫咲の口元に。

一滴、二滴、三滴――。


「……!」


喉が嚥下した。

一応彼女の口には触れないよう細心の注意を払いつつその行為を継続する。


それからどれだけの時間が経っただろう。

蒸し暑いなか、そろそろ肌寒さを感じるほどに血を失った頃。


姫咲がゆっくりと桃色の瞳を開けた。


「姫咲、オレのことがわかるか?」

「おにー、さん?」


オレと琴坂はその様子に安堵する。

吸血鬼ではなく、間違いなく理性的な人間の瞳だったからだ。


「……おにーさん! その腕!!」


意識が覚醒した姫咲は跳び起きる。

それから自身の口元に触れ、人差し指に赤い液体が付くのを見て。


「わたしに、また血をくれたの?」

「お前が腕から血を流して倒れていたからな。人間の血が足りなかったんだろう?」

「また……わたしはっ……」


自己嫌悪に顔が歪む。

不安定な均衡を保つために必要とはいえ吸血するたびに嫌悪感を抱いているのなら、それはとても危ういことだ。


「う、うぅ……っ……」


泣き始める姫咲。

情緒がかなり崩れてしまっているようだ。


「……とりあえず姫咲さんはシャワーを浴びて。そんなに汗をかいて気持ち悪いと思うから。出てきたら手当。八神くんはリビングに戻って今すぐ手当。話はそれから」


オレはだいぶ冷え切った思考と指先を感じながらリビングに戻る。

琴坂は姫咲をシャワーに入れてから戻ってきたようだ。

本棚の隅に置かれた救急箱から消毒液と包帯を取り出し、適切な処置を施してくれる。


「……これでどう? きつくない?」

「大丈夫だ。手慣れているな」

「……これくらいなら誰でもできるよ。怪我人なんて珍しいものじゃないから」


ぴりぴりと傷口が痛むが我慢できないほどではない。

とはいえ利き腕ではない左腕にしておいてよかった。


「……優香の言うことは本当だね。八神くんは人の心配をよそに無茶をする。自分の身の安全を織り込まない」


静かに怒っているようだった。


「すまないと思っている。だが間違ったことはしていないと思う」

「……だからタチが悪いの」


そこで姫咲が扉から現れた。

髪は薄く濡れている。


「シャワー……ありがと」

「少しは気持ちが晴れた?」

「本当に少しだけ」


姫咲の腕の傷も手当てしようとした琴坂だが呆然とする。


「傷が、ない」

「わたしの半分は吸血鬼だから。ただの人より治癒は早いし血を飲めばそれはもっと早くなるんだ」

「……そうなんだね」


扇風機の稼働する音のみの静寂が訪れる。

オレはともかく二人にとっては気持ちのいい静けさとは言えない。


「あの! やっぱりわたしはいない方が――」

「連れてきてよかった」


先んじた琴坂の言葉に姫咲の目が丸くなる。


「よかっ……た……? 逆じゃなくて?」

「うん。数日前に姫咲さんが失踪したとき……その原因はわたしたちに迷惑をかけないようにだった。それは吸血鬼の特性――吸血衝動のことがあったから。そしてそれを打ち明けてくれた時、わたしたちは今日まで保留してしまった。だから近いうちにまた吸血衝動に襲われる……そう判断してここまでの同行を認めたの」

「そっか……」


納得しつつも少し寂しそうな気配を感じる。

恐らく琴坂の言葉には彼女自身の気持ちが入っていないからだ。

ただ淡々と事務的に姫咲を監視するために同行を許可した――そう捉えられても仕方のない言動だ。


だが人の言葉に人一倍敏感な琴坂がそのことに気付いていないはずもない。


「――でもそれだけじゃない。わたしは姫咲さんには元気に楽しく過ごしていてほしい。ううん、それはわたしだけでなくきっと優香や八神くんだって同じ気持ち。他者を思いやれるあなただからこそ、人に思われる」


姫咲が瞳から涙が零れる。

今度は自己嫌悪なんて悲しい涙ではない。

心の底から嬉しい言葉を投げてもらえた――そんな感動による涙だと思う。


「あなたはここにいていい。わたしたちを頼っていい。半分が吸血鬼だから、異端者だから。そんなことは関係ないよ。八神くんもそう思うよね?」

「ああ、そうだな。今の言葉全てが琴坂の言うとおりだ」

「……! ……!!」


声を押し殺して泣いている。


数百年を生きていると、彼女は言った。

その間に誰も言葉をかけてくれる人はいなかったのか。

誰も優しさを見せてあげなかったのか。

――寄り添って、やれなかったのか。


思えば吸血鬼の呪怨が猛威を振るった数日前。

彼女は異能を使ったときにはいつも悲しそうな顔をしていた。

『この姿で、初めて楽しいと思ったかも』――これはその時の彼女の言葉だ。


人のために異能を使い、人に心配と感謝の感情を向けられる。

それを初めて体験したのだと理解した。


同時に途方もない――想像もつかないような長い時間を自己嫌悪と共に生きてきたその苦しみの大きさも計り知れない。


「ごめん。もう大丈夫だから。わたしがおにーさんおねーさんにお世話になってから本当に迷惑しかかけてないね」

「気にするな。お前が暮らしやすくなるためにも”屍者”の件は近いうちに片を付けたいところだな」

「……同意。でも敵の本拠地を割り出すにはもう少し時間が必要なのも事実。そこでわたしから提案したいの」


琴坂からの提案。

それはなかなか興味をそそるところだ。


「それは?」

「姫咲さんに楽しいことを教えてあげたい。辛いことを忘れられるような、何かを」

「で、でもそれは流石に悪いというか……ほら血の問題も解決していないし……」

「いいんじゃないか?」

「いいの……⁉」


姫咲が驚くのをよそにオレは琴坂の提案を支持する。


「……もちろん、血の問題は今日中に決着をつけて、盟主や優香、他の関係者にも相談して許可が下りたら、だけどね」

「本当に、ありがとう」


素直な感謝の言葉に琴坂は微笑んだ。


「……帰ろう。洋館に」


それからオレと琴坂は紙袋を一セットずつ持つ。

彼女には貧血だからと遠慮させられそうになったが伝言の借りは返す。

ということでしっかりと荷運び役も務めることとなった。


途中で眩暈がしたが敏感に察知した姫咲が手伝ってくれたことは思うところがないわけではなかった。

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