♰Chapter 17:そして……

だがそこにはよく知っている顔があった。

涙でぼやけた視界でも間違えることなんてない。


「お前はまだ何も間違えていない。回答を、まだ聞いていないんだからな」

「おにー、さん……? どうして? どうしてここにいるの?」


辛かった。

怖かった。

何もかもが分からなくなった。


そんな時に現れたおにーさん。

彼は私の正面に立つと手を差し出した。


「立てるか?」

「あ、脚がすくんでて……」

「社交辞令だ。無理でも立て。水瀬が抑えてくれているが屍食鬼の数が多い。すぐに逃げるぞ」


がん、と倉庫の壁に人型が象られる。

今度は間違いなく屍食鬼の全霊の体当たりだ。


「八神くん、早く!!」

「今行く!」


おにーさんは立ちすくむ私の手を握って走り出す。

緊張と恐怖と。

全てがないまぜになって動かない私の脚を無理にでも動かす。


倉庫を出た先にはかつての夜を思い出させるように、大量の屍食鬼が湧いていた。

その中で水瀬さんが退路を死守している。


「はあっはあっ……」


走った。


「くっ……はあはあっ!!」


ひたすらに走った。


おにーさんに手を離されないように。

見捨てられないように。

その後ろ姿を必死に追いかけた。


おにーさんは片手で私の手を引き、片手で短刀を振るい活路を切り開く。


「なんで、わたしのためにそこまで……! おにーさんは何の関係もないのに!」


言わなければいいのに。

疑問を理不尽な怒りと一緒にぶつけてしまう。


「関係はある! さっきも言っただろう! オレはお前の答えを聞いていない! お前はオレと約束しただろう! だがお前はそれを出す前に逃げた! その理由さえもオレは知らないんだ!」


――そんなどうでもいいことのためにこの人は。


「いくら水瀬でも数が多すぎる! 東雲、まだか!」

”こっちも手一杯なのよ! このっ――!!”


迷路のような工場地帯を駆けまわる。

張り巡らされた鉄の管を、乗り越え、潜り、そしてまた走る。

何度も何度も曲がり角を曲がり、直線を駆ける。


そのとき、死角で待ち伏せていた屍食鬼の一体におにーさんが吹き飛ばされる。

衝撃で投げ出されたわたしはおにーさんから少し離れた位置に倒れ込む。


「っ!」


おにーさんのポケットから放り出されるように銀色の何かがわたしの足元に落ちた。


「これは……どうしておにーさんがこれを」


いつの間にかなくしていた銀の十字架のネックレス。

大切な心のよりどころだったそれ。


どうして、なんて今はそんなことはどうでもいい。

地面を這っている太いパイプ管に背中を強打したおにーさんは噛みつこうとしてきた屍食鬼の口に短刀を咥えさせている。

だが背中を強打した衝撃からか、押し返すだけの力が戻っていない。


――主よ、そしておかーさん、勇気をください。

銀の十字架に口付けを。


「やああああああああ!!」


全身全霊で体当たりをすると屍食鬼はバランスを崩して倒れ込んだ。

ほとんどダメージはないだろう。


だが時間稼ぎはできた。


「おにーさん、わたしに血を分けて!」


おにーさんの目が戸惑いを見せるが関係ない。


おにーさんの目を見る。

わたしの覚悟は本気だ。


「すぐに済ませろ!」


おにーさんは火球を生成すると四方を囲うように地面にたたきつけた。

燃え盛る簡易な領域の中で、わたしは初めて嫌々ではなく自ら望んでその牙を突き立てる。


おにーさんのその首筋に。


「っ……」


一時的に吸血鬼が優位となり、瞳が緋色に染まる。


――甘くて、熱い。

身体も心も蕩けてしまったかのような快楽と背徳に身を震わせる。


「っ……」


おにーさんの体温が、息遣いが気持ちを盛り立てる。

強く掻き抱くように背中に手を回す。


やがて無意識にある言葉を言い放つ。


反逆の血盟レベリオ・ネクサス――■■■■■■」


何を言ったのだろう。

手のひらを鋭利な爪で切り裂き、無造作に血を撒き散らす。


自分でも聞き取れない酷いノイズとともに緋色の粒子がここら一帯を満たす。

それは全て大地に沁み込んだ血から広範囲に散布されているのだ。


”あああああああ”

”くぎゃああああああ”


緋色の粒子に触れた屍食鬼から次々と倒れ込んでいく。

もがき苦しみながら灰になっていく。


外傷はない。

致命傷もない。

ただこの空間にいるだけでその存在を否定されていく。


「綺麗……」


この幻想風景を作り出したのが自分であることに驚きを隠せない。

オーロラのような現象は恐らくこの工場地帯全てを覆っていることだろう。


全ての屍食鬼を駆逐すると壁にもたれているおにーさんの背に手を回す。


「おにーさん!」


おにーさんは薄く目を開けた。


「……気持ち悪い。車酔いの比じゃない」


その平然とした口調で座り込むおにーさん。


「八神くん、姫咲さん!」


水瀬さんと目が合った。

おねーさんはそれから安心したように息を吐いた。


「よかった……二人とも無事――え?」


一歩踏み込んだところで気付いてしまった。


「八神くん!!」


握っていた大鎌を投げ捨て、口元を抑える水瀬さん。


おにーさんの首筋に刻まれた噛み跡は誤魔化せない。

くっきりと歯型が残されており、疑いの余地はなかった。


「屍食鬼に、噛まれたの……?」


おにーさんが何を言うよりも早くわたしは答える。

これはわたしの答えるべきことだ。


「ううん、違うよ」

「ならこの傷は――」


おにーさんから貰った血の余韻はまだ残っている。

あえてその衝動を解き放った。


「その赤い瞳、牙――――まさか姫咲さんが……?」


水瀬さんの雰囲気がまるっきり変わった。

冷たく、冷たく、そして冷たい。

それだけの剥き出しの殺意。


どこまでも深く、光を失いかけている碧眼が向けられる。


――ああ、この人はこんな怖い顔をするんだ。

おにーさんのために怒ってくれている。


おにーさんはわたしを庇うように前に出た。


「待ってくれ。噛まれた本人を前に勝手に話を進めるな」

「八神くん⁉ 噛まれたのに平気なの⁉」

「彼女は――姫咲は悪い奴じゃない。それにオレは屍食鬼になっていないだろう?」

「でもそれは慰めにもならない。これからなるって可能性も――」

「今までに屍食鬼に噛まれた人間はどんな奴でも数分と経たずに屍食鬼になった。だがオレはそうなっていない。それが全てだろう?」


おにーさんはわたしを見た。


「オレは屍食鬼にならないんだろう?」

「わたしは半分だけ吸血鬼。だからかな、人を屍食鬼にしたことは一度もないよ」


――これからも、という保証はないけど。

口には出さなかったがそれは一番怖いことだった。


「だそうだ。水瀬、頼むからその殺気を収めてくれ。折角の美人が台無しだぞ」


水瀬さんが何か言うより先に、複数の足音が聞こえてきた。

屍食鬼の気配はないけれど反射的に身構えてしまう。


「遅れたわ――ってもう終わっちゃったのね」

「もっと早く来てくれてよかったんだぞ、東雲」

「何よその言い草。こっちだって民間人に被害が出ないようにって街中で屍食鬼と鬼ごっこだったのよ? ひたすら逃げては突っついてくるあいつらを狩る大変さは分からないでしょうね!」

「冗談だ。お疲れ」

「……ふん。お疲れ様」


それから東雲さんはおにーさんを見て屈み込んだ。


「さっきから喋ってはいるけど生きてる? まったく動かないじゃん」

「……ああ、少し休めばすぐ動けるようになる」

「ったく仕方ないわね」


紅雷が一瞬目に映る。

電気刺激によっておにーさんがピクリと動いた。


「どう? あたしの電気は効くでしょ?」

「身体の感覚がわずかに戻った。助かる」


それから東雲さんは振り返って俯いた水瀬さんの肩を叩く。


「……何があったのか知らないけどひどい顔よ、あんた」

「……ごめんなさい。頭を冷やしたいから先に帰るわ」


力ない足取りで帰っていく後ろ姿に東雲さんが首をかしげる。


「ほんと、どうしちゃったのよ……。まあいいわ。あとで諸々聞かせてもらうからね」

「お手柔らかにな」


それからわたしは再び水瀬邸へ連れて行かれるのだった。

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