♰Chapter 41:ブルー・ホライズン

神宮寺は積極的に園内を解説しつつ、いくつかの目玉をオレたちに体験させる。

中でも園内を囲うように創造された長距離ジェットコースター――通称『ブルー・ホライズン』と西洋の古城をモチーフにした探索型アトラクション――通称『ミスティック・フォートレス』は外せないとのこと。


「ブライトランドに来たら、一目散に乗るべきとされるアトラクション……それはこちらのブルー・ホライズンです」

「青い水平線……海のことかしら?」

「ええ、その通りです! ブライトランド外周部を囲うように設計された長距離ジェットコースター。そこから見える海と空、そして陸の賑やかな様子。それら全てを楽しむことができる大人気アトラクションです」

「ジェットコースターはスリルを味わうものだろう? 景色を見る心の余裕なんてあるのか?」


オレの純粋な疑問にのんのんと首を横に振る神宮寺。


「少なくともここでは景色を楽しむ余裕もあると保証しますよ。とはいえ言葉で言うのも無粋でしょう。早速乗ってみましょう!」


いくつか構成されていた長蛇の列を躱し、混雑の少ない列に案内される。

恐らく優先権を持っているような人間だけが使える場所なのだろう。


列に並んで雑談を交わし、もう間もなく順番になるところだ。

その時、姫咲が一瞬だけ顔を曇らせる。

すぐに持ち直したようだが不安の種は少しでも取り除いておくべきだろう。


「どうかしたか?」

「ん? あ、ああ~っとなんでもないよ!」

「理由なく顔をしかめる人はいないと思うぞ」

「そっか……完全に見られちゃってたんだね」

「まあな。慣れない場所に慣れない団体行動で疲れたか?」


それには激しく否定を返す。


「まさか。活気があって、みんながいて楽しいよ。ただ……さっき私の隣りを横切った人。香水が強くって眩暈がしたの。ほら、吸血鬼って一応鼻は良いのよ」


小さく形の良い鼻を指さして強調してくる仕草は若干のからかいを帯びていた。


「あ、おにーさん。今照れたでしょ? かーわいい」

「……そう見えたのなら眼科受診をオススメしよう」

「ちょっと弄っただけなのにひどい……」


それでも笑っているのは心から楽しんでいるからだろう。

恐らくは数百年を生きてきて初めての仲間との娯楽。

少なくとも今の間だけは心からそう思えていることを願いたいと思う。


「何もないなら良かった。もしも体調が悪くなったらすぐに教えてくれ。あれは持ってきてる」

「うん、ありがと」


持ち物の中には姫咲が欲する血がパック単位で入っている。

通常欲する量に加え、襲撃された際に異能を使っても余りあるくらいの量だ。


ブルー・ホライズンは横二列縦十列の編成だ。


「私たちは五人だから、二、二、一になるわね」


水瀬の言葉に真っ先に琴坂が口を挟む。


「……わたしは一人がいい。少し人酔いしたから」

「なら水瀬さんと八神くん、私と姫咲さんでよろしいでしょうか?」

「いいと思うわ」

「うん、大丈夫」


それぞれ配置が決まったところで、ブルー・ホライズンに乗り込む。

上半身に安全バー、下半身にはシートベルトを装着し、ゆっくりと動き出す。

最初から進路上に山が待ち構えている。


ガタンガタンと揺れと共にレールを上昇していく。


このささやかな緊張感が期待を増幅させるのだとどこかの誰かが書き込んでいた。

だがオレは心のうちに若干の焦燥を覚えていた。


「……水瀬、正直に白状しよう。オレは遊園地に来るのも初めてだし、ジェットコースターにも乗ったことがない。つまり」

「つまり……?」

「少し苦手かもしれない……」

「ふふ、大丈夫よ」


水瀬の手がオレの左手に触れる。


「これで怖くないでしょう? ほら、そろそろよ――!」


「「「あああああああああああああああああ!!!!」」」

「「「きゃあああああああああああああああ!!!!」」」


何を言うまでもなく急激な落下感を受け、オレは口を閉ざす。

舌を噛まないように意識する。


下腹部から何かがせり上がってくるような衝撃ののち、左右に揺さぶられ、今度は勢いよく昇っていく。


風が顔を打ち、その圧力で身体は座席に磔状態である。

そんな状態が一分弱も続いたことだろう。


やがてレールが平坦になり、ささやかなエンジン音と共に低速でその上を走っていく。

ひとまずは景色を楽しめるところまで来たらしい。


「なるほど。これは脅威的な肝試しだ」


ぽつりと漏らした一言に水瀬が微笑む。


「少し、痛いかも」

「……悪い」


いつの間にか左手に力を込めてしまっていたらしい。

手を放し、緊張した筋肉を解すように大きな溜息を吐く。


「……二人とも意外だね。八神くんからは恐怖と焦燥、優香からは楽しさと照れを感じる」

「照れ……?」


オレが視線を横に向けると水瀬はいつもとほぼ変わらない様子だが、一点だけ変わっているところがあった。

頬の赤味だ。


「男の子と手を繋いだのは初めてだったから、ごめんなさい」

「ああ、いやオレは……」


どういう反応が正しいか判断できずに口ごもる。

すると琴坂の声が柔らかく届く。


「……楽しいね」


それ以上の言葉はなく、思わずその声に込められた感情に惹きつけられる。

静寂な微笑み、あるいは万感の意、その両方か。


オレと水瀬は振り返れはしないものの、それを感じ取る。


「ええ」

「オレも基本的には同意だ」


言葉の切れ間を待っていたのだろう。

姫咲が声を上げる。


「あ、ねえ、海が見えてきたよ!」

「ブライトランドの名物の一つ、ブルー・ホライズンへようこそ!」


「っ……」


オレは思わず絶句した。

右手側の視界一杯に広がる青き大海。

電車内から見るより、聴覚と視覚で得る情報が多いからだろうか。


潮のさざめき、磯の香り、人工物と自然の対比。

彼女らの感嘆の声。


「ッ!」


オレはその中でわずかに眉をひそめた。

頭の奥を何度も何度も、執拗に刺されるような感覚。


――身体の不調。

突然のことに戸惑いつつも、どうにか平常を装った。


「八神くん……?」


水瀬は敏い。

わずかであっても異変を感じ取ったらしく、怪訝な顔をする。


「何でもない。緊張が抜けたらどっと疲れただけだ」

「そう」

「何か言いたげだな」

「貴方はいつも無理をするんだから。無理をする前に私を頼ってね。もしかしたら力不足かもしれないけれど、それでも相棒として私は貴方の力になりたいと思っているから」

「……随分と想われているようで幸せ者だな、オレは」

「まったく……そうやってすぐに茶化さないの」


少しの間、じっと水瀬の視線を感じていたがそれも再び絶叫マシンと化すまでだった。

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