♰Chapter 33:とある一日

オレが外出準備を終えてロビーに降りてきたとき、水瀬が柱にもたれ掛かっていた。

先程のことで文句の一つでも言われるかと予期したがそれは外れることになる。


「行ってらっしゃい」

「見送りだけか?」


水瀬は純粋に疑問の表情を浮かべる。

それからオレの言わんとするところを悟ったらしい。


「楓の件は八神くんに一理あるのは事実よ。決まったことに対してどうこう言うつもりもないわ。でも……ええ、正直に言えば少し驚いたかも」

「オレが彼女を囮にする提案をしたことにか?」

「それもある。それも確かにあるけど貴方の冷徹なまでの合理性によ。私は出会ってから今まで貴方のその特性は敵対する者に対してだけ向ける顔なんだと思っていたわ。でも時には私達にも向けられうる顔なんだと理解して……」


そこまで言ってから非難がましくなっていたことに気付いたと見える。

水瀬は首を振る。


「本当にあなたを否定するつもりはないの」

「分かっている。水瀬は人の気持ちに寄り添おうとした。それは正しいし、何も間違ってはいない。ただオレとの差異は一点だけ。感情を切り離せるかどうか。あるいは最大多数の最大幸福を求められるか、近しい者の幸福を願うか。それだけだ」

「また難しいことを言うのね。ええ、少し考えてみる」

「忘れないでくれ。オレも彼女を生贄にするつもりはない。死力を尽くして彼女を守るつもりだ」


オレは洋館の扉に手を掛け敷居をまたぐ。

石段を下りるとむしむしと粘っこい暑さが全身を舐め回し、洋館の涼しさが嘘のように消えていく。

門を出るときには汗が滲んでいそうだ。


「八神くん!」


振り返ると水瀬からの飛来物を反射的に受け取る。

投げてよこされたのはスポーツドリンクのペットボトルだ。


「今日は暑くなるそうよ。水分補給を忘れずにね」

「助かる」


そのまま一口飲むとボディバッグにしまい込む。


学校を欠席したのだ。

今日一日をかけてやるべきことをやってしまおうと炎天下に歩き出す。



――……



♰視点・結城



〔幻影〕盟主の結城は第一区にある〔ISO〕本庁を訪れていた。

その最上階にはISOの長官が厳粛な面持ちで彼を見ていた。


ザ・文官な見た目の結城とは対照的にザ・武官な見た目である。


「やあ、どうだい調子は」


結城は臆することなく気軽な様子で声をかける。

すると長官は渋味のある声音で言い放つ。


「私の身体的な意味合いで言うなら上々と言えるだろうな。今朝も一汗流してきたところだ。ひょろがりな貴様とは違ってな」

「はは、ひょろがりとはひどいな。これでも細マッチョなんだけどね」

「私から見れば薄っぺらい板にしか見えんよ」


熊のように大きな体躯で立ち上がると結城の真正面に立つ。

常人ならその威圧感に堪らず後退していたことだろう。

だが結城は動じることなく言葉を繋ぐ。


「〔幻影〕の盟主たる私が来た理由は分かるかい?」


その目は嘘偽りは赦さないと言外に圧力をかけている。

なかなかどうして、二人の圧力は負けず劣らずだ。


「……ああ、分かっているとも。〔ISO〕が”屍者”の件を認知しておきながら〔幻影〕への報告を疎かにしていた点だろう?」

「分かっているなら話は早い。私が把握している範囲で言えばISOは”屍者”が騒がれるひと月以上前から認知していたそうじゃないか。その時点で我々に報告すべきではなかったのかな」


ふぁーっと葉巻の煙が吐き出される。

結城は室内禁煙であるにもかかわらず、多少の横暴は貫き通すこの男に呆れつつも敬意は持っていた。


「……随分と、自分の組織を棚に上げるのだな」

「どういう意味かな?」

「四月、幻影所属の伊波遥斗が離反。いやそもそも発足したての魔法テロ組織〔約定〕の諜報員だったそうじゃないか。最初に我々を裏切ったのは君達だ」

「いやはや耳が痛い。確かに組織構成員の見極めが甘かったことは認めよう。だがそれだけで幻影とISOの関係性を打ち砕いてしまうには些事だと思わないかい?」

「やはり貴様との正論による殴り合いは最も楽しい余興だ。茶番はこれくらいにしてこれを視ろ」


テーブル上のホログラム表示ボタンに触れると部屋の中央にファイルが展開される。


「ISOにおいて最初に屍者を発見したのは夜藤港から異音がすると通報を受けた末端の構成員だった。”屍者”が人間の死肉を喰らっているのを目撃したそうだ。そしてそれは構成員を見て言ったそうだ。『見たことを忘れろ。そうしなければお前も、お前の家族もすぐにでも同じようにしてやる』とな。実に人間の心理を理解した言動じゃないか。亡者が地獄を謳い、人を惑わせる。馬鹿馬鹿しくも腹立たしい話だ」

「事情は理解した。目撃者のISO構成員は恐怖に支配されそうするしかなかったというわけだ。だが遅きに失したにせよ、情報はこちらまで回ってきた。その彼はいまどうしてる?」

「死んだそうだ」

「死んだ?」


結城は表示されるホログラムに目を通しつつ、オウム返しする。


「屍者を目撃した数日後に帰宅すると自宅はあちこちが血に染まっていたそうだ。家族の死体こそなかったがそれは推して知るべし。屍食鬼になったのだろう。彼は精神的ショックから入院、その日のうちに洗いざらい吐き散らし、それから数日と経たずに襲撃を受け死亡した。言っておくがISO付きの病院の警戒態勢は厳重だった。それでも間隙を縫うようにどこからか侵入したのだろう」

「警備については難癖をつけるつもりはないさ。君は周到な男だからね。それにしても言葉を話す特徴を兼ね備えているのは現状吸血鬼だけだ。その彼は運悪く知性あるものに当たってしまったようだね。せめて通常の屍食鬼であれば結末は違ったかもしれない」


結城は事の真相は明らかになったと頷いた。


「幻影内部でISOに疑義を持つ者もいたからこれを持ち帰って共有するとしよう。さて、ここからは過去ではなく未来に向けた話をしたい」

「ほう、話して見ろ」

「今週末――ちょうど満月の夜だね。神宮寺財閥が所有するブライトランドで屍者の大行軍を未来観測した。同時にそこが奴らの本拠地でもある」

「尻尾を中々掴ませないと思えばアクセスの限られた埋立地を利用していたか。だがブライトランドといえば大手テーマパークだろう? 人の多い場所に奴らの拠点があるのか? 亡くなった彼のように全員を口封じするなんて真似は現実的じゃない」

「先日君に送った情報の通りだ。洋上霊脈の要としてちょうどブライトランドの周辺が成り立っている。そして九狐里神社を中心とした霊脈もそこからの干渉を受けて浸食されている。つまりだ。私が考えるに吸血鬼はブライトランドでの人の屍食鬼化はごく限定された範囲でしか行っていないのではないか。大半の入場者やスタッフは人間のまま日常を変わらずに謳歌しているんだ」

「知性があれば確かに可能だ。だが併せて貴様の報告書にはあった――東京全域の屍食鬼はどこへともなく消えていくと。それがブライトランドだとすればどこかに屍食鬼の収容所のようなものがあるとみるべきだろうな」


結城も長官も数多の事件を解決してきた身として会話は実にスムーズだった。

各々の情報と各々の疑問を出し合い、より情報を精細化していく。


「そこで最初の話に戻る。ブライトランドへ通ずる地上経路、海上経路、空中経路の全てを任意時間帯に封鎖できるようにしておいてほしい」

「それくらいなら容易い」

「まだ注文はあるよ」


端末を開き、ホログラム上にブライトランド近辺の立体地図が表示される。


「ISOの陸海空の部隊による民間人の救助活動と屍者排除の二つを徹底して行ってほしい」


その言葉には険しい顔をする。

露骨に表情に出されても結城は退かない。


「どれくらいの規模を望む?」

「そうだね。ざっくりしていて申し訳ないが全周を網羅できるくらいかな」

「……正気か?」


ありえない要求に結城の正気を疑っている。


「私はいつだって正気だ。かなり無茶を言っている自覚はあるが万全を期すにはこれしかない」

「ぬぅ……そうなると手続きやらなんやらが馬鹿にならんのだが」


結城はそれ以上は言葉を重ねず、相手を待つ。


「一つ、聞きたい」

「なんだい?」

「貴様の言うとおりにしたとして、我々にとって良い結末となるのか?」

「もちろんだよ。犠牲者は出るが火種を摘み取り、それ以降の被害者は出ない。そんな結末を迎えるために私は君に協力を要請しているんだ」


男は豪快な溜息を吐くと諦めたように椅子の背もたれに寄っかかった。


「いいだろう。俺は国家の犬で、民間人を守る責務がある。結果がいいものになるなるなら多少の無理は押し通そう。だが神宮寺にはどう伝える? あれは魔法の存在を知らないただの財閥だ。無断で封鎖しようものなら後始末が面倒だ」

「だから任意時間帯に、と言っただろう? その時間帯とは屍者がブライトランド内で暴れ始めてからだ」

「……なるほど。相変わらず冷え切った男だ。多少の犠牲はなんとも思わないか」


つまりは屍者の暴動前にブライトランド内に入場している人間は全員が釣り餌に他ならないということだ。


「今回の肝は吸血鬼の王を抹消すること。そのためには決して逃がしてはならない。もし民間人を避難させ、相手に気取られでもすれば物語は終末に行きつくことだろう。そうならないためには失われるのも致し方なしだ」

「貴様が物語の終末などというと笑えない。未来観測をできるからこそその言葉には常に真実味が上乗せされるのだからな。だが方向性は理解した」

「ではよろしく頼む」


結城は部屋から出ようとして振り向いて微笑んだ。

面白そうに。


「そうそう。すぐにじゃなくてもいい。今度食事にでも行かないかい?」

「食事だあ……? 一年に一回あるかないかの食事会を何でもない日に開くということか?」

「ははは、別にいいじゃないか。私たちはそれぞれの組織のトップである以前に友人でもある。それにプライベートを持ってはいけないルールはないだろう?」

「貴様とは確かにそういう関係ではあるがどうにも食えないから落ち着かないんだ。気は進まないが後ろ向きになら検討しておこう」

「それでも構わないよ」


それだけ言うとそれぞれの道を進み出すのだった。

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