♰Chapter 32:得るために失うもの

朝の五時。

リビングにはオレ、水瀬、琴坂の三人が集まっていた。


「おはよう、八神くん」

「……おはよ」

「ああ、二人ともおはよう」


水瀬がアーリーモーニングティーを淹れてくれる。

それに口を付けつつ心身を本調子に覚醒させていく。


洋館で同居するにあたりこれは完全にオレのモーニングルーティンに組み込まれた。

朝、心身が眠りから覚め切っていない状態からゆっくりと熱が回っていく感じが好きなのだ。


「一息ついたところで話に入りましょう……と思ったけど今回は私じゃなくて発案者の律に進めてもらうべきね」


水瀬が話のバトンを繋ぐと琴坂は頷いた。


「わたしが提案した楓を楽しませたいということ……それが今朝がた幻影の内政機関に承認された。二人はもう知ってる?」

「私は起床時に連絡は一通り確認するようにしてるから知ってるわ」

「オレも同じだ」


琴坂は頷く。


「次の問題は、どこでどうやって楽しませてあげるか。楓の気分転換も兼ねてるからちょっとした遠出がいいとは思う」

「遠出と言っても都内には収めておくべきよね。大前提として護衛は私と八神くん、そして律が付くとして。悩みどころはどこに出かけるか、よね。律自身は行く場所に心当たりはある?」

「……緑の多い場所は気分を落ち着けてくれるんじゃないかな」

「緑……公園とかかしら?」

「……八神くんはどう?」

「ああ、公園なら気分転換にもなるだろう。それに護衛もしやすい」

「……つまりこの案に賛成でいい?」


二人の話の成り行きを見守っていたがどちらの意見も正しいと思う。

都内で緑が多く、それでいて楽しめる場所。

公園でもなんら問題はない――ないのだがどうせなら。


オレは昨夜眠る前まで思案していた事柄を提示することにする。


「テーマパークはどうだ? アトラクション設備の経年劣化で廃園する予定だった遊園地を有名企業が買い取って一年くらい前にリニューアルオープンした場所だ。名前は――」


水瀬も琴坂も口をそろえて言う。


「「ブライトランド」」


オレは昨夜から様々な情報を漁った。

近年も大海原を見渡せる遊園地とのことで大人気を博している。


水瀬も琴坂も屍者との決戦の地がブライトランドであることは知っている。

だからこそオレの提案に戸惑いを隠せていない様子だ。


「なぜブライトランドなの? わざわざ敵地に楓を連れて行くということはそれだけ彼女に危険が及ぶことになる」

「承知の上だ。今朝の通達の中には決戦日は今週末――日曜日だとあった。盟主の予知によればその日の夜、その場所から”屍者”は最初で最後の大行軍を始めるという」


屍者の根源に最も近い場所がブライトランド。

そんな場所に姫咲を連れて行けば間違いなくただでは済まない。

この場でその道理を知らぬものなど誰もいない。


「それを踏まえた上でオレがブライトランドを推薦する理由は主に二つある。一つは姫咲を囮にするためだ。吸血鬼の王は姫咲を求めている。ならばあえて重要な日に彼女を近づけることでブライトランド内のみに視野を狭めることができる。そうすれば都内や周辺地域への被害は最小限に抑えられるだろう」


オレに物申そうとする水瀬の機先を制すように二つ目を説明する。


「もう一つは吸血鬼の王が直接彼女に出向く可能性が高いからだ。ブライトランドの面積は広大で、丸一日使っても隅々までは調べきれない。敵がそこにいることが分かっていても精査できないのであれば圧倒的な不利を負うことになる。だからこそ彼女を使うことの意味が生まれるんだ」


言葉を紡ぎ終えると水瀬は難しい顔をする。


「八神くんの提示した理由はもっともだし、どうしようもなく論理的で正しい。でもそれは効率面から見たものであって楓の気持ちを考えていないわ。彼女を楽しませるという名目からも外れている。何よりそれはあまりに非情よ」


琴坂は黙ってオレと水瀬のやり取りを聞いている。

彼女が水瀬に賛同を示さない――少なくとも賛同を口にしないことに助かっていた。

守護者の二人に押されれば一魔法使いであるオレは姫咲をブライトランドに連れて行くことができないかもしれないからだ。


「その点についてはオレも心が痛くないわけじゃない」


――嘘だ。

オレは姫咲を餌にすることに対して心の呵責は感じていない。

とっくの昔に死んでしまった心はここ数か月の日々でも生き返ることはない。

枯れてしまった花にいくら水や肥料をやろうと二度と芽吹かないのと同じだ。


琴坂に色が見えていれば伝わっているかもしれないがそれは仕方ない。


「確かに琴坂の提案から効率のみを見た提案をした。だが考えてみてくれ。盟主の予知では屍者が動くのはその日の夜だ。午前中から夕暮れまで吸血鬼の王も行動を起こさないだろう。幸いにして当日は屍者の嫌う曇りない晴天だからな。だからその日――まる一日をかけて姫咲には楽しんでもらうんだ」


オレの言いたいことが伝わったのだろう。

水瀬は葛藤しているようだった。


「気分転換は名目なのね。本当は彼女を囮にする代償に丸一日の楽しい時間を提供する……。ある意味では魔法使いの代償とよく似た」


そこで琴坂が口を開いた。


「……優香、八神くんの言うことにも筋は通っているよ。当然貴方の言うことも正しい。でもわたしはどちらかと言えば八神くんに賛成する」

「律……でもそれは楓を傷付けることになるのよ? 貴方の当初の考えとも外れるはず。それでもそうすべきだと思う?」

「……『魔法使いは代償を支払う生き物だ』『いいや、支払い続けねばならないんだよ』『苦しくても、辛くても、何が起こっても』『それは願ってしまった人の――理外に位置してしまった人の犠牲だから』」

「な、なぜそれを貴方が……⁉」


その言葉に水瀬は電撃に打たれたように激しい反応を見せる。

突然立ち上がり、見たこともない焦りを垣間見せる。


オレが初めて見た水瀬の剥き出しの感情だった。

ただの一切も取り繕うことはない、生の感情。


「いま言うことではないけど、わたしは優香とあの人とのやり取りを偶然にも聞いてしまったから。……盗み聞きみたいになってしまったのは悪いと思ってる。でもこれだけは信じてほしい。意図的に聞いていたわけじゃないの」


水瀬は琴坂の静謐な声音にいくらか平常を取り戻す。

ぽすん、とソファが沈み込んだ。


「……ごめんなさい。少し痛いところを突かれて取り乱したわ」

「……大丈夫。わたしが言いたいのは魔法使いは代償を払うべき――ううん払わされるということ。この言葉の持ち主は逃れられない宿命を簡潔に表わした。そしてそれは真理を突いている。……わたしも純粋にただ楽しませてあげることができないのは悔しいし、苦しい。でもそこに多くの犠牲を防ぐチャンスがあるのなら逃すべきじゃないと思うの。何かを得るには何かを捨てる。”屍者”の件で多くの命を救うには楓の心を傷付けるくらいの覚悟は必要よ」


琴坂が珍しく饒舌に言葉を紡ぎ、水瀬は反論の牙を抜かれてしまった。

琴坂自身の弁にも穴はある。

それでも水瀬はこれ以上の抵抗はしなかった。


「……貴方達の言うことも理解できる。今週末ブライトランドでいいわ」

「飲んでくれてありがとう」

「それはいいのよ。元々は律の提案だもの。それに八神くんも時折冷たい側面を見せるけど最後には一番いい結末になるとこれまでに証明しているから。それでチケットはどうするの?」


今でもかなりの人気を誇る遊園地。

某鼠のキャラクターがいる場所とまではいかなくとも、それに近い集客数であることは間違いない。


オレは用意していた情報を出す。


「一年前からブライトランドの資本は神宮寺財閥が大半を占めている」


オレの先程の言葉の有名企業とは神宮寺財閥のことだ。

水瀬は小型端末を操作するとホームページを見つけ出す。


「確かに神宮寺グループの名前がある。ということはつまり――」

「ああ、そういうことだ。神宮寺朱里にコンタクトを取ってみる。世間には”友割”なんてものがあるらしい。チケットを少しだけ優先購入させてもらえないか融通を頼むつもりだ」


オレには吸血鬼の依頼を受けているという事実がある。

それを楯に揺さぶってみるつもりだ。

卑怯ではあるがあちらもオレを脅してきたことがあるためトントンだろう。


そこで琴坂が唇に人差し指を当て、俗にいう『シーッ』のジェスチャーをする。


「……楓が起きてくる。少し話し込み過ぎたみたいだね。いつもの起床時間になってる」


小一時間も話し合っていたことになる。

それだけ白熱した議論をしていたということだろう。


のんびりとリビングの扉が開かれる。

そこには眠そうに目元をこする姫咲の姿がある。


「おはよう、楓」

「ん~……おはよ、水瀬おねーさん。それに琴坂おねーさんにおにーさんも」

「ああ、おはよう」


ぺこりと琴坂はお辞儀で返す。

三人で揃っていたところを見て、姫咲は首を傾げる。


「三人とも早いね。なになに、三人で秘密の話でもしてたの?」


好奇心からか朝テンションゆえか、若干いつもと異なる雰囲気を醸している。

オレも今日中に出掛けるべきところがあるので悠長にはしていられない。


「姫咲」

「うん?」

「今週末、時間はあるか?」

「全然大丈夫だけど……どうして?」


オレはあえて言葉なく琴坂を見る。

釣られて姫咲の視線も彼女に動いた。


姫咲は訝し気に見つめていたがようやく気付いたようだ。

それから後ろを向き、半身になって振り返り笑った。


「そっか、楽しみにしてる!」


そう言うと期待が一杯溢れたのか、洗面所の方へ走っていくのだった。

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