♰Chapter 31:夏至の夜題歌

洋館に住まう水瀬以外の三人は夕食を終える。

その後、琴坂と姫咲と別れたオレは会議室に向かう。

手には小皿に載せたおにぎりを二つ――梅干しと昆布――と珈琲を持っている。


三度のノックののち、入室許可を得たところで部屋に入った。

しきりにホログラムキーボードを打ち込んでいる水瀬の姿がある。


「大変そうだな」

「色々あったから仕方ないわ。どうしたの?」

「簡素ですまないが食事の差し入れだ。お前以外は食事を摂ったところだからな」


テーブルに彼女の食事を置く。


「ありがとう。お言葉に甘えて少し休憩するわね」


水瀬はラップに包まれたおにぎりを小さく一口含む。


「美味しい……疲れた心と身体に沁みる」

「それは作った甲斐があるな」


水瀬に悪戯に微笑まれる。

揶揄われると思うと反射的に身構えたくなるものだ。


「八神くんの手作りなんだ?」

「そういうことだ。何を考えているのかは知らないが別に珍しくもないだろう? 洋館での食事は基本当番制だ。オレの手料理は珍しくないはずだ」

「ふふ、分かっているわ」


揶揄われないための予防線を張り巡らせたがそれが功を奏したらしい。

もくもくと食べ終えると再びキーボードに指を走らせる。


「八神くんに報告。盟主が”屍者”の拠点――通称”屍者の理想郷ネクロポリス”を暴いたわ」

「聞くからに鳥肌が立ちそうだ。場所は?」

「ブライトランド――」


オレは記憶の糸を手繰り、今からちょうど一昨年ほど前に竣工したテーマパークを思い出す。


「一時期ニュースでも話題になっていたな。この国で最大級のテーマパークか」

「流石ね。大規模な埋立地の上に建設された水上娯楽施設。主に遊園地を軸に、水族館、博物館、ホテル、商業施設なんかが併設されているみたいね。東京、神奈川、千葉の一都二県からそれぞれ海底トンネルや鉄道、遊覧船での往来が可能よ」

「なるほど……”屍者”にとっては最高の立地かもしれないな。なかなか拠点が暴かれなかったのも納得だ」

「そうね。でもだからこそ最悪であるともいえるわ。恐らくは屍食鬼がどこへともなく消えていく原因もここにある。主に三本の交通経路と航路しかないからこそ、そこはもう彼らの領域になっている可能性が高い」


水瀬は報告書を完成させたと見え、送信したところだ。


「これで盟主のもとに現状全ての情報が伝達されたことになる。明日中には”屍者”に関する最終作戦が提示されるはず。間違いなく決戦と呼ぶにふさわしい惨状が広がるでしょうね」

「だからと言って心を痛めても仕方がない」

「ええ、貴方の言う通り。ヴィンセントの言葉や御神木の浸蝕から”屍者”は一年ほど前からこの国の首都海域に巣食っている。私達が発見できていない行方不明者や死者を含めればこれまでの被害者は想像もできない規模に膨れていると思う」

「前回の一区丸ごとの浄化で消滅させた”屍食鬼”も所詮は一部でしかないということだな」


オレも水瀬も黙り込んでしまう。

正直に言えば今すぐにでも投げ出してしまいたい案件だ。

”屍者”は一年もの歳月をかけ、何らかの計画の下準備を遂行してきた。

対するこちらは精々がひと月前ほどだろうか。


――相対的な準備不足の気は否めない。

すなわち〔幻影〕からも少なくない犠牲を払わねばならない可能性が高い。


「明日は早朝から出かける」

「どこに……って聞きたい気持ちはあるけれど貴方がはっきり言わないってことはそう言うことなんでしょうね。いいわ。深くは聞かない」

「助かる。代わりと言っては何だが”屍者”との総力戦では今よりマシな戦力になる」

「ふふ、了解」


オレは踵を返そうとして最後に、と付け加える。


「実は琴坂が姫咲が楽しめるようなイベントを模索中で上と掛け合っているんだ。なかなか結論に辿り着かないみたいだからオレも意見するつもりだ。水瀬はどうする?」


水瀬は少し考える間をおいて頷いた。


「周りをよく見ているのね。確かに姫咲さんの精神状態は盤石に安定しているとは言いにくい。屍者との決戦前に一度出かけておくのもありね」

「〔絶唱〕〔宵闇〕二人の守護者と片腕のオレの言葉があれば結論は秒読みだろう。明日の早朝にリビングで集合して話さないか?」

「ええ、オーケーよ」


水瀬は報告書以外の庶務を終わらせるため会議室に残った。

オレはそのまま退室すると廊下を歩く。


洋館は広い。

空き部屋も多々あり、必然的に廊下も長くなる。


「……あれは」


何気なく窓際から外を見たところ、ガーデンへ踏み入る人影が映った。

角度が悪く、植え込みにすぐに消えてしまう。

見間違いを疑うほどに曖昧な影の揺らぎだったが自分の目を信じることにする。


「追いかけてみるか」


姫咲が再びの脱走を企てるとは思えない。

だだ万が一の事態があれば目も当てらないのは確かだ。



――……



ガーデンには常夜灯が灯っているがそれでも全てを照らせるわけはない。

通路を中心に人影を探すも簡単には見当たらない。


今更ながらに洋館の上階から確認してから出てくればよかったと思うが後の祭りだ。

そのとき、鼓膜を震わせる美しい旋律が響いた。


「この声は……」


声を頼りに通路を歩くと小さな噴水広場に辿り着く。

ティーガーデン――ガーデンの中ほどに設けられた紅茶や軽食、おやつを楽しむための小スペース――も併設されている。


噴水の端に腰掛けて、琴坂が歌をハミングしていた。

エメラルドの瞳は閉ざされ、わずかに横揺れしているようにも見える。


「――――」


控えめかつ心臓を握られるような切なさを帯びた音階だ。

邪魔をするのも躊躇われたのでハミングが途切れたタイミングで声をかける。


「綺麗な歌声だった。夜――それも噴水と庭園というシチュエーションも絶妙だな」

「……八神くん?」


ほんの少しだけびくっとした琴坂だったがすぐに取り繕われる。

次には小首を傾げられる。

オレがここにいることに疑問を覚えているらしい。


「もう二十二時を回っているのに洋館から出ていく人影が見えて追いかけてきたんだ。……本音を言えば姫咲がまたいなくなるんじゃないかと勘繰ったわけだが」

「……そっか。でも大丈夫だと思うよ。食事の問題も精神的なケアも一通りはカバーしてるから。……ごめんね、紛らわしい行動をして」

「いや謝る必要はない。オレが勝手に危惧して追いかけてきただけだからな」


銀髪が常夜灯の光を反射して煌めいている。

物静かな歌姫はこの空間に溶け込むように調和している。

それほどに美しく、穢れのない佇まいであった。


「さっき歌っていた曲、タイトルはあるのか?」

「あれにはタイトルはないの。……正確には覚えてない」

「覚えてないからタイトルはない……それは言いすぎじゃないか?」

「ううん、この曲は広く知られている音楽じゃない。私の母が歌っていたものだったから」


過去形ということは彼女の母はもういないのだろう。


魔法使いとは強い願望や信念を抱くことで生まれる存在だ。

『人の死』というのはこの世界で最も鮮烈で衝撃的な出来事であるがゆえに、トリガーになるのに十分だ。

琴坂がそうだとは断定はできないが少なくとも『歌』という事柄に少なからず彼女の母が関わっていることは確かだろう。


「誰もが傷を負っているんだな」


その言葉に琴坂は哀しそうにうなずいた。


「……そう、だね。誰もが大小の傷を抱えてる。八神くんに明かすのもどうかと思うけど、わたしは本当は姫咲さんの監視なんてしたくはないの」

「監視をしたくない? なら最初に断ればよかったんじゃないのか?」

「私情で盟主の言葉を拒絶することはできない。わたしが断れば他の人にその役が回る。……それは私の『心』に反するから」

「心、か。随分と曖昧な言葉を使うな。いまいち輪郭を掴めない」


琴坂は小さく微笑んだ。


「分からなくて大丈夫。夜は特別な時間なんだ。だから心の音が漏れてしまうことがある。でもそれが必ずしも意味のあることだとは限らないんだよ」

「そういうものか?」

「うん」


心地よい静寂が時間の流れを遅くする。

時計の針は着実に進んでいるはずだがそんな錯覚すら覚える。


「さっき水瀬にもお前の提案を話してきた。彼女も賛成してくれるそうだ。それだけの声があれば許可が下りるのもすぐだろう。明日の早朝にリビングで諸々を決めるべきだと思うんだがどうだ?」

「うん、それは大丈夫。姫咲さんにはいつ伝えるの?」

「そうだな……当日のサプライズというのも乙な物じゃないか?」


顎に手を当てて思案していた琴坂も頷いた。


「サプライズ……初めてする側になるけどうまくいくかな……?」

「オレは口が堅い。水瀬も当然同じだ。お前もそこまで言葉数が多い方じゃないだろう? あとは本人に打ち合わせを聞かれない限りは大丈夫なはずだ」

「確かにそうだね。……少しだけワクワクするかも」

「意外と子供っぽいことも好きなんだな」


表情の乏しいエメラルドの瞳が珍しく戸惑いを見せる。

わずかに照れているのだと感じ取れた。


「……そうかもしれない。この前のパーティーも楽しかったし」

「なら今度またやればいい。”屍者”の件が終わった後の祝勝会にでもな」

「そうだね」


琴坂は今日一番柔らかく微笑んだ。

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