♰Chapter 30:歩み寄り

オレと水瀬が洋館に帰ると琴坂がリビングから出迎えに来てくれる。

首からヘッドフォンを提げており、つい先程まで曲を聞いていたのかもしれない。


「……お帰り」

「ただいま。早速だけど会議室に籠るわ。〔盟主〕に至急伝えるべきことができたから」

「うん、了解。八神くんは?」


オレは水瀬の方を伺う。


「盟主への報告だけだから私が全てやっておくわ。だからゆっくり休んで。本人が知覚しづらいだけで九狐里神社の儀式は精神的負荷が大きいから」

「わかった。その言葉に甘えさせてもらう」


そういうと水瀬は会議室の方へ向かい、オレと琴坂がロビーに残される。


「九狐里神社の儀式……霊脈に何かあった?」

「ああ、実は霊脈が何者かに浸食を受けているらしい。オレたちの任務はその調査だったんだが結果的には応急処置を施すことになったんだ」


琴坂は物思いにふける様子で少しの間、視線を一点に集中していた。


「……詳しくは優香の報告書を見てからだね」

「姫咲はどうしてる?」

「彼女ならリビングで眠ってるよ」


リビングの扉の向こうを覗くとソファの上で寝転がっている姫咲の姿があった。

毛布が掛けられ、ゆっくりと上下している。


二人掛けのソファとはいえ一人が目一杯に寝転がるには手狭だ。

猫のように身体を丸め規則的な寝息を立てている。

かと思えば苦しそうに顔を歪めるときもある。


琴坂はそっと彼女の傍に行き、額に触れる。

すると再び安らかな寝顔になる。


「……わたしたちに秘密を打ち明けてからずっと、こう。姫咲楓という半人半鬼の存在は世界から見れば不安定で歪み足りうる存在なのかもしれない。魔法使いとはまた別の意味で理から外れてしまったような」


吸血鬼と人間のハーフ。

容姿は人間と大差ないが渇望時の瞳の変色は人間にはないものだ。

それに付随して卓越した戦闘能力も備わっている。


オレたちは姫咲からある程度の情報は得ている。

だがそれには彼女の来歴を探るものは大して含まれていない。

まして彼女の肉体年齢は十四歳ほどでも精神年齢は数百歳だ。

十五年しか生きていない自分のことを説明しろと言われたところでその人生を語るのに数日かけても足りないだろうに、数百年の説明を求めることは不可能に近い。


だからこそ姫咲は苦悩している。

人と吸血鬼の差異――その決定的すぎるほどの大きな溝を埋められずにいる。


直接的に聞いたわけでもない。

間接的に聞いたわけでもない。

ただありきたりに想像もつかないような時間を生きている人間の心理を想像しただけだ。


――そう、ただの想像。


「……間もなく盟主が吸血鬼の本拠地を割り出し終えるんだったな」

「確かにそう聞いたけど……それがどうかしたの?」

「もしその時が来たとき、〔幻影〕は恐らく一週間以内に作戦行動を開始する。それに間違いは?」

「……ない、と思う。敵は放っておけばどんどん巣食っていくものだから。今回はすでに後手に回ってるけど早期発見、早期対処は基本よ」

「ならタイミング的にももう余裕はない。この前の提案はどうなってる?」


琴坂が姫咲に辛いことを忘れさせ、楽しいことを教えてあげたいと言ったことだ。

守護者の立場として盟主たる結城に議題を上げていたためその結果を催促する。


「〔幻影〕の内政機関が議論を交わしてるけど、まだ結論は出ていないみたい。姫咲さんが一度失踪したこと、真祖の吸血鬼の狙いの一つが姫咲さんであること。この二つが障害になってる」


つまりは提案してからほぼ進捗なしと言える。

吸血鬼の本拠攻めも控えているためもたついている時間はない。


タイミングとしてはここが瀬戸際――――いや。

いっそ姫咲と吸血鬼の本拠攻めのタイミングを合わせてはどうか。

狙いが彼女なら撒き餌として十分すぎる役割を果たす。


そんな悪魔的思考が過るもこの場では口に出さず、心のうちにしまっておく。

代わりにオレも微力ながら力を尽くすことにしよう。


「姫咲は常に不安を抱えている。それはオレたちにも汲み切ることはできないものだ。以前お前が言っていたように、彼女はこれまでも楽しむということをできていなかったはずだ。だからオレはお前の提案に賛成した。口だけじゃなくてオレ自身も幻影にその旨を伝えておく」

「……八神くんには守護者権限がないけどそれでも?」

「それでもまったくの無意味だとは思わない。オレは〔宵闇〕の守護者・水瀬優香の相棒をしているんだ。そこで挙げた功績は無視できないだろう」


使えるものは使い倒す。

それがオレの物事に対する流儀だ。

たとえ功績を笠に着るような汚いやり方でもより良い結果を掴み取れるなら喜んで実行するだろう。


そんなオレの言葉に琴坂はその真意を探るように顔色を窺ってくる。

本当に言葉以上の意味はないのだが。


「……意外、でもないか。八神くんはこれまでも優香の暴走や朱音の御家事情にも向き合ってきたもんね。そのうえ姫咲さんのためにそこまでするなんて、人は見かけによらないね」

「それはどういう意味だ?」

「……表情筋がほとんど動かない。何を考えているのかが読みづらいのが八神くん」

「随分と言ってくれるな。オレも好きでこうなったわけじゃないんだ。不愛想なのは赦してくれ」


その言葉に慌てたように琴坂は首を振る。


「あ、ううん。責めてるわけじゃないよ。わたしは思う……八神くんはきっと優しい人なんだって」

「オレが優しい……?」


言葉の意味を理解しかねて疑問符が浮かぶ。


――優しい、か。

傍から見ればそう映るのかもしれない。

だがそれはオレにとっては都合のいい認識であり、間違った認識でもある。


「……優しい人は傷つきやすい人。傷つきやすい人は優しい人。自分が痛みを知っているから他の人の痛みを理解できるの。だから姫咲さんの痛みにも敏感に反応できる」

「それならお前も優しい人間だな。姫咲にずっと付き添っている」

「……わたしは、ただの任務だから」


彼女の割り切りの良さにはどこか違和感を覚える。

他者とは程度の差はあれ、一定の線引きを敷いているような感覚。

自分の中に深く立ち入らせること拒んでいるようにも思える。


――常に一歩引いているような。


「琴坂は不定期とはいえ色が見える分、人との関わりが歪んで見えているんだろう。人は必要に迫られれば嘘を吐くし、一方で嘘は吐かずとも真実を話すとも限らない。それを間近で見てきたであろうお前だからこそ、自分と他者の間に線引きをする」

「……!」


銀髪が揺れる。

はっきりと動揺が見て取れる。


「オレが言うのも変な話だがたまには隣に立ってみるのもいいんじゃないか?」


その美しいエメラルドの瞳に視線が吸い寄せられる。

琴坂もオレの視線に気付くも言葉を発しない。


「……あの、おにーさん、おねーさん。見つめ合ってるのは構わないんだけど別にわたしの近くでやらなくてもいいかなーなんて思ったりするんだけど」


いつの間にか姫咲の目は開いていた。

居心地悪そうにもぞもぞと起き上がる。


「いつから起きてたんだ?」

「優しい人は……のあたりから」


姫咲は大して話を聞いていなかったようだ。


「なになに? 何の話をしてるの?」


興味津々と言った様子で詰め寄ってくる姫咲から半歩距離を取る。


「えぇ、私いま引かれたの……?」

「落ち着け。お前や吸血鬼の件で少し相談していただけだ」


本決まりしているわけではないため、妙に期待されても困る。

だからこそ嘘を吐くことにした。


「おにーさんもおねーさんも本当にありがとう……」

「お前のためだけじゃない。だから落ち込むな」

「わたしも八神くんに同意するよ。……元気出してね、楓」


その言葉にオレも姫咲も琴坂を見る。

ひどく照れくさそうに頬に朱を帯びていた。


「な、なに?」

「だって……おねーさんから名前で呼ばれるとは思わなかったから」

「それは……その」


オレに非難がましい視線が向けられる。

どうやら琴坂は『隣に立ってみるのもいいんじゃないか』という言葉を実践してみたらしい。

港湾での槍使いとの戦闘と言い、今回の件と言い、彼女は物怖じせず積極的に挑戦する人柄のようだ。


「名前で呼ぶのも歩み寄りの証拠かもな」

「つまり?」

「琴坂律は姫咲楓ともっと仲良くなりたいと思っているということだ」

「へえ……私もおねーさんと仲良くなりたいから一緒だねっ」


快活に笑う姫咲に琴坂は反論する気勢を削がれたようだ。

満更でもなさそうに小さく微笑んだ。


奇しくも水瀬も琴坂も姫咲楓を下の名前で呼ぶことになったのだ。

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