♰Chapter 29:浸蝕領域
どこまでも広がる赤茶けた大地。
神社の緑など跡形もなく、剥き出しの大地だけが視界一杯に迫ってくるようだ。
からからに乾燥した寂しげな風が頬を掠め、排他的な景色がただ虚しい。
唯一、視界の中央――距離にして五十メートルほど先には巨木が屹立している。
金色の樹葉が禁断の果実のように煌々と輝いている。
現実以上に大規模な御神木が大地深くまで根ざし、毛細血管のような真紅の亀裂が明滅している。
退廃的でありながら幻想的な神秘に固唾を呑むほかない。
それは水瀬も同様な様子である。
”ここは?”
”二人は初めてでしたね。ここは御神木の心象風景とでも言いましょうか。私達人が生きる次元とはまた違う霊脈の次元と言うべき場所です。ほら見てください。御神木に赤い亀裂が走っているでしょう? あれが浸食の形を現しています”
こうしている間にもぱきっと音がして枝葉の末端が大地に落ちた。
”……もはや時間的猶予は限られているようです。それにどうやら侵略者が現在進行形で私達の存在に気付いてしまったみたいですね”
黄金の果実ではなく、真紅の果実――恐らく浸食されてしまった黄金の果実――から瘴気の化け物が産み落とされる。
屍食鬼と瘴気を発するという点では同じだが、眼前のあれらには実体がなさそうだ。
ゆえに揺れる影に赤い目が光っているという不気味な光景が広がっていく。
”あくまでも私達の身体はこの次元の外にあります。仮にこの場で死んだとしても現実に戻るだけ。ですが油断はしないように。死ぬほどの深手を負ってしまったなら現実にも何らかの後遺症が残る可能性は捨てきれません”
”分かりました。八神くん!”
”ああ”
今は思考よりも先に行動だ。
水瀬は大鎌、オレは短刀、そして巫条は装束の袖から呪符を手にする。
”■■■■■■■■■■!!!”
”っ!”
化け物は聞き取れない言葉を叫びながら大地を滑るように迫りくる。
短刀を最小限の動きでねじ込むと霧が晴れるように霧散した。
――再生する様子はない。
”セアッ!!”
水瀬の鋭い一振りが複数の化け物を掻き消す。
次々と浸食された果実から生まれてくるものの、戦闘力自体は目に付かない。
”二人とも! 空間の呪詛濃度が急上昇しています! できるだけ呼吸を浅く、回数を減らしてください!”
”そういうことね……!”
化け物はあれ自体が無形の呪詛なのだろう。
触れられても、散らしても、悪影響は免れない。
真紅の果実はすでに全て落ち切り、敵の総数は二十に届かないほど。
”〔絶唱〕の守護者には及びませんが私も援護させてもらいますよ! 〔
巫条が一歩を踏み出すたびに波紋を広げるように金色の光が大地を駆ける。
その度に枯れた大地にささやかな草花が綻んでいく。
呪符が規則正しく空間を舞い、聖域を顕現させる。
化け物は飲み込まれると五芒星の証を刻まれ、数秒ののちに浄化されていく。
固有魔法の発現方法は違うが琴坂と同じ浄化系統の魔法だった。
だが規模と言い浄化速度と言い、総じて下位互換の気が否定できない。
オレと水瀬も打ち漏らした化け物を倒していく。
最後の一体を駆逐したとき、ようやく真紅の果実は駆逐された。
”この様子だと相当浸蝕されていそうですね”
”ううむ……優香さんの言うとおりです。本来黄昏色を煮詰めたような果実が真紅にまで染まっているとなると相当ですね。浸蝕率は八割を超えているでしょう”
”オレはまだ御神木と霊脈の関係性について詳しく知る方じゃないんですが、仮に完全に侵食されてしまった場合はどうなるんですか?”
霊脈とは自然魔力の根源である。
九狐里神社の御神木を中心とするこれもその一つ。
すなわち膨大な魔力の源泉を手に入れるということではなかろうか。
背筋に冷たいものが走る。
”わが国には有数の大きな霊脈――大霊脈とそれと枝分かれするように無数の小さな霊脈――小霊脈があります。一つとはいえ大霊脈を抑えられるということは魔法使いにとっての奥の手――背理契約譜を大霊脈が涸れ果てるまで無条件に使えると言ったら分かりやすいでしょうか。国、とまではいかないかもしれませんが一つの大きな都市が壊滅するだけの御業は成して見せるでしょう”
”……そうですか。これだけ浸食が進んでいても何か打てる手はありますか?”
”対症療法にはなります。ですがそれでもやらないよりやった方が良い……その程度のものです。戦いの後で申し訳ないですが二人の魔力を貸してください!”
巫条は真紅の亀裂に侵された御神木の真正面に立つと、腰に差していた刀を大地に突き立てた。
”静謐なる九狐里の大樹よ、神住まう霊峰の扉よ。悪しき者に穢されしその身を祓い清めたまえ。法は九尾を祀る我が与え、証として御神刀を捧げ奉る――優香さん、零くん!”
オレたちは同時に御神刀に魔力を注ぐ。
柄に触れるとものすごい勢いで魔力を吸収されているのを感じた。
御神刀が金色の光に満たされ、大樹を覆う。
天使が降誕する。
神々が宴を開く。
どんな比喩でも言い表せないようなオーロラが無機質な空を飾りつくす。
”……綺麗”
ぽつりと水瀬のを口から出た一言に深く同意する。
現代の魔法は争いごとに用いられることが多く、人の生死・街の荒廃に直結する。
だが本来あるべき魔法の形はこういうものなのではないだろうか。
感傷に浸れるほどこれは美しいものだったと思う。
光の球が蛍のようにふわふわと漂い、やがて収束する。
真紅の亀裂はやや控えめになった気もするが、依然としてそこにある。
”浸蝕遅延処置はやりました。二人とも戻りましょう!”
五芒星が光ると景色が揺らめくのだった。
――……
「……ここは?」
目を覚ますとそこは見覚えのない屋内だった。
吐き気と眩暈がひどく、平衡感覚が乱されている。
だがそれも数秒経てば通常に戻った。
周囲を観察すると身体の下には柔らかい毛布が敷かれている。
「ここは九狐里神社の社務所ですよ、八神さん」
「社務所……」
巫女服の椿が畳の上で正座していた。
部屋の片隅に行儀よく座っていたので置物かと勘違しそうになる。
「ううん……」
水瀬は頭を抑えつつ、起き上がるところだ。
彼女も不快な感覚に襲われているらしく気だるげにしていたがすぐに持ち直した。
「大丈夫か?」
「ええ、もう大丈夫よ。でもこの感覚には全く慣れそうにないわね……」
「いちちち……」
巫条に至っては腰を抑えている。
椿はすぐに傍によると身体を支える。
「巫条さん、無理はしないで」
「あはは……心配を掛けちゃったみたいですね。陰陽師の家系とはいえ持病には勝てないか」
腰を擦りつつ立ち上がる彼と付き添う椿に問いを投げる。
「ここまでは椿さんが運んでくれたんですか?」
「お戻りが遅いので様子を見に行ったんです。すると御神木の正面で三者三様に倒れ込んでいたんですよ。重要な使命を負っていることは知っていましたのでせめてわずかでも役に立てればと一人一人ここまで運ばせてもらいました。その……吹き曝しにしておくのは身体に触るので」
椿はやや不安げな様子でオレと水瀬を、それから巫条を見る。
「椿さんのおかげで起きたとき身体が楽だったわ。ありがとう」
「オレもだ。感謝する」
「だそうですよ、椿?」
「……! こ、これからも皆さんのお役に立てるように頑張りますね……! で、ではそろそろ時間なので失礼します!」
それだけ言うとそそくさとお辞儀をして去っていった。
照れていたようにも喜んでいたようにも見える。
いや恐らくはその両方だろう。
「ははは! 照れてしまったようですね。これは優香さんにも明かすのは初めてですが実は椿の素顔は別のところにあるんですよ」
「別のところ……つまりどういうことですか?」
巫条は社務所から出て行く椿の後ろ姿を縁側から見送っている。
「それほど深い意味はないんですが、椿はお仕事――と言ってもアルバイトである巫女の側面と普段の高校生という側面をきっちり使い分ける子なんです。巫女のときは丁寧な言葉遣い、あまり直接的な表情を出さないような行動を心掛けているようです。一方で高校生のときは気さくな物言い、素直な表情を見せてくれるんですよ」
水瀬は得心いったように頷いた。
「なるほど……さっきのまっすぐな表情は唐突に感謝されたせいでお仕事モードが解けかかっていたのね」
「意外とおっちょこちょいかもしれないぞ」
水瀬は言葉の意味を理解できなかったようだ。
だがそれもすぐに理解に変わる。
オレは水瀬との位置を調整し、社務所の外が見えるようにする。
椿が小走りに戻ってきているところだった。
「椿さん?」
「……き、着替え忘れていました……」
「ふふ、着替え終えたら気を付けて帰ってね」
ぺこりと椿がお辞儀し社務所の一室――更衣室と思われる部屋に籠る。
「巫女服のまま帰ったら注目を浴びること間違いなし、だもんな」
「ええ、確かに。コスプレだと勘違いする人がたくさん出そうね」
「本物でもコスプレでも巫女服は尊いものです。
意外な誘いに水瀬は迷ったようだが最後には控えめに微笑んだ。
「ええ、今度機会があったなら考えておきますね」
巫条も満足げに頷くと最後に神妙な面持ちをする。
「〔幻影〕の盟主にお伝えください。九狐里神社が司る霊脈が何者かに浸食されつつあると。遅延行為をしてはいるものの恐らく一週間と持たずに制圧されてしまうこと。悪意ある者の手によって未曽有の災厄が呼びこまれないことを切に願っています、と」
「もちろんです。責任をもって報告し、対策も講じるつもりです」
「よろしくお願いします」
それからオレと水瀬も九狐里神社を後にする。
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