♰Chapter 28:九狐里神社の御神木
直近では朝凪祭が控えており、部活動も半分休止のような状況だ。
それに呼応して依頼はペア決めに難航しているやら、どうしたらすぐに足が速くなるかといった朝凪祭関連のものが多くなっている。
前者はともかく後者はあと一週間を切った状況ではどうしようもない。
”猫の手部”の活動軸は何でも屋であるため、モラルに反していない限りどんな依頼でも一応はまともに取り合わなければならない。
平日の朝昼は授業、夕方は部活または放課後練習と拘束時間が長い。
”屍者”の件も解決しきれていないため、悠長にはしていたくないところだ。
依頼の仕分けを行っていたところに周防が顔を見せる。
「八神、ほい」
扉から姿を見せるや否や、炭酸飲料が放り投げられる。
ぐるぐると何度も回転し、中身は泡立っている。
苦もなく受け取るが当然ボトルはぱんぱんに膨らんでいた。
「……飲み物を買ってきてくれるのは助かる。だがこれは開けたら大惨事になるぞ」
「しまった……そんなことはアウトオブ眼中だった。ならこっちは気を付けないとだな。ほい、水瀬さん」
とん、と水瀬の机に置かれる同じく炭酸飲料。
彼女は苦笑しつつも礼を述べる。
「ありがとう」
オレは溜息を吐くと丁寧にキャップを開封する。
ここで勢いよく開ければ部室がひどいことになる。
――カシュッ!
と活きのいい音を立てて炭酸が抜けていく。
ぎりぎりまで上昇してきたが何とか耐えた形だ。
隣りの周防は終始にやにやと笑っていたが何も起こらないと残念そうな顔をした。
「確信犯だったか」
読んでいた本をぱたんと閉じる。
そうすると条件反射的に周防は顔を青くする。
このまえ本でやられたことが身体に染みついているらしい。
まるでパブロフの犬だ。
「いや、悪かった! でも俺からの奢りなんだしこれくらいは目を瞑ってくれ!」
「別にこれくらいの悪ふざけで怒るわけないだろう。ちょうど読み終わったから閉じただけだ」
あからさまにほっと溜息を吐かれると嗜虐心をくすぐられる。
最近になって気付いたことだがオレは人と軽口を叩き合うのが嫌いではないらしい。
集団で生きる中で初めて気づいた自分のことだった。
教室のエアコンが涼しい風を吹かせる中での炭酸も悪くない。
一歩でも部室を出れば廊下は軽度の灼熱地獄なのだろうが。
「そう言えば水瀬さんは今日は実行委員の方はいいのか?」
「ええ、大丈夫よ。前回の会議でひと段落着いたから。あいにく着手できそうな依頼がほとんどなくて暇なのは少し残念」
「俺と八神が頑張ったもんな!」
「まあ水瀬がいない間の依頼は溜めずに消化していたからな。周防には特に働いてもらった」
雨の日の傘の件。
それを理由に結局数日もの間、周防をこき使った。
非情かもしれないとは思いつつ、七割がたの依頼は彼に任せただろう。
それでもこなし切ったのだから重度のシスコンではあるが有能なのは間違いない。
「二人ともありがとう。朝凪祭が終わればちゃんと復帰できるからそれまではお願いね」
「ああ」
「任せとけって!」
するとそこでオレの右耳に付けたEAから声が聞こえてきた。
水瀬と視線が合う。
彼女にも聞こえているらしい。
”一方向通信なので返事は必要ない。水瀬君と八神君には今日中に九狐里神社に向かってほしい。どうやら御神木に異常が発生したという。以前報告にあったヴィンセントによる強制的な霊脈励起のせいで霊脈に何らかの異変が生じているのかもしれない。可能なら対処を、不可能なら報告を待つ”
それだけ言うとEAは沈黙した。
水瀬の報告書にあったヴィンセントによる霊脈の励起。
これにより
かたん、と音がして水瀬が立ち上がる。
「今日はこれで解散にしましょう」
「え、ええ⁉ まだ始まったばかりだぜ?」
「依頼は貴方達が十分にこなしてくれた。もしこれから依頼に来る人がいても書置きを残してもらえれば明日以降に取り組めるはずよ」
「まあ、それもそうだな。実を言うと俺も妹の声が聞きたくなってきたところだ」
「お前のことだ。端末に妹の声を保存しているんじゃないのか?」
その瞬間、周防は跳ね跳んだように視線が右往左往する。
分かりやすく慌てている。
それから開き直ったようだった。
「当然だ! あ、でももちろん合意の上だぞ?」
「ちなみに方法は?」
「……お菓子で釣った」
「それは何というか……卑怯ね、周防くん……」
「な⁉ 失敬な。そこは賢いと言ってほしいな!」
オレも水瀬も周防の妹とやらに同情する。
この男とこの男の妹の将来をわりと真面目に案ずるほどに。
それからオレと水瀬は九狐里神社に向かった。
――……
九狐里神社の階段を登り終える。
以前はオレが土魔法の訓練として訪れたときだったからふた月と少しぶりの来訪だ。
巫女服姿に竹箒という様相で境内を掃いていた椿がすぐに気付いて出迎えてくれる。
「お久しぶりですね、水瀬さんに八神さん。宮司の
そう言われて連れて行かれたのは御神木だった。
正面では九狐里神社の宮司である巫条が胡坐をかいて座っていた。
その瞳は閉ざされ、忙しなく手と口を動かしている。
耳をすませばなんとなく聞き取れるようになる。
「
椿は彼に近づくと声を掛ける。
「巫条さん、お客様です」
「……ああ、椿。案内ご苦労さまです。君は戻っていてください」
「分かりました」
椿は巫条とオレたちに一礼すると境内の方へ戻っていった。
「やあやあ、二人とも四月の『
そう言って視線を御神木――その上の方へ向ける。
「見えますか? 季節は初夏。本来であれば青々と茂ってしかるべき葉が枯れかけてしまっています。まるで初秋のようだ」
「本当ですね……。霊脈異常とお聞きしましたがそのせいでしょうか?」
「ええ、その通りです。四月のときにも言ったかと思いますが御神木はこの地の澱を溜め込みます。あの時から不自然な量を感知していましたがここ一週間ほどはそれがより顕著です。そこで私は霊脈を徹底的に調べてみたんです。何が分かったと思います?」
眼窩の隈が目立つ。
恐らく寝る間も惜しんで原因究明に当たっていたのだろう。
そうであっても失われない知恵者の光が確かに宿っている。
口を開いたのは水瀬だ。
「霊脈は自然魔力の源泉であり、均衡を保つ役割を担う。その異常……私なりに考えるとすれば魔法使いか魔術師か、あるいはそれ以外の何者かが干渉してきているのではないでしょうか。仮に霊脈を完全に掌握したとすれば一生使い切れないような膨大な魔力を手に入れたも同然ですから」
霊脈の特性についてはオレも魔法の基礎知識として覚えている。
――霊脈は基本的に個人で独占してはならない。
〔幻影〕以外にも魔法組織はあるらしいが、それは暗黙の了解であるそうだ。
なぜなら霊脈は超自然的な存在であり、未知数な要素が多いからだ。
それに悪用された場合にはどんな災厄が降りかかるとも知れない。
ゆえに秩序ある魔法使いや魔術師は相互に監視し合い、不用意に使うことを禁じている。
だがあくまでもそれは善意の魔法使いの話だ。
組織に所属しない個人や悪意ある魔法使いからすればまさにパンドラの箱である。
多くの人間にとっては災厄しか生まないものでありながら、悪用する魔法使いにとっては希望の存在でもあるのだ。
水瀬の推測を聞いて、巫条は頷いた。
「優香さんの推測は正しい。私が調査をしたところ、およそ一年前からです。東京に眠る霊脈のうち一脈が浸食されていたことがわかりました。巧妙なことに時間をかけてゆっくりと掌握していたみたいですね。腕利きの魔法使いであればひと月と経たずに制圧できるものをまる一年もかけ、目立った証拠も残さずに活動していたのですから」
話している間にも御神木の葉が舞い落ち、巫条の広げた手のひらに乗る。
弱々しい小ささとくすんだ緑だ。
「ついに掌握作業も佳境に入ったからなのでしょう。気付かれることなどお構いなしに全力で霊脈の支配に乗り出してきています。宮司の私の力でもってしてもわずかな遅延妨害程度にしかなりません。優香さん。零くん。どうか二人の力を貸してくれませんか? きっと手を貸すことで辛い思いをすると思いますが」
深く頭を下げる巫条。
「顔を上げてください、巫条さん」
「引き受けてくれますか?」
「もちろんです。ね、八神くん」
「ああ。ただ――」
「ただ?」
オレの言葉に巫条が怪訝そうにする。
「オレ達でもどうにかなるかは分からないのではないでしょうか?」
「それでも構わないですよ。少しでも不届きな相手を妨害できるのならその間に解決策を模索することも可能ですから」
「そういうことなら」
巫条はオレと水瀬をしっかりと見てから御神木に手を触れる。
すると五芒星が展開される。
「今回は椿は呼びません。彼女は魔力こそ豊富ですが戦闘をしたことは一度たりともありません。御神木と向き合うにあたり、激痛に苛まれる可能性がありますから。優香さんと零くんのように痛みにも慣れている――言い方は失礼かもしれませんが――人なら耐えることができるでしょう!」
どれほどの痛みかは不明だが覚悟はしておくべきだろう。
「では介入します! どうぞ私から離れないで!」
五芒星が一際強く輝く。
その瞬間、世界が歪んだような眩暈に襲われる。
上下左右が分からなくなり、自分の位置が把握できない。
すぐ傍にあったはずの御神木も周囲の環境もすでに見えない。
膨大な情報が脳内に流れ込み、酷い頭痛に襲われる。
やがて視界が像を結び始める。
”八神くん!”
”水瀬……”
かなり強烈だったが事前に覚悟をしておいたのが功を奏した。
最初の段階を過ぎればだいぶ楽になってきた。
”二人ともそろそろ浸蝕領域に到達しますよ!”
その言葉と共に眼前には現実離れした世界が広がった。
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