♰Chapter 24:七大罪と迷宮

オレたちは食後の――というには時間が空いてしまったティータイムを楽しむ。


今回は水瀬を座らせたまま、オレが紅茶を淹れた。

これでも組織子飼いの暗殺者だった時代に教科書通りの淹れ方は教わっているため自信はあった。


まずは自分で一口。


「……上々だな」


まるで見本のような出来栄えだ。

十点満点中十点をあげていい。

だが水瀬の淹れるものと比べると少し物足りない気もした。


「どうだ?」


水瀬は香りを楽しんだ後に一口。


「ふふ、美味しいわ」


満足げに微笑む水瀬だったがオレが視線を外さなかった意味を察したらしい。


「私が淹れるときにはほんの少しだけ塩を加えているの。本場では認められていないアレンジなんだけどね」

「塩、か。今度試してみることにする」


何事も実践あるのみ。

教科書では教えてくれないことでもより良いことはたくさんある。

一つ、トリビアを手に入れたというわけだ。


「朝凪祭の実行委員、大変そうだな」

「分かってくれる?」


水瀬は苦笑交じりに困ったような顔をする。

本当に大変なようだ。


「実行委員じゃないオレには想像することしかできないけどな。何かあったのか?」

「お兄さんの件に片が付いた久留米くんは熱心よ。以前よりも明るくなったとも思う。そんな彼の協力もあって諸々の打ち合わせは順調と言えるわ。それに」


オレをじっと覗き込む。


放課後練習にも積極的に参加してくれているしね」


やや含みを持たせた言い方に『一部』にはオレも含まれていると推測する。


「悪かったな。その一部で」

「冗談よ」


くすり、と笑われる。


「となると問題は何なんだ?」

「一部、という表現には貴方以外も含まれているということ。つまりね、親類縁者が行方不明になるケースが多発しているらしいの。そのせいで欠席する生徒も珍しくない。私たちのクラスでは幸いそんなこともないけれど、他クラス・他学年を合わせると三人ほどが失踪中よ」

「同時期にか?」

「ええ、そうよ。私もそれとなく聞いてみたんだけど基本的に返ってくる言葉は共通していたわ。いわく『最近』『午後七時以降の外出』がキーワードね。〔ISO〕の宇賀神さんにも確認を取って証言が虚言ではないことを確認済みよ」

「盟主は何か言っていたか?」


おおよその予測はできている。

オレも水瀬も、だ。


「”屍者”になった――そう考えているみたい」

「最近のことを思えば妥当な予想だな」


いまだに”屍者”の本拠地がどこにあるのかを割り出すことはできていない。

結城の固有魔法も万能ではない以上、過度な期待は墓穴を掘ることになる。


「あくまでも予測であって確定事項ではないわ。他の犯罪に巻き込まれたということも十分に考えられる」

「ああそうだな。なんにせよ、今のオレたちにできることは少ない。吸血鬼ではアングストハーゼ、ヴィンセントの死亡が確認されたとはいえ、姫咲失踪の件に絡んで東雲を足止めしていた屍食鬼の統率力からゼラの影も見えている。それに加えて吸血鬼の『王』の存在と来る。まだ姿を見せていないが他にも吸血鬼がいる可能性すら捨てきれない」

「まさに八方塞がりね」


動くに動けない。

闇雲に動いても結果は伴わない。

そんなもどかしさがあるのは事実だ。

こうしている間にも暗躍する”屍者”が人を襲っているかもしれない。


結局はまた”屍者”の話まで戻ってくるわけだ。


静かなティータイムは後半に差し掛かっている。


「だとしてもあまり無理はするな」

「心配してくれているの?」


じっとオレの目を覗き込んでくる。


サファイアのような碧眼だ。

紺碧の深海、宇宙を映す夜空の陰。

そこには人を惹きつける輝きを宿している。


濡れ羽色の髪の一房がはらりと滑り落ちる。


深窓の麗人じみた普段の雰囲気とは異なる、時折見せる悪戯っ子のような表情だった。

この場にいない周防の言葉を借りるなら”ギャップ萌え”とでも言うのだろう。


「……揶揄われているようで癪だがまあな。上手く隠そうとしていたみたいだがオレは騙せない」

「どうして?」

「仮にもふた月――いやそろそろみ月もお前と同じ空間で同じ空気を吸っているんだ。嫌でも分かることは増えるさ」

「なんだか変態みたいね」


恐らく『同じ空間で同じ空気』という部分に反応したのだろう。

言葉に対する感度が高すぎて困る。


「言い方は気持ち悪いかもしれないが事実だろう」


そこでオレは一つ知識を明かすことにした。


「例えば水瀬は誰よりも朝早く起きる。そしてガーデンの水やりに精を出す……とかな。特別な用事でもない限り日課にしているだろう」

「へえ、よく見ているのね。手伝ってくれてもいいのよ? それとも八神くんは同級生の女子を上から見下ろすのが趣味なのかしら?」

「そんなわけないだろう」


揶揄われてばかりも癪である。

オレはさらにもう一つ知識を開示する。

真偽不明なれど本人を前にすれば暴くこともできるかもしれない。


「水瀬はコスプレに興味がある」


水瀬が固まってしまう。

カップに口を付ける直前で時が止まってしまったようだ。


「ち、ちなみにソースは?」


願わくば適当な情報源でありますように。

それなら何とか誤魔化せるかも。

そんな思惑が透けていた。


そもそも隠したいことなら最初からソースなど聞かずに断固否定し続けるべきだった。

突っ込んでしまったことで事実だと認めてしまったことになる。

どうやら琴坂は事実を教えてくれたらしい。


「ソースは琴坂」

「律~~!!」


オレが初めて見る全力の赤面顔だった。

琴坂の家で図らずも水瀬の情報を得てしまったのだから仕方がない。

恨むならとことん隠し通せなかった自分を恨むべし。


「コスプレに興味あるのか?」

「……少しね。数年前にハロウィンとかクリスマスとかイベントからハマって。私の暴走があってからはそんなこともしなくなったけど。でも雑誌を見る程度には……ん、それはどうでもいいのよ。それよりも聞いたわよ八神くん?」


雑な切り返しではあるが秘密暴露の地獄から抜け出したらしい。


「今日、楓が倒れたときに進んで血を飲ませてあげたらしいわね」

「ああ、そのことか。事実だ」

「その潔さは清々しいほどだけど……無茶なことをするわね。一度ならず二度までも。一歩でも間違えば貴方自身が”屍食鬼”になってしまっていたかもしれないのよ」

「それは琴坂にも言われたな。姫咲の言葉を信じるなら屍食鬼になる可能性は皆無だ。あの時はあの行動が最善だったはずだ」

「それでも危険だったことに変わりはない。魔法使いもそれ以外の普通じゃない存在も絶対なんて言葉はないから。言葉を返すようだけど貴方もあまり無茶はしないで」

「気を付けよう」


その言葉に込められた意図を水瀬は正確に読み取ったらしい。

彼女も彼女なりにオレとの生活で”八神零”という人間を学習している。

だからこそ”もう一度同じことがあれば必ず同じ行動を取る”と理解するはずだ。


それでもそれ以上の言葉は蛇足にしかならないと察してくれたようだ。


さて、そろそろいい頃合いだ。

コミュニケーションも取れたところでオレは席を立つ。


「どこに行くの?」

「自分の部屋でやることをやったら寝るつもりだ」

「そう。ちなみに八神くんは深夜二時から深夜の三時までに目を覚ましたことはある? 正確には廊下に出たことはある?」


質問の意図が読めなかったが正直に答えることにする。


「ないな」

「一つ、言い忘れていたことがあるの」


あまりにも神妙な面持ちで言うものだからオレも身構える。


「この洋館は私の意識とリンクしている部分がある。だから私が眠ると空間が歪むの」

「……揶揄われた腹いせにしては与太が過ぎるぞ」

「信じるも信じないも貴方次第よ」


どこかで聞いたセリフをのたまう水瀬を残し、オレは自室に戻る。



――……



心象風景は歪んでいた。

上下左右の感覚すらなく、ひたすら拘束されて彷徨っている。

以前は上下感覚くらいは残っていたことを踏まえると良くないことが起きている。


”――馬鹿だな、君は”


声は程なく聞こえてきた。

東雲の件で最後に話したきり、一切の声を掛けてこなかった声だけの存在。

ひと月ほどの空白の時間を経て再びこの世界に引きずり込んだらしい。


「第一声が馬鹿とはひどいな」


呆れ果てたような大きな溜息が聞こえる。


「知っているか? 溜息を吐くと幸せが逃げるんだそうだ」

”誰のせいだと思っているんだか。馬鹿って言うのは本当のことだ。〈 〉から無理に固有魔法を引き出した結果がこれだ。今の君はとても不安定になってしまっている”

「だがオレは消えていない」

”確かにまだゲームは終わっちゃいない。でももう土俵際――チェスで言えばチェック、将棋で言えば王手だ。それでも分からなければ想像してみてほしい。見たことがあるだろう? 器に並々と注がれた水。それが溢れんばかりに山なりになっているところを。今の君はまさしくそれだ。何か少しでも間違えれば君はもう二度と人として機能しなくなるんだ”


漂うなかに人影が写る。

真っ暗な闇にかすかに浮かぶ人の影。

輪郭はひどく曖昧で、辛うじて人影だと分かるだけ。


「お前が、声の主か?」

”――⁉ 〈 〉の姿が見えているの……⁉”

「靄みたいなものだけどな」

”……そっか。〈 〉が薄くでも見えるということは君は本当に気を付けた方が良い”

「どういう意味だ?」

”確実に君の敗北は近くなっているということ。もう二度と無理に固有魔法を〈 〉から強奪するような行為はしないでほしい。身に余る力を使えばそれだけ君への浸蝕は大きくなる。そうなればきっと、もう――”


何が言いたいのかは分からない。

だがあの時のように無理に行使した魔法は後々、オレの首を絞めることになるらしい。


薄い靄はオレのすぐ傍まで来るとそっと身動きの取れないオレの頬に触れた。

体温を感じない、ただの微風のような感触。


”君が力を欲しているのは分かったから。それに君は魔法使いとしての力量にも少しずつ磨きがかかってきている。だから――〔暴食の罪鎖〕は君の自由に使えるように完全譲渡する”


オレと靄の間に刻印が出現する。

以前固有魔法を貸与された時には毒々しい血液の塊のようなものだったが、今回は繊細な紋様が施された印なのだ。


”――契約する。我は罪を司るもの。悪辣なる傲慢。飽くなき強欲。燃えるような嫉妬。冷めやらぬ憤怒。溶けるような色欲。清濁砕かんとする暴食。全てを黙認する怠惰。我が刻印によりて、汝は悪食の罪業をその身に宿すだろう。〔譲渡〕”


刻印が一際輝くとオレの身体にしみこんでいく。


”暴食の罪鎖。魔力を吸収して行使者本人に一部を還元する魔法。君の技量だとまだ数本程度の具現が限界だろうけれど。それでも自分の意思で使えるようになるメリットは大きいはずだよ”

七大罪セプテム・ペカト――それがオレの固有魔法の正体か」

”当たり。前に言ったでしょ? 『君は特別な魔法使い』。とっておきの七大罪魔法が宿ってる。でも今はそのうちの一つを譲渡しただけ。他はまだ貸与することしかできない。いいかい? 絶対にもう二度と 〈 〉から魔法を強奪しないでほしい。これは〈 〉のためだけでなく、君のためでもあるんだ。無茶をすればそれだけ君は君自身を殺すことになる。そうなればかつての少女に、もう会えなくなってしまうんだ”


悲しげな声音の要因は分からない。

声の性格からすると追及しても絶対に答えないだろう。

それでも真剣さだけは伝わってくる。

同時にそれが単なる脅しではなく、本気の忠告であることも。


「肝に銘じておく」

”その言葉を信用するよ。いつかきっと、全部が上手くいったときに心から笑えるように”


相変わらず言葉足らずな声は残響を伴って消えていく。

心象風景への滞在時間の限界を迎えようとしているのだ。


声は確実にオレのことを知っている。

だがオレにその覚えはない。


どこかで会っている。

だがどこでも会っていない。


この迷宮の答えはまだ見つかりそうにない。

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