♰Chapter 25:ウォーミングアップ

「あ~! 八神くん!」

「よ、八神」


放課後になるとオレは第二体育館に向かっていた。

その道すがら背後から笹原と錦が声を掛けてきた。


「お前が放課後練習に参加するなんて珍しいな。なんだ、サボりとか言われて気にしてんのか?」


どうやら二人の中でもオレは不真面目枠に含まれているらしい。

反論したい気持ちはあるが数えるほどしか参加していないのも事実なので諦める。

だがそのまま認めるのも癪というものだ。


「まさか。今日は用事がなかったから参加するだけだ」


目的としては一つ。

今夜、槍使いと再会する。

その時には戦闘になることも十分に考えられる。

殺し合いを前提としたものではなく、小競り合い程度の接触だ。


午後の授業は朝凪祭の練習とはいえ、放課後も念には念を入れウォーミングアップにちょうどいいと思ったのだ。


「思えば確かにお前は誰かが何かを言ったところで簡単には行動を変えないよな。うっかりしてた」

「ほらほら錦くん。折角八神くんも参加してくれるんだし絡まないの!」

「そうだぞ、錦」

「笹原を味方に付けるとは卑怯だな……」


そんな下らないやり取りをしているうちに第二体育館に到着する。

すでに開錠されており、中には四十人ほどが集まっていた。

学年もクラスもバラバラな顔ぶれだ。


「今日はペアダンスの練習だと」

「……もしかするとだが」


オレは嫌な予感に苛まれる。

今日の練習が何か確認していなかった自分が悪いと言えば悪い。

ペアを決めていないオレにとって、そこは針の筵と呼ぶべき空間に仕上がっている。

錦と笹原はペアだからいいが。


オレの境遇にオレ以上にいたたまれなくなった笹原が提案をしてくれる。


「ええと、ね。もしあれなら錦くんと交代でわたしと踊る……? 錦くんもいいかな?」

「別にいいぞ。一回一回休める分、気楽なもんだ」


二人が気遣ってくれるのはありがたいが彼らにとって迷惑千万とはこのことだろう。

いまだにペアを組んでいない者や外部の人間とペアを組む者は必然的に孤立しがちだ。

そういう人間は他のペアに混ぜて貰って練習するか、あるいは学校貸し出しの模範演技映像を収録したディスクを持ち帰って練習するほかない。


代打で水瀬をと思うが彼女は打ち合わせ会議の真っ最中だ。

練習には遅れて参加すると聞いている。

つまりオレには錦・笹原ペアに厄介になる選択肢しか残っていないわけだ。


「悪いが頼める――」

「八神くん?」


不意に呼ばれ振り返ると神宮寺が訝しげな顔をしていた。


「それに錦くんと笹原さんですよね? 三人で向き合ってどうかしたんですか?」


そこで誰よりも早く悪知恵を働かせたのは錦だった。

にかっと笑いながら状況を打ち明ける。


「聞いてくれ、神宮寺さん。八神がまだペアを決めてなくて俺たちと踊るかって話してたとこなんだ」

「そうなんですね」


神宮寺はちらりとオレのことを見る。


「神宮寺さんは一人か?」

「ええ、わたしもペアを決めあぐねているんですよ」

「ならちょうどいい! もしよければこいつと踊ってやってくれないか?」

「わあ! それはいい考えだね!」


それからオレに視線が集中する。

口を挟む間もなくあっという間に変な流れが出来上がってしまっていた。


「……分かった。神宮寺さえよければお願いしたい」

「ふふ、喜んで」


制服のスカートの裾を控えめに持ち上げ、礼をする。


凪ヶ丘高校の女子制服は元々スカート丈が短めだ。

ソックスとスカートの間――いわゆる絶対領域が広がる様子はやや破壊的である。


「っ!」

「……はあ、男の子って欲望に素直だよね」


錦がどぎまぎと息を飲み、笹原は呆れたような溜息を吐いた。



――……



体育館内に舞踏曲が流れると各々が踊りを披露した。

途中で躓いたり間違えてしまったペアが途中リタイアしたり、逆に新たなペアが途中参加してきたりと入れ替わりの激しいダンスとなった。

そのなかで小一時間ほど踊り倒すオレと神宮寺のペアは異常だった。


ごく一部ではあるが大したミスもないオレたちに注目している者もいる。


「ふふ」


手を取る神宮寺が楽しそうに笑った。


「どうかしたか?」

「いいえ、八神くんならぶっつけ本番であったとしても完璧にこなしてみせるんじゃないか……そんな風に思ってしまったんです」

「あまり声を大にしては言えないが一応職業柄当然のことだ」

「それならわたしも同じですね。社交界で舞踏は定番ですから」


きゅっと華麗なターンをして見せる。

オレがエスコートするまでもなくお互いに息は合っていた。


つい最近――ひと月半ほど前に東雲とも踊る機会があったが彼女よりも神宮寺の方が滑らかな動き方だ。

だからといって東雲を下に位置付けているわけではない。


例えるならそう。

東雲が苛烈な雷であれば、神宮寺は沈着な風のような雰囲気だ。

どれか一つの動作をとっても踊り手次第で魅せる表情が全く違うのは面白いところだ。


「そろそろ一週間ですね」

「……驚いた。遠回しに断ったつもりだったんだが諦めてなかったのか」


雨の日の放課後、オレは婉曲ながら神宮寺とのペアを断っている。

少なくともオレはそのつもりで鈍くない彼女もそれを理解していると思っていた。


「八神くんの断り文句は受け取ったつもりです。でもわたしは諦めの悪い性格ですから」


にこっと笑う神宮寺はどこか無敵を感じさせる。


「いい性格をしている」


同時にオレは納得する。

これくらいの強情さがなければ財界の一派閥の家に生まれた者として役不足なのだ。


「ペアの件、わたしでは不満ですか?」

「不満はない。ないが――」

「が?」


曲は終盤に差し掛かってる。

恐らくこれが最後の問答になるだろう。


「正直に言えばお前を純粋な目で見れない。裏を勘繰ってしまう」

「そう……ですよね……」


表情が暗くなる。

悲しそうにする彼女に虚構は見られない。


「だから舞踏の件についてはこれっきりだ。今日は練習に付き合ってくれてありがとう」


そこでちょうど曲が終わった。

錦と笹原がタオルを持って近寄ってきている。


「こちらこそ、お付き合いいただいてありがとうございます。本音を聞いた以上、この件ももう掘り返しません」


一応の理解は得られたとみていいだろう。

事実神宮寺に感謝してはいるが一切信頼できないのもまた事実だ。


彼女はともかく、彼女の家は裏社会を嫌悪している。

そしてその家督は彼女の両親のどちらかが握っていることだろう。

たとえ学校という空間であっても不用意に近づきたくはない。


「お疲れ~!」

「乙~!」


オレと神宮寺にそれぞれタオルが手渡される。

小一時間踊り倒していると流石に汗が滲んでいる。

程よく身体は上気し、すこぶる快調だ。


「にしても凄かったな二人とも。俺が見る限りミスなんて無かったぜ!」

「ね~! あれだけ長くダンスしててそれは凄いよ!」

「ありがとうございます」


神宮寺は微笑んで応対し、オレは言葉なく適当に頷いておく。

それが目に留まったのか、笹原が弄ってくる。


「特に八神くん! これは放課後練習を来てなかったことを弄れませんな、錦殿」

「そうだな、笹原くん」


二人してにやにやとオレを見てくるので早々に視線を外した。


「照れなくてもいいのに」

「……誰も照れてない。それよりも笹原も錦もミスが目立っていたぞ」


その言葉に二人とも目を丸くする。


「……まさかとは思うがあれだけ神宮寺さんと踊っておきながら他のペア見る余裕もあったのかよ?」

「視界の端に映っていたからな」


揶揄いに対する意趣返しのつもりで放った言葉。

それが彼らにとっては意外だったらしい。

慣れれば視野は広がるし、慣れるまでは視野が狭まる。

そういうことだろう。


思ったよりも会議が長引いていると思われる水瀬と話したいこともある。


「今日はこれで帰る」

「お、そっか。神宮寺さんはどうする?」

「わたしも寮に帰ります。本格的に踊って疲れてしまったので」

「俺たちはもう少しやってくか」

「そうだね。二人に負けてられないし!」


オレと神宮寺は錦と笹原に別れを告げると第二体育館を出る。


神宮寺は寮なのでここからすぐに直帰するだろう。


「神宮寺、例の件についての進捗を報告させてくれ」

「何か進んだんでしょうか?」

「まあ、進んだと言えば進んだかもな。うちの学校の関係者でも消息不明の人間がいることはお前も知っているだろう?」


その言葉に痛ましいものを突き付けられたように胸に手を当てる神宮寺。


「ええ、把握しています。でもそれと進捗に何の関係が……?」

「段々と吸血鬼の動きが大胆になってきている。裏を返せば事を急いでいるとも取れるだろう」


そこまで言えば彼女は理解してくれる。


「つまり追い詰められているということ、ですね」

「ああ。だからこそまったく油断はできないがな」

「分かりました。わたしの方でもできることがあれば遠慮なく言ってください」

「助かる」


それから寮に向かう神宮寺とは別れ、オレは一通のチャットを水瀬に送る。

やはりまだ打ち合わせらしく既読も返信もない。


正門の柱に寄りかかり、しばらく待つことにした。

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