♰Chapter 9:伽藍洞の心
「ペア……? 相棒の言い換えか?」
「…………」
覚悟をしたことが馬鹿らしくなったのだろう。
額に手を当て、呆れられる。
このタイミングで茶化すのは流石に悪かったと反省する。
「冗談だ」
「ならなぜそこで茶化したのよ……」
「すまない。覚悟を決めた人間に素っ頓狂な言動をしたらどうなるか……ふいに一種の試行実験をしたくなったんだ」
「何も今しなくてもいいとは思うけど……。でもこのマイペースな感じが八神くんらしいと言えばそうよね」
水瀬はそれからオレの返事を待つ。
落ち着いていて物憂げな雰囲気さえ感じる眼前の少女が若干そわそわしている。
その様子が面白く思えてきた。
趣味=人間観察のようなオレだが、自分が底意地が悪いことは分かっている。
「正直に言えばこれで誘いを受けるのは二人目だ」
碧眼が驚いたように開く。
流石にその答えは想定していなかったらしい。
「——意外。八神くんは特定の人としか話さないイメージがあったから」
「暗にコミュ障と言われている気がするな」
「一人目は誰だったの?」
「
「へえ、そうなんだ。受けたの?」
微妙な表情をしている。
何とも言い難すぎて引っ張ろうとは思わない。
「遠回しに断った。だからこっちにその気がないことはきっと彼女にも伝わっている」
「そう」
複雑な面持ちは変わらない。
「オレはまだペアを決めるつもりはないんだ」
「それはなぜ?」
「単純なキャパオーバーだ。最近は何かと忙しいしな。屍者の件とか」
「そんなことを言ったら私も出れないことにならない?」
「……お前には下手な誤魔化しは通用しないか」
オレは溜息を吐く。
「誰と組むにしてもデメリットが大きいんだ。神宮寺はオレや魔法のことを探ってくるかもしれないから少しも気を抜けない。今はまだ処置をしていないから接触はできるだけ減らすべきだと考えている。そしてお前は四月ごろにも言ったと思うが注目を集めやすい容姿をしている。同じ部活の部員とはいえ男の嫉妬は女と同じくらい醜いものだぞ」
女の嫉妬とは質が悪い。
表向きは仲良くしているように見えたとしても裏では詰り合っていた、なんてことは古今東西珍しくない。
一方で男の嫉妬も醜いのは確かだ。
取り繕う気もなく憎しみの視線を向けられるなど気分がいいわけがない。
要するにオレは面倒ないざこざに巻き込まれたくない。
「それが本音で間違いはなさそうね。でもそれなら貴方は誰とも組めなくないかしら?」
「だから決められないんだ。妙案あれば求む」
水瀬は不満そうである。
ここまで感情をあらわにする彼女は見たことがない。
「いま貴方を誘った人がいるのにその人に代案を要求するの?」
「……珍しいな。お前がそこまで感情をむき出しにするなんて」
普段の水瀬ならここまで食いついては来ない。
少なくともここ数か月でオレはそう認識していた。
それが今はあまり機嫌がよくなさそうだ。
「私の容姿を褒めてくれるのは嬉しいけれど、複雑なのも理解してほしいわ。気付いてる? 八神くんは四月からほとんど自分の気持ちを言わない。周囲の目ばかりを気にしている。それが暗殺者であることの性なら私も深く踏み込むことはできないけれど同時に納得もしづらいの。全てを取っ払った時の貴方は本当のところ、どう思っているの?」
じっとオレの奥が覗かれている。
――よく見ているんだな。
オレは客観的な感想や分析はしても自分から欲望を出したりはしない。
あれがしたい、これがしたいといった欲求は人間にとって必須であるはずなのに。
欲望は感情にも直結する。
裏返せば感情表現が死んでいるオレは欲望ですら死んでしまっている。
ならば自分がどうしたいかなど分かりようがない。
だから。
だからオレは結果を求める。
良い結果と悪い結果の区別は分析できるから。
有益か不利益か。
それが最も信用できる自分の判断基準だから。
したがって導き出された結果は、現状を回避するための保留だった。
挙句、舞踏競技は適当な理由を付けて休んでもいいとすら考えていた。
「……全てを取り払ったら。そう言ったな」
「ええ」
「そうしたら多分何も残らない。何も選べない。オレは今あるモノすら手放したなら完全な伽藍洞だ」
オレはとっくに不完全な伽藍洞だ。
いつかの少女に復讐されるために生きる。
贖い切れぬ罪を負い、禊切れぬというのに善行の真似事をする。
それだけが完全な伽藍洞になり切らない理由であり、今を生きる意味。
自死という安易な手段は決して取ってはいけない。
必ず報復者の手で、残酷なまでの苦しみを受けながら。
過去を懺悔しながらその命を散らすまで。
そのときこそオレは完全な伽藍洞になるのだ。
――ああ、まったくおかしな話だ。
人間とは根本的に自分のために生きる生き物だ。
一切の見返りなく他者のために生きる者など普通は存在しない。
勉強、仕事……何でもいい。
理由はどうあれ例外なく自分のためにしていることのはずだ。
中には人の役に立ちたいから――そういう人もいるだろう。
一見他者のためを装っていたとしてもそれは己が良いことをしたという充足感を得るためであり、自分から自分への見返りのためにしているだけ。
どんなに高尚な言葉や思想で飾ろうともその本質は自分のためにしていることに相違ない。
ならオレはどうだろう。
彼女はこの歪み切ったオレに全てを捨てて、その上でオレ自身のために何かを選べというのか。
「八神くん……」
オレの名前を呼ぶ水瀬には葛藤が見える。
言葉をかけるべきか、かけないべきか。
――答えは簡単だ。
どんな言葉でも今の彼女が発する言葉に意味はない。
薄っぺらく軽いものになるだけだ。
それを分かっているからこそ、彼女も躊躇っているのだ。
もしも言葉が意味を持つのだとすれば、それはオレの過去を水瀬に知られたとき。
そのときが万が一にでも来るのだとすれば響くこともあるかもしれない。
「ああ、すまない。柄にもなく変なことを言ったな。とにかくそういうわけだ。今夜はそろそろ帰ろう」
ぎゅっと自分の手を握り込む水瀬。
それを見てオレは彼女の弱さと共に強さを知った気がした。
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