♰Chapter 8:帰り道
久留米宅を去り、周防とも駅で別れた。
すっかり日は暮れている。
夜の都市部は人工の灯りに満ちている。
自動車のテールランプが尾を引き、一つの軌跡を残していく。
それらが幾つも通り過ぎていく。
「水瀬」
「うん?」
何気にこの時間帯に一緒に歩くのは数えるほどである。
彼女の碧眼が周囲の光を反射してより宝石のように綺麗だ。
「久留米の兄のことだが」
それだけの言葉でオレの言わんとするところを理解してくれたようだ。
「そうね。八神くんの言おうとしたこと、多分合っていると思う。久留米くんのお兄さんが屍者に遭遇してしまった可能性は高いわ。見てしまったという緋色の瞳、そして人間を襲う習性から十中八九ね。五月末だと言っていたからすでに死亡しているアングストハーゼやヴィンセントの可能性も捨てきれないけど……あそこまで精神的にまいっていると私たちからあれ以上の詳細な聴取もできそうにないわ」
「そうだな。久留米自身は必要な情報を聞き出してくれるとは言ってくれたが、思い出すたびに恐慌状態になってしまうなら事実上厳しいか。……兎にも角にも現地調査に踏み切ろうというわけだがオレの危惧していることは分かるか?」
「ええ。依頼を”猫の手部”として受けてしまったことでしょう? 私や八神くんはともかく周防くんは魔法の魔の字も知らない一般人。万が一にでも深く関わってしまえば命を落とすことにも繋がってしまう」
オレは肯定の意味を込めて頷いた。
魔法使いは極力その力を隠し通すことが暗黙の了解になっている。
良識ある魔法使いにとっては、無用な人殺しを避けるため。
魔法を知り、より深く魔法に関わっていこうとする一般人が出てきてしまえば彼らが世界の理に消されてしまうから。
非常識な魔法使いにとっては、最大かつ最終的な自衛のカードを隠すため。
短慮に異能を使えば社会の注目を集め、生きづらくなる。
いくら一般人より強いと言っても魔法使いの数は圧倒的に少ない。
武装した公的機関に拘束・尋問されれば、情報を絞りつくされた後に実験用モルモットなんて扱いもあるかもしれない。
したがって、魔法が世間一般に広く知られてしまえば碌なことにならないことは誰にでも想像がつく。
だから魔法使いは一般人に紛れて生活をしているのだ。
「そのことならちゃんと考えてあるわ。だから現地調査には私たちが行くし、彼にはネット上の監視をお願いしたんだもの」
「彼がそれで満足すると思うか……?」
自分以外の部員は現地調査までしているというのに、一人動かずじっとネットの海を探索する。
それは疎外感を増幅させる可能性が高い。
役割を与えられたということに満足しているのは今だけで、今後は不満を抱くかもしれない。
最悪なのは暴走して勝手に動き始めることだ。
手綱を握れない馬ほど厄介なものはない。
「最初は上手くいく……けれどもし新たな情報が出てきてしまったら関心に歯止めが利かなくなる、か」
「”猫の手部”を作ってから初めてぶつかる大きな溝だな。魔法使いのオレ達と一般人の周防との深い、な。そしてこれからも部員が増えていくのだとすればその溝はより大きく深くなる」
「そうね……確かにこのままじゃいけない。八神くんには何か考えはある?」
オレは一度思考して二つの選択肢を示す。
「選択肢は大まかに二つ。一つは異能系の案件については部分的に秘密とし、一般部員には危険の少ない部分のみを担当してもらう。だがこれはすり合わせが難しいうえに限界がある」
「もう一つは?」
「オレたちの素性を部員のみに話してしまうことだ。そうすることでオレたちの言葉に真実味が増す。例えば危険だと言えば魔法使いの言葉なら……と勝手な行動を抑制することになるだろう?」
オレの示した二つの選択肢を咀嚼したうえで水瀬の表情が曇る。
「……貴方の言うとおりね。今回魔法や吸血鬼のことを隠し通せたとしてもこの活動を続ける限り、きっとまた同じような依頼が舞い込んでくる。そうなったとき、毎回秘密を抱えながら動くことは難しい」
「オレたちで決断できることでもないはずだ。いま盟主に相談してみるのはどうだ?」
「そうしてみる」
ちょうどコンビニを見つけたオレは水瀬を入口に残して店内へ。
放課後に寄り道をして帰るのも学生の楽しみの一つだと読んだことがある。
せっかく高校生をしているなら体験してみたいと思うのも人情だろう。
一般棚、冷凍コーナー、冷蔵コーナーと一通り見たところで、アイスがいいだろうと判断する。
六月末に差し掛かるこの頃はすでに三十度に近い気温を叩き出している。
それも年々暑くなっているようで真夏が到来することに忌避感を覚えるほどだ。
コーヒー味のラクトアイスを選ぶ。
パキッと二つに割れるので水瀬と一本ずつでちょうどいいだろう。
会計を済ませて外に出ると水瀬はバリカー――車止め用の柵に寄りかかり夜空を見上げていた。
あまりにも絵になる構図だったがいつまでも見ていると気付かれてしまいそうだ。
いつも以上に足音を消して近寄る。
それから頬にアイスを当てた。
「ひゃっ……!?」
勢いよく立ち上がり、距離を取る水瀬にやはり猫のようだと思う。
もしそうなら毛並みは逆立っていたことだろう。
「冷や?」
「な、何をするの!? それとその冗談はひどいわよ?」
きっと碧眼が睨みつけてくるが大した本気度は伝わってこない。
驚かされたことに怒ってはいるものの、変な声を出させられた羞恥が勝っていると見える。
「ひどい冗談しか言えなくて悪いな。相棒が呆けていたから悪戯したくなったんだ」
水瀬はまだ頬に触れており、冷感が残っているらしい。
それでもまたゆっくりとバリカーに寄っかかった。
「ん」
右手を差し出してきた。
オレはラクトアイスを割り、一つを握らせる。
すると急にオレの頬にそれを当てた。
「……確かに冷たいな」
「……それだけ?」
「それだけだな」
思ったような反応をしなかったのが悔しいのか、複雑な表情だ。
「もしかしたら八神くんの意外な一面を引き出せるかもって思ったけど叶わなかった」
「感情が死んでるからな。それとこれでお相子だな」
その一言にちらっと水瀬の視線を感じたが結局言葉はなかった。
「それでよかったか?」
「アイスのことならええ、ありがとう」
くすっと笑う。
オレが強引に引き出したものも含めて今夜の水瀬は色々な表情を見せてくれる。
「なぜ笑う」
「そうね……このまえ姫咲さんと出掛けた帰り道、八神くんが何を買ってきてくれたか覚えているかしら?」
ほんの数日前の出来事で忘れる方が難しい。
だが改めて思い返せば水瀬の言わんとするところが理解できてしまった。
「……アイスだったな。だが前回はアイスクリームだが今回はラクトアイスだ」
「言っていることは正しいけれどアイスはアイスよね?」
「……認めよう。オレの負けだ」
「ふふ、素直で大変よろしい」
オレは自身の買うもののレパートリーの少なさにわずかな嘆きを感じつつ、容器を咥えコーヒー味を味わう。
何事につけ、珈琲とは至高の逸品である。
オレに言わせれば人類の飲み物の中で叡智とも呼ぶべき革命は珈琲である。
ゆっくりと時間が流れていく。
「さっきの件、盟主から返答を貰えたわ」
「そうか」
水瀬は一度深呼吸すると口調を真似る。
「”猫の手部”の有用性は未知数ではある。我々は組織だ。だから動きが鈍くなる場合もある。その点でいえば君達のそれは自由度が高く、私の思いもよらない方向で異能犯罪を見つけ出すかもしれない。とまあごちゃごちゃと並べてみたはいいものの、水瀬君たちが”猫の手部”を作ると聞いた時点でいつかこういう問題には直面すると思っていたよ。結論として、魔法使いについて話すことは許可する。ただしあまり深くまでは話さないように。話したことによる弊害があったならそれも自分たちで何とかするように」
「内容は理解したが……その口調は真似る必要があったのか?」
普通に要点をかいつまむだけでいいと思うのだが、わざわざ水瀬は口調真似をした。
その意図を汲み取れなかったオレは疑問符を浮かべる。
水瀬は小さな咳払いをする。
「んんっ! き、気分よ。深くは突っ込まないでくれると助かるわ」
「了解。とにかく許可が貰えたなら明日にでも打ち明けるとするか。下手な行動に出られる前に止めておくべきだ」
「ええ、そのつもりよ」
最後まで食べ終えると容器をゴミ箱に捨てる。
ほぼ水分のアイスに使うべき言葉ではないのかもしれないが、小腹は満たされた。
オレは歩き出すが水瀬はついてこない。
「水瀬?」
「ねえ。さっきまでの話とは全く関係ないけれど、このまえ私が八神くんに何かを言おうとしたこと覚えてる?」
記憶をたどるとすぐに答えは出た。
「最初の屍食鬼と出会う直前――歩道橋の上だったな。そういえば聞いていなかったが何を言おうとしていたんだ?」
水瀬は俯き加減であり、表情は読めない。
だがすぐにこちらを碧眼が見据える。
「――私の、ペアになってほしい」
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