♰Chapter 7:緋色の瞳

放課後、久留米を先頭に”猫の手部”の面々は駅で電車を待っている。

雑踏やホームアナウンスの音こそあれどオレたち四人の間に会話はない。


午前中のうちに今朝の件を伝えておいたから、水瀬も依頼の件は把握している。

オレと同様に久留米に聞きたいことはあるはずだ。

それでも言葉がないのは依頼した本人が家まで来てくれれば分かるの一点張りで道すがら話そうとはしないからだ。


そんな沈黙の空間に気を遣ってだろう。

周防がオレと久留米の肩に腕を回し、端末の画面を見せる。

水瀬にもちょいちょいと近寄るように合図まで送っている。


「なな、俺の妹は可愛いだろ?」

「……言うに事欠いてその一言か」

「周防くんは、なんというかいついかなる時も平常運転よね……」


オレも水瀬も呆れ気味である。


「いいだろ? 可愛いは正義、かっこいいは悪だ!」

「後者はお前が適当に付けただろう」

「バレたか」


悪びれない笑みはいつも通りの周防だ。


場の空気を和ませたいという意図までは評価できた。

その点に限って言えば見直そうかと思っていたくらいだ。

しかし蓋を開けてみれば妹の話題と来たか。


――分かっていた。分かってはいたが誰にでもその話題から振るのはどうなんだ。


「へえ、可愛いじゃん」

「……へ?」


久留米が周防の妹談義に素直に反応したことも意外だった。

だったのだがそれ以上に意外なことが起きてしまった。


一斉に全員の視線が水瀬に向いている。

今までに聞いたこともない間の抜けた声にオレでさえも例外ではなかった。


慌てたように手で口元を覆っているがその時点で何も隠し切れていない。


「その、あれよ。周防くんの独特な話題について行けそうな久留米くんの反応が意外だったというか、なんというか……」


ここは話題の矛先を彼女から逸らすのに、少し手を貸すことにする。


「確かにな。周防のシスコンっぷりに素直に同調する人間がいることに驚いた」

「おいおい、二人して酷いな。好きなものは好きなんだから仕方ないだろ!」

「……はは」


静かに笑うのは久留米だ。

制服のポケットに手を突っ込んだままオレたちを見ている。


「なんか、いいな。八神も水瀬も周防だけの話題に溜息を吐くふりをしてもちゃんと付き合ってる。周防も二人に目一杯投げても返してくれると分かってるから安心して会話のキャッチボールを楽しんでいるみたいだ」

「お、そう見えるか! まあ確かに八神たちがいてくれるからはっちゃけられるってのはあるかもしれないな。いつも感謝してるぜ? 八神に水瀬さん」


急にそんなことを言われると身体中がむず痒くなる。

だからオレはそれをそのまま表現することにした。


「痒い」

「私はどういたしまして、と言った方がいいのよね?」

「ああもう、いい場面なのに台無しだな……」


水瀬も周防も微笑を浮かべている。

そんな和やかな雰囲気であるが久留米はほんの一瞬寂しそうな顔をした。

暗殺者のオレでなければ表情の機微を見逃していたであろうわずかな変化。

その真意を尋ねる前に電車が来てしまった。



――……



「ここが久留米くんの自宅」

「心が落ち着くな。やはり一般家屋がいい」


オレの言葉に久留米が疑問符を浮かべた気もするが流す。

普段から洋館や屋敷などの大きな家を見ているため、普通サイズの一軒家を見ると地元に帰ってきたような安心感があるのだ。


「お邪魔します」

「両親は出張中でいないからかしこまらなくていい。だが兄さんと接するときは刺激するような言葉は避けてほしい」

「例えば?」

「――血や肉だ。他にもそれらを連想させる言葉は控えてくれ」

「一体これから何を聞かされるんだ、俺たちは……」


周防の言葉はオレと水瀬の代弁でもある。

玄関を抜け、階段を上がり、二階の一室の前に立つ。


「……ここが兄さんの部屋だ」


互いにアイコンタクトを交わし心の準備を整える。

それからこんこんこんと三度のノックが響く。


「兄さん、俺だ。このまえ話した”猫の手部”を連れてきた。きっと兄さんの力になってくれるはずだ」


扉を開けるとそこは真っ暗だった。

カーテンは閉められ、明かりは灯されず。

夕方だというのに夕陽も差し込まない。


淀み切った空気に息苦しさを覚えるほどだ。


部屋は荒れ放題でベッドの上にこんもりと布団が盛り上がっている。

ベッドを皿に例えるなら、その上におにぎりが載っているようなイメージ。


久留米兄は膝を抱え、布団の奥から生気のない瞳でどこかを見つめている。


「カーテン、開けるよ」

「ひっ……!!」


橙色の光は部屋全体に行き渡る。

久留米兄は怯えたようにさらに布団にくるまってしまう。


久留米の視線を受け、水瀬が近寄る。


「初めまして。凪ヶ丘高等学校で”猫の手部”という部活をしている水瀬です。後ろの彼らは八神くん、そして周防くんです」


虚ろな瞳をしている彼に向けて一応会釈をする。


「久留米くんのお兄さんが私たちに依頼をということで伺ったんですが……話していただけませんか?」


長い沈黙。

男の視線は小刻みに往復を繰り返しており、手足の指先も震えている。

違法薬物でも疑う異常状態ではあるがそういうことではないのだろう。


水瀬はゆっくりと彼の手に自分の手を重ねる。

人の体温には心を落ち着かせる力がある。

それを知識として知っているわけではなさそうだが今の彼には効果的な処置だ。


さらにしばらくしてぽつりと話し始める。


「……き、聞いてほしいんだ。俺に――俺たちに何があったのかを」

「ええ、しっかり聞いています。だから話してください」

「……五月三十一日。その日、俺は大学の仲間数人と一緒に度胸試しをしようとしたんだ。理由は本当に下らないものだった。一人がSNSでよく人が消えるっていうスポットを見つけて、俺たちは興味本位で面白がってしまったんだ。『こんなの嘘に決まってる』『馬鹿馬鹿しい』ってさ。軽い気持ちだったんだ」


手足の震えがより顕著になる。

記憶を辿っている以上、衝撃的なものであってももう一度思い出すことになる。

俗にいう追体験――それがトラウマなら辛いことだろう。


「その夜、噂の川崎の工場地帯まで出張った。最初はその規模感と夜景に目を奪われたよ。噂なんて抜きにしてもここに来た甲斐はあったと思った。でもそれがいけなかったんだ。俺たちは……気を大きくして、より奥に踏み込んだ。あぁ……でも本当に出来心だったんだ……本当だ! 本当の本当に殺されるようなことをする気はなかったんだ……!!」


布団の裾を寄せ集めるように強く握りしめている。


「落ち着いてください。今ここには久留米くん――優馬くんとそして私たちがいます。貴方を傷付けるようなことは何もありません。ゆっくりでいいですから」


水瀬の諭すような、慈愛さえ感じさせる声音が部屋を満たす。

荒い吐息がようやく穏やかになっていく。


「……し、しばらく歩き回っていると鉄扉が半開きになった倉庫を見つけたんだ。それで、それで――っ!!!」

「兄さん……!!」


だがそれも束の間だったようで、恐怖から自傷しようとした彼を久留米が止める。

布団に隠れていて見えていなかったが彼の腕には裂傷が縦横に走っている。

爪の間に赤味が残っていることから、恐らくは自分で引っ掻いて作った傷。

よく見れば布団にも血痕のようなものがある。


「見た、見たんだ……!! ひ、緋色の目を!!!」

「緋色の、目……?」

「長い爪、鋭い牙……みんな、みんな切り裂かれたんだ! 信じられるか……目の前で紙屑みたいに吹き飛ぶ友達を目の当たりにしたんだ……。じわじわと染みていく血を! 何も、何もできなかった! 助けることも逃げることも!! 俺は見殺しにしてしまったのか……あいつらを……そう思ったら怖くなって、苦しくてっ……!! う、うあああああああああああ!!!!」


自我を失ったように暴れ回る彼はもう手が付けられない。


「ごめん……! 一度お前たちは下に行っててくれ!!」


久留米はただ辛そうにそんな兄を落ち着けに掛かるのだ。



――……



十五分くらい経っただろうか。

久留米宅のリビングに久留米が姿を見せたのはそれからだ。


「その傷……」

「ああ、兄さんを落ち着かせるために少し」


頬の傷は爪で引っ掻かれたものだろう。

手当てするほどのものではないが傷を負わされた事実が心を摩耗させていく。

疲れ切ったように久留米は腰を下ろした。


「これまでに診てもらったカウンセラーたちも言っていた。兄さんはきっとどこかが壊れてしまったんだ。それでも気を紛らわせようと時々俺は学校でのことを話して聞かせたんだ。それで唯一反応らしい反応をくれたのはお前たちが創った部活だったんだ。蜘蛛の糸にもすがる気持ちでお前たちに会わせて少しでも正気に戻ってくれれば……そんな期待も叶わなかったな」


それから頭を下げた。


「ごめん。嫌な思いをさせて。本当はお前たちを出汁にしただけなんだ」

「謝る必要はないと思うぜ。久留米が大変な思いをしているってのは伝わったしな」

「この件についてはオレも周防に同意だ」

「お前たち……」


久留米が再び頭を下げようとしたとき、水瀬がそれを止める。


「待って。久留米くんの口から聞いておきたいことがあるの。貴方が望むことは何かしら?」

「望むこと……俺はただ兄さんにああなる前のいつもの兄さんに戻ってほしいだけだ。ほんの一か月くらい前、それまでの少し自信家で頭が良くて面白い、頼れる兄さんに。他には何も望まない」


久留米は兄を尊敬しているのだ。

駅で垣間見せた悲しげな表情も発作で会話もままならない兄を想ってのことだろう。

周防の見せた妹の写真にもしかすると兄を重ねていたのかもしれない。


オレにはそういった想いを心の底から理解することはできない。

だが『もしかしたらもういつも通りの兄に戻らないかもしれない』——そんな考えが過るたびに彼が不安になる気持ちは表面上理解できるのだ。


「ならお兄さんの件はしばらく私たちに預けてくれないかしら?」


それに突っ込んだのは周防だ。

水瀬の差し出されかけた右手が止まる。


「ちょっと待てって。こんなに難しい問題を安請け合いはできないぜ? これまでの小間使いとは違ってこれは本気でシリアスなものだ」

「ええ、分かっているわ。私も興味本位や遊び半分で提案しているわけじゃない。解決する保証はどこにもない。でもこのまま放置しても改善は見込めないかもしれない。それなら可能性の一つとして任せてみてほしいの」


周防はお前はどうなんだと視線で訴えかけてくる。


「オレは部長の意見に従うまでだ」

「八神まで……。で、でも大事なのは久留米の意思だろ⁉ 俺たちが何かをするなら確かに久留米の兄貴が元に戻る可能性は少ないにせよゼロじゃないぜ? ただそのためには兄貴の協力も欠かせないわけでそしたらまた……」


尻すぼみに消えていく言葉。

言いたいことは十分に伝わっている。


――何かを引き出すためには、必ず久留米と久留米兄が傷を負う。

物理的にも、精神的にも。


「俺のことまで考えてくれて嬉しいよ。お前たちに付き合ってもらうことで兄さんに負担をかけることも分かってる」


久留米は難しい顔をしたのち、水瀬の手を握る。


「それでも頼みたい。俺一人じゃもうどうにもできないのは事実だから」

「なら決まりね」

「ああああああ!! どうなっても責任は取れないぞ⁉ いいんだな⁉」

「もちろんだ。ハナから期待しないでおく。それならお前たちも気持ちが楽だろ?」

「ぐっ……なんとなく悔しい気持ちになるぜ……」


不貞腐れたように端末の待ち受けを見て、癒しを補給している。

そんなシスコンを放っておいて、段取りが決められる。


「兄さんとの連絡は俺に任せてくれ。お前たちが知りたいことは何としてでも聞きだして見せる。当然協力は惜しまない」

「ええ、お願いするわ。私と八神くんは現場の工場地帯と噂の検証を。周防くんは――」


「我が妹よー! どうか久留米の兄貴に救いの光を!!」

「周防、くんは……」


尻すぼみに水瀬の表情が曇っていく。


「はいそこー! 俺に与える仕事に迷うな! どんな仕事でも任せろ。妹に誓って死力を尽くすことを約束する!」

「なら工場地帯周辺におけるネット上の噂を監視しておいてもらえるかしら?」

「任せておけ」


周防がいなければただただ深刻な空間になっていただろう。

初めてシスコンが同席することにメリットを感じた。

あくまでムードメーカーとしてだが。

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