♰Chapter 5:歓迎会と揺れる理性
「じゃあ、行くわよ――新たな出会いに!」
「「「「乾杯!」」」」
洋館に姫咲を迎え、その歓迎会が催される。
ささやかではあるが盛り上がりには事欠かない。
水瀬が手際よく注文していた出前ピザ、唐揚げやポテトといったジャンクフードが机を彩る。
おまけに飲み物は珍しくも炭酸飲料だった。
というのも洋館には基本的にお茶や珈琲しか置いていないためだ。
夏場になるとスポーツドリンクも置かれるが炭酸飲料はほぼないと言っていい。
オレも水瀬もこだわって炭酸飲料を好むわけではないので、何かきっかけがないと飲まないのだ。
「うん……久しぶりにマルゲリータ食べたけどすごく美味しい」
「カロリーを抜きにすれば絶品だね」
「それは言わない約束よ」
歓迎会を盾に取り、理性を緩ませ欲望を優位にする。
これもこの会の醍醐味だろう。
「……むぅ」
「ふふ」
さらにはピザのチーズがぐぐぅっと伸び、困惑する琴坂。
それを見て微笑む水瀬。
二人とも上機嫌だ。
姫咲はというと。
「これが炭酸……すごい……! 初めて飲んだけどしゅわしゅわしてるんだ……」
姫咲は炭酸飲料に口を付けると顔をしかめてから驚いたような顔をする。
舌触りが気に入ったのか、早くもコップを空にしそうだ。
「姫咲の歓迎会、か。こういうパーティじみた集まりを開くのは初めてだな」
オレの独り言じみた言葉を誰より早く拾ったのは姫咲だ。
「おにーさんとおねーさんたちが一緒に住み始めたときには開かなかったの?」
その言葉に琴坂が異を唱える。
「……一つ訂正。わたしは本当はここに住んでいるわけじゃない。姫咲さんの護衛のために一時的にここに居候しているだけだよ」
「より厳密には律も一時期ここに住んでいたことがあるの。でもここ数年は別々よ。そして今姫咲さんの護衛をするべくまた戻ってきた……みたいな感じよね」
琴坂はこくりと頷く。
「じゃあおにーさんの時は……?」
「八神くんとは今年の四月から。姫咲さんには見られてしまっているし、貴方自身も同じ存在だから話しておくと――私と八神くん、そして律は魔法使いなの。中でも私と八神くんは相棒関係だからその時期から一緒に生活しているのよ」
同じ存在、というところでごくかすかに反応しかけていたがすぐに取り繕われる。
姫咲はオレたちと同じ魔法使いではなく、人間と吸血鬼のハーフだ。
異能を使うという点で言えば同じといえなくもないが、厳密には違う。
「パーティの方は八神くんは苦手そうだったから辞めておいたの。『距離感を考えてほしい』みたいなことも言われていたしね」
「正しい判断だ。実を言えば今この瞬間も逃げ出したい気持ちが四割くらいあるからな」
「どうして?」
「女子会に一人男子が混じるような苦痛を味わっているからだ。逆の立場で考えてみるといい」
てんてんてん……と沈黙ののち。
水瀬は困り顔、姫咲はきょとん顔、琴坂はごくわずかに眉を動かす。
恐らく姫咲は考えてはみたものの、想像できずに困惑したのだろう。
「八神くんからはいつも学ばせてもらっているわ。考え方がユニークというか、いつも全体を俯瞰して見ているような、そんな感じがする」
「俯瞰、か。一歩引いたところから見ているのは確かかもしれないな」
「……理解できる。けどこの会は姫咲さんを歓迎する会だよ」
いつの間にか〔幻影〕メンバーでの話に移りつつあった。
本筋を外れては元も子もない。
「別に私は気にしないけどね。おにーさんのこともおねーさんたちのことも聞いてて飽きないし……むしろもっと知りたいくらい」
「私たちで答えられることなら」
それからしばらく話題は学校や個人が掻っ攫う。
そしてパーティも大詰めを迎える頃、なんとなしにこの話題が飛ぶ。
水瀬もこの楽しい雰囲気を壊したわけではないはずだ。
親睦を深めリラックスした状態で軽くでも話してくれれば。
そんな思いがあったのかもしれない。
「姫咲さんは”屍者”と因縁があったりするのかしら?」
質問に姫咲はすぐには答えられない。
素直に打ち明けるべきか、打ち明けないべきか。
二つの選択肢の狭間で葛藤しているのが目に見えるようだ。
それから一切れのピザを食したオレに助けを請う視線を寄越す。
――これも真実を知ってしまった者の役割、か。
ちょうど飲んでいた炭酸飲料を偶然を装って手から滑らせる。
それは中身をぶちまけながら隣に座っていた姫咲のスカートを濡らす。
彼女もすぐにオレに合わせる。
「すまない。手が滑った」
「あ、ああうん! 私は大丈夫」
「タオル取ってくるわね」
水瀬が行動を起こす前にそれを制止する。
「いや結構濡れているからな。シャワールームに案内してからさっき買った服に着替えて貰った方がいいだろう」
「それもそうね」
「ああ、水瀬は服の用意を頼む。オレは案内をしてくる。姫咲、歩けるか?」
「……うん」
廊下に出て背後に誰も付いてきていないことを確認する。
「悪かったな、あんな話のそらし方しか出来なくて」
「ううん、ありがとう。おにーさんがいなかったらなし崩し的に話しちゃってたと思うし。多分そんなことしたら……後悔する」
「やはりまだ打ち明けたくないのか?」
その問いに長めの無言が返る。
「…………おにーさんもおねーさんたちも凄く優しいし、よくしてくれる。だから私はできるだけ嘘を吐きたくないし、いっそのことおにーさんに打ち明けたときみたいにできたらって、そう思ったりもする。でも少しの不安がそれをさせてくれないんだ。おにーさんとあの二人は違う。ついさっきまで話を聞いていて思ったよ」
「違う? どう違うんだ?」
「みんな組織に入ってる。多分おねーさんたちは私と組織なら組織を優先しちゃうと思うんだ。でもおにーさんは違うでしょ? おにーさんからすれば私は吸血鬼で、組織にいるなら報告すべきこと。それでもそこを裏切ってまで秘密を――約束を守ってくれている」
随分と厚く信頼してくれたものだ。
彼女の情報を得るために報告しなかったことが功を奏している。
とはいえ一定の信頼を得ていること、そして琴坂がいつ気付くか分からないこと。
その二つがあるからそろそろ後押ししてやる必要があるだろう。
「オレのことを買ってくれるのは嬉しい。だがいつまでも隠し通すことはできない。言うまでもなく何かのきっかけでバレることもあるだろう。自発的に打ち明けたときと隠していてバレたときでは相手の持つ印象はだいぶ変わる。賢明な判断をするならどちらか、お前も分かっているだろう?」
「……うん、分かってる。もう少し、あと少し勇気が出せたら――」
夜の洋館は足元が見えない。
廊下の電灯を点ければいいのだがすでにスイッチは過ぎてしまっている。
戻るより進んだ方が早い。
ふと人の気配が付いてこないことに気付いた。
振り返れば姫咲が俯いている。
「……姫咲?」
表情が見えない。
そこで立ち止まる理由も呼びかけに答えない理由もないはずだ。
だとすれば予期せぬトラブルの可能性――そう、吸血鬼特有の。
服の裾に仕込んだ暗器に手を掛ける。
「あ、ああ……っ」
突然苦しみ始める彼女に油断なく近づいていく。
その瞳は桃色から緋色に変わりつつある。
詳しく訊いたことはない。
だがこれまでの状況から推測するなら、人間と吸血鬼の均衡が吸血鬼に傾いたときに瞳が緋色となる。
「しっかりしろ……! 戻ってこい!」
押し殺しつつも、強い声音で呼び掛ける。
「…………ッ!!」
「くっ……!」
彼女の肩に触れた途端、思い切り突き飛ばされる。
片手で払われただけだというのに壁に痛烈に叩きつけられる。
身構えていなければ受け身は取れなかっただろう。
「あ……あぁ」
桃色と緋色の間のような色彩を瞳に宿し、近寄ってくる姫咲。
悲しみと苦しみを宿すそれとは逆に、興奮したように歪んだ口角。
口元とそれ以外で表情があまりにも異なり、歪というほかない。
それでも理性がやや上回ったのか、ゆっくりと桃色に戻っていく。
オレのやるべきことはまだ変わっていない。
姫咲の身体を引き寄せ、オレの方へ引き倒す。
そしてそのまま二人して床に倒れ込んだ。
「八神くん、大丈夫⁉ 何かすごい音が聞こえたけど⁉」
電灯が廊下を照らし、慌てた様子の水瀬と静かに佇む琴坂が露わになる。
声こそ抑えたがあれだけ物音を立てていたら否が応でも人が来るというものだ。
「ええと……貴方達、何がどうなったらそうなるのかしら? 心配して見に来たつもりだったけれど」
オレが下敷きになり、その上に跨るようにして姫咲が倒れ込んでいる。
傍から見れば何が起こっているのか理解することはとても難しいといえる。
水瀬の碧眼から呆れたような、安心したような感情が読み取れる。
「廊下が暗くて姫咲が転んだんだ。それをオレが庇おうとしてこのありさまだ」
「そういうこと」
水瀬は溜息を吐きつつ、オレに人差し指を突き付ける。
「電気を点けるくらいの手間を惜しまないで。八神くんが省エネ行動を好むことは知っているけれど危ないわよ?」
「ああ」
「姫咲さんは大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
水瀬に振り返った姫咲はオレから見ても完璧だった。
ついさっきの出来事を全く悟らせない表情だ。
「そう。自分たちだけで立てそう?」
「問題ない」
オレも姫咲も立ち上がると水瀬は踵を返した。
「なら私は戻っているわね」
「ああ」
「……あと、洋館では変なことはしないこと」
「ああ――」
水瀬の発言の中身を咀嚼して、即否定を繰り出す。
「いや少し待て。それは誤解だ」
「本当かしら? 普通はあんな態勢にはならないわよ」
「どうすれば誤解を解ける……?」
そこまで言って悪戯っぽく微笑む彼女に揶揄われたのだと知った。
「ハメられたか」
「ふふ、さっきのは冗談よ」
今度こそリビングに立ち去っていく水瀬。
琴坂はじっとオレと姫咲のことを見てからそれに続いた。
色が見えていたのならもしかすると嘘がばれたかもしれない。
だがやむを得ない状況だったのだからこれが限界だったと諦めるほかない。
「さっきの件については近いうちに話してもらうぞ」
「……うん。ごめんなさい、おにーさん」
姫咲が吸血鬼であることを隠しておくことは良くないにせよ、許せる範囲だ。
だがそれは彼女が理性ある吸血鬼であることが前提となる。
もしわずかにでも忘我の危険性があるのならすぐにでも盟主たちに伝えるべきだ。
それからオレ達の間には事務的な案内の会話しかなかった。
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