♰Chapter 4:同居人

水瀬邸の立派な門を潜り、青々と茂る並木道を抜け。

紫陽花やラベンダー、薔薇といった季節の花が咲くガーデンを進み。

その先に洋館が威風堂々と佇んでいる。


ちょいちょいと袖が引っ張られる。


「本当にここで合ってる? 私がこれからしばらくお世話になる場所って……?」

「ああ、間違いない」

「ええ……」


若干引き気味な姫咲の態度には共感するものを覚える。

オレも最初にここに連れてこられたときは現実を疑いたくなったものだ。


「ふふ、心配しなくても大丈夫よ。何も取って食おうってわけじゃないから」

「……信じるよ」


まだ相当不安げだが慣れてもらうほかない。


洋館の扉を開き、真っ先に目に入るのはホールだろう。


「お邪魔します――へえ、門構えに偽りなしなすごい御屋敷」


信じられないものを見るような、憧れの対象を目の当たりにしたような。

そんな輝いた表情を浮かべる姫咲は年相応の少女そのものだ。

到底吸血鬼という存在であるとは思えない。


リビングで荷物を下ろす。

姫咲の日用品が主である。


すると洋館内をさ迷っていた彼女の視線が荷物に落ちる。


「おにーさん、ありがとう。ここまで持ってきてくれて。重かったでしょ?」

「それなりにな」


姫咲は最初こそ警戒心が剥き出しであったが”屍者”に立ち向かうべく共闘。

その後、彼女の身体に刻まれた秘密を明かされてからはそれなりに信用してくれている。


そんな彼女だが、今は申し訳なさそうに瞳を逸らしている。


「荷物持ちをさせたことについて何か思っているなら気を遣いすぎだ。オレはこう見えてもそれなりの力はあるんだ」


滑稽な道化師を演じるがごとく。

再び荷物を持ち上げてみせる。


「くくっ……」


姫咲の堪え切れない笑い声が漏れる。


「ふぅ……うん、それは知ってるよ。一緒に戦った仲だしね」

「ならなぜ笑う……?」


人差し指で笑い泣きの涙を拭いつつもその問いかけには答えてくれるようだ。


「だってほとんど真顔で荷物を上げ下げしてるから。澄ました表情とおどけた動きが面白くって」

「……そこにこそ気を遣ってほしかったな」


一連のやり取りを見ていた水瀬は助けてはくれないようだ。

オレがやり込められているところを見て楽し気だ。


「もう少し見ていたい気もするけれど……私は汗を流してくるわね」

「ああ」


その意味を敏感に悟った姫咲が戸惑っている。


「ええと……? おねーさん、おにーさんがいるけど」

「ええ。それがどうかしたの?」


水瀬はきょとんとしている。

姫咲の表情が困惑から段々と曇っていく。


「おねーさんは生物学的に女の人だよね?」

「それ以外に見えていたら悲しいわね」

「おにーさんは生物学的に男の人だよね?」

「オレもそれ以外に見えていたら極めて遺憾だな」


そこでようやく結論に至ったらしい。


「おねーさんとおにーさんは一緒に住んでる……つまり恋人」


人差し指と人差し指で×印を作るように合わせる。

しかしそれは残念ながら外れだ。


「私と八神くんはそういう関係じゃないわよ」

「そうだな、お互いに欠点を補い合う相棒関係だ」


「……不純異性交遊」

「わっ⁉」


リビングに通じる扉は二か所ある。

オレたちが入った方とは逆の扉が閉まる音がした。


「きっと姫咲さんはそう言いたかったんじゃないかな」

「ええとこの人は?」

「……初めまして、というよりも二度目だね。優香や八神くんと同じ組織の琴坂律です。これから二人と一緒に姫咲さんを護衛することになっているの」

「よ、よろしく」


恐る恐る差し出された手を握る姫咲。

今は変な顔合わせであったがあの夜に共闘したため、二度目の顔合わせとなる。


琴坂はそのまますたすたと歩くとソファに座って本を読み始めた。

自由人である。


「わたしが言うのも変かもしれないけど、男女がひとつ屋根の下で一緒にいて間違いはないの?」

「ないわよ。私と八神くんは純粋な仲間関係よ。変なことも、間違いも起きないから大丈夫」


水瀬がオレを見る。

その透き通った瞳が同意を求めているようだ。


「ああ、そうだな。そういうことは一切ない」

「……と思ったけれどあれは――」


実は四月の洋館で生活することが決まって数日後辺り。

水瀬のミスとオレのタイミングの悪さが重なり、浴場で鉢合わせたことがある。


だからこそ罠に嵌められる――そう思ったがどうにもしようがない。

覚悟を決めて暴露されることを受け入れるべきだ。

死刑を待つ罪人のごとく。


「――なんでもなかったわね」


なんとも変な言い回しをするものだ。

おかげで姫咲は訝し気だ。


「なんか歯切れが悪いけど……ううん……」


だがいつまでも水瀬を引き留めても悪いと思ったのだろう。

彼女がいなくなると姫咲はオレを見た。


「これが常識なの? もしかしてわたしが世間知らずなだけで――」

「いや非常識だ。とことんな」

「……う。早く慣れるように頑張る……」


姫咲の反応が一般的なのだ。

年の近い異性と寝食を共にするなら多かれ少なかれ居心地の悪さを感じる。

水瀬はともかく、姫咲や琴坂にはフォローが必要かもしれない。


あえて琴坂にも聞こえるように二人の中間で言葉を発する。


「いい心がけだが安心しろ。オレは他人の部屋に不用意に近づかない」

「言われてみれば確かに。おにーさんが欲望に我を抑えられなくなるところなんて想像もできない。第一、おにーさんにはもう裸を見せてるしね」


にやにやと満面の笑顔で何を言っているのか。

水瀬に暴露されかけたときよりも背筋がうすら寒くなる。

そもそも姫咲はこんな小悪魔のような表情もできたのか。


「……八神くん?」

「事実だが誤解がある。琴坂の思うようなことじゃない」

「えぇ? あんなに隅々まで見てたのに?」

「……拘束の言霊はいる?」

「少し待ってくれ。オレの話も聞いてから決めてくれ」


それからオレは事情をかいつまんで説明する。

ISOの検問でやむを得ず、オレが彼女の傷口チェックを行ったことが主な内容だ。


姫咲は両手を組み、そこに顎を載せながら先行きを見守っている。

そしてかくかくしかじかを静かに聞いていた琴坂は小さな溜息をついた。


「……だよね。八神くんが獣なら檻を用意しようかと思ったけど平気そう。姫咲さんも誇張のしすぎはよくないよ」

「くくっ、ごめんね。からかい甲斐があるからつい行き過ぎちゃう。おにーさんは究極の草食動物だもんね!」

「なんとしても心に傷を負わせたいらしいな……」


くすくすと笑う姫咲と呆れたような琴坂。

この二人とも上手くやっていかなければならないとなると少し気が重い。

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