♰Chapter 3:舐める派、噛む派
〔調律〕機関は以前訪れた時のように閑散としている。
外観は典型のようなビルであるのだが、内観は病院のそれだ。
受付で諸手続きを終え、上階の姫咲の部屋番号が告げられる。
個室の手前まで来たとき、不意に扉がスライドした。
「あ、おにーさんとおねーさん」
ちょうど出ようとしていたらしく、ばったりと鉢合わせる。
てっきり軟禁状態を予想していただけに、ある程度の自由があるようで安心した。
「こんにちは、姫咲さん」
「一昨夜以来だな。よく眠れたか?」
見たところ疲労しているような様子はない。
「まあね。ちょっと頭痛がするけど大したことはないってここの人が。それよりも。それよりもよ? 一つだけ言ってもいい?」
「なんだ?」
「来るのが少し遅いよ。一人にするかな普通。見知らぬ場所に女の子を」
寂し気に視線を落とされれば若干の申し訳なさが植え付けられる。
きっと普通の少女が同じ仕草をすればあざとさが勝るのだろうが、姫咲にそう言った気配は感じない。
彼女が持つ特性とも呼ぶべき不思議な雰囲気のせいかもしれない。
「あ、ああ……それは不可抗力と言うべきか、色々と組織なりの手続きがあったというべきか」
若干しどろもどろになるオレのことを楽しむように、桃色の瞳が緩む。
揶揄われたのだと知ると溜息を吐く。
「冗談だよ。おにーさんは約束通りわたしの自由を取り付けてくれた。ううん、それだけじゃなかった」
その一言はオレが誰にも彼女が吸血鬼だと報告していないことを指している。
水瀬からすればやや違和感がある発言だったかもしれないが再会に水を差すようなことはしなかった。
「ふふ、八神くんと姫咲さんは仲が良いのね」
水瀬の一言に姫咲は後ろ手を組んで笑った。
「うん!」
出会いがしらのオレに対する警戒心はほとんど取り除かれたらしい。
一昨夜の死線を掻い潜った共闘がそのきっかけになったのだろう。
自分が信頼するかはともかく相手からの信頼は勝ち取っておくに越したことはない。
一通り落ち着いたところで水瀬が切り出す。
「これからのことについて姫咲さんは知っていると思っていいのよね?」
「おねーさんが案内してくれる家で”屍者”の件が解決するまで保護してくれるって聞いたけど……いいの? わたし、どこの馬の骨とも分からない他人だけど」
「気にしないで。色々と必要なものもあるし、帰りに買い込みましょうか」
姫咲はオレの裾を軽く引っ張ると身体を引き寄せてきた。
「……おねーさん、あったかくて綺麗な人ね」
「……耳打ちするくらいなら本人に伝えた方が喜ぶと思うぞ」
「でもどこか冷たくて怖いから」
彼女はそれだけ言うと手を放し、一定の距離を開けて水瀬についていく。
結局のところ、言葉の真意は問えずじまいだった。
――……
帰り道。
姫咲の日用品は近くのアウトレットパークで購入することになった。
ここは以前オレの私服を水瀬に選んでもらった場所でもある。
「わあ! 可愛い服が一杯……! あ、でも」
気まずげにオレたちを振り返る。
その手には値札が握られていることから言いたいことは明白だ。
「もちろん私たちが払うわ。保護とはいえ貴方の住んでいたところにはしばらく帰れないと思うから、そのお詫びだと思って遠慮しないで」
「ならせめてお礼の言葉だけでも――ありがとう!」
桃色の瞳の少女は商品棚を行ったり来たり。
碧眼の瞳の少女も楽しそうにそれに付き合う。
水瀬は姫咲の衣服選びにいくつかの感想やアドバイスをする。
こうしてみると水瀬と姫咲は年の近い姉妹のような印象だ。
二人は案外と仲良くなれるのではないだろうか。
「ね、おにーさんはどう思う?」
不意に飛んできた言葉にオレは姫咲に視線を向ける。
チェックのミニスカにオフショル姿。
肩見せ、足見せとやや大胆ながら魅力的な雰囲気だ。
あまり服にこだわりがないオレでも似合っていると思った。
「いいんじゃないか。よく似合ってる」
「ならこれにしようかな」
はにかんだように笑うとご機嫌な様子で試着室に引っ込んでいった。
それからも何着か選ぶ様子だったので付き合おうかと思っているとポケットの端末が振動した。
取り出すと知らない番号からの音声通話が入っていた。
直前に切れたばかりだ。
しばらくは女子二人、水入らずで買い物を楽しむのもいいだろう。
「悪い二人とも。少し席を外す」
それだけ伝えると適当に歩きながら通話を折り返す。
悪質な宣伝だったら無言切りも視野に相手の言葉を待つ。
”……もしもし、八神くん?”
声には聞き覚えがあった。
「その声は琴坂か。オレの番号は教えていないはずだがよく分かったな」
”……盟主から聞き出したの”
「……いくら同じ組織とはいえ簡単に個人情報を渡し過ぎだな」
”それについてはあの人を責めないでほしい。八神くんの連絡先が知りたいって言ったけど最初は渋られたんだ。でもその後に一つ一つ数字を挙げて行って真偽は声色で判断したの”
「それは……なんというか結城が気の毒になるな。そしてお前は強引すぎだ。連絡先が欲しいなら直接オレに言ってくれればよかったんだが。そうでなくとも火急の用件なら水瀬の端末でもよかっただろう?」
少し間が空く。
そろそろ切られていないか心配になってきた頃、ようやく言葉が返る。
”…………朝の、お返し”
「お返しはお返しでも仕返しか……悪かった。だからもうこれで終わりだ」
”分かった”
これまでの琴坂について、その中身まで見通すことはできなかった。
だが今新たな一面を見ることができて少し印象が変わった。
どちらかと言えば感情表現が小さい彼女だが、実際はしっかり感情を持っている。
根に持つところなんて人間らしいとすら思った。
オレは人目に付かない脇道に逸れるとそこの壁にもたれる。
物陰は人の視線をほぼシャットアウトするので落ち着くのだ。
「それでこの通話の目的は? ただの意趣返しってわけじゃないだろう? 水瀬と姫咲と買い物に来ているからできれば手短に頼む」
”……その姫咲さんについて。彼女が”屍者”――特に吸血鬼に狙われる理由に心当たりは?”
ないわけがない。
姫咲は吸血鬼なのだから。
だがそれを言うのはオレではなく、姫咲自身でなければならない。
オレは手元の情報を暗唱するように並べていく。
「吸血鬼は現在三鬼、確認されている。うちアングストハーゼとヴィンセントが死亡、ゼラが生存。彼らがそれぞれ姫咲のことを”本命””裏切者”と口にしていた。どういった意味合いにせよ、この言葉が関係していることは間違いないだろう。報告書にも挙げたはずだが」
”それは読ませてもらった。でもわたしはその場に居合わせなかった。肌感覚でもいい。八神くんはそれを聞いたとき、姫咲さんの存在をどう思った?”
「どう思った、か。答えづらい質問だな」
”例えば――彼女が吸血鬼である可能性”
琴坂もなかなかに鋭い。
現状〔幻影〕では姫咲が吸血鬼と人間の混血であることはオレだけが知っている。
この場面では人間であるとも吸血鬼であるとも断言しないことが正解だ。
「オレには吸血鬼であることも人間であることも否定できない――」
通路の入口に向けていた視線が向かい側を歩く水瀬と姫咲を捉える。
先程の店を見終え、次の店へ移動しているのだろう。
端末のカメラアプリを起動し、一枚。
「今写真を送った」
”……確認した。すごく、楽しそうだね。確かにこれだけ見るとわたしの心配は杞憂だったかも”
声音は柔らかくなっていた。
”ごめんね、邪魔して”
「いや構わない。何かあればまた連絡してくれ」
”うん”
通話終了を示す画面を見ながら長くは隠し通せないかもしれないと思う。
琴坂が姫咲に直接同じ趣旨の質問をした場合、隠し事は明かされる。
姫咲が正直に話しても、嘘をついても。
琴坂は頻度はともかく、言葉の色で真偽を見極めることができるから。
「できるだけ早いタイミングで自発的に打ち明けてもらった方がいいな」
これから先をどうするのか。
幾つかのプランを立てつつも今はまだこの平穏な時間に浸っていたかった。
――……
「待たせたな」
「用事は終わった?」
「まあな。これは水瀬、そしてこっちが姫咲だな」
戻り際にちょうどいいアイスクリームの店があったので、ついでと買ってきたのだ。
「奢りだ」
律儀にも水瀬は財布を出そうとしたがそれを牽制する。
「そう? ならありがたくいただくわね」
「おにーさん、ありがと!」
三人でベンチに腰掛けるとオレと水瀬は手を付ける。
六月中旬を回り、一層暑くなってきた今となっては氷菓子は最高の癒しだ。
歩き回った身体によく染みる。
「おねーさんは舐める派、おにーさんは噛む派ね」
水瀬に視線を向ければ小さな舌先が覗いていた。
わずかに青く染まっているのはミントだろう。
「そういえばいつだったかアイス噛む派、舐める派論争があったな」
実はこの話題は情報屋とすでに談義したことがある。
暇潰しがてらに彼が吹っかけてきたのだが、結論は出なかった。
裏社会の暗殺者と情報屋がなんとも平凡な話題を据えたものだ。
馬鹿馬鹿しいこと極まれり。
だが思えばあれは情報屋なりの気遣いだったのかもしれない。
「ねえ、おねーさんはなんで舐めるの?」
「え、ええ……考えたこともなかった。でもそうね。あえて理由を探すなら長く楽しめるから?」
「なるほど……ならおにーさんは何で噛むの?」
「食事の時間を短くするため。早く済ませれば他に使える時間が増えるだろう?」
実際は人間が三大欲求を満たす時間は無防備になるからだ。
その時間帯は暗殺者として致命的な弱点となりうる。
「夢と現実って感じだね」
ふむ、としかつめらしく考え込む姫咲。
だがそのアイスは手付かずのまま溶け始めている。
「姫咲さん、溶けてる」
「わわっ! むっ……こほっけほっ!!」
急いで口に突っ込んでむせている。
それを水瀬が背中を擦って介抱している。
「ごめん、ありがとう。おねーさん」
一通り落ち着くとそれでもやや早食いとも思えるペースで食した。
溶けているとはいってもそこまで急ぐ必要はないのだが。
「……楽しいな」
ぽつりと零れた言葉にオレと水瀬の視線が集まる。
その表情は少しの哀愁を感じさせて。
今ではない、どこか遠い場所を見ているような。
「喉を詰まらせて楽しいはなかなかの上級者だな……」
「そうじゃないよ! なんでそこで茶化すかな⁉」
「今のは私も擁護しようがないわね」
「……悪い」
場の雰囲気を戻すように水瀬が問う。
「ねえ、姫咲さん。今は楽しい?」
あえて答えが分かっている質問を重ねる。
「うん、凄く楽しいよ。可愛い服を見て、綺麗なアクセサリーを見て。こうして一緒のものを食べて。何より隣にはおねーさんやおにーさんがいる。ここがこんなにも温かくなるっていう事実を思い出したのは久しぶり」
胸に手を当て自身の鼓動を確かめるように瞼を閉ざす。
姫咲の脳裏に何が思い浮かんでいるのか、それを知る術はない。
知りたいという気持ちもあるがそれは無粋というものだ。
……すでに無粋は何度も行っているか。
「なら来ましょう。姫咲さんが望むならまたいつでも」
「そうだな。オレもそれなりに楽しかった。時間があれば付き合おう」
「まったく、素直じゃないんだから」
貴重な水瀬の呆れ顔も見れたところで姫咲は笑った。
後ろ向きな笑顔ではなく、前を向いた笑顔だった。
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