♰Chapter 35:物資補充と向かう先
次に昼食も兼ねて〔
味のあるベルの音に次ぐ、濃密な珈琲の香りに心が絆される。
不定期ではあるが『迷ったらこの喫茶店』と言えるくらいに上品かつ温かみがある。
一般人はもちろん裏社会の人間も多用するというのに店内の雰囲気は悪くない。
むしろそこらの店よりも静かで落ち着く環境だと言える。
隠れ家的な喫茶店なので昼時でも客は少ない。
今日にいたってはオレともう一人の先客だけだった。
「待たせたか?」
「え……誰ですか?」
きょとんとした声音にこの時間に待ち合わせていたはずの情報屋ではないのではと疑問が鎌首をもたげる。
情報屋は実際には到着が遅れていて、彼は一般人。
そんな想定が頭を過ると大学生または社会人になりたてのような若者は笑った。
「なーんてな! どうだ? ビビったか?」
「……子供みたいなじゃれつきをするな。お前の実年齢を知るわけじゃないが少なくとも一回りは上だろう? 年甲斐がなさすぎる」
「えーいいじゃんかよー! 俺だってたまには学生やってみたくなるんだよ! まあちょいちょい装飾しても現役大学生が限界だけどな。それにオレが年甲斐がないっていうならお前はありすぎだ。今時――っていうか普通は年甲斐なんて単語は話し言葉にゃ使わないぞ?」
「なら言い直すか? 思慮分別がないと」
「う……ガラスのハートが砕ける音がする……」
わざとらしく胸に手を当てているが当然砕けてなどいない。
そもそもからして彼の心臓は鋼鉄を疑うほどに頑丈だ。
そうでなければ情報屋などというグレーカラーの仕事は務まらないだろう。
オレはマスター手製の珈琲とシーフードカレーを注文する。
「珍しいな。
「そういうわけじゃない。諸事情で動いているところだ」
それだけ言えば情報屋は理解する。
「なるほどな。まあ俺は口を出さないさ。だが何をしてもいいから死ぬなよ」
「お前も知ってるだろう。オレは簡単には死なない。そう訓練されて、そう生きてきた」
「その言葉以上に信頼の厚い言葉はなさそうだ。そろそろ前振りは良いだろ。事前の用意はしてきたぜ?」
「お待たせいたしました」
マスターの穏やかな声音が耳を打つ。
同時に熱々のシーフードカレーがカウンターに置かれる。
食欲を刺激してくれるスパイシーな匂いだ。
「話は少し食べてからでいいか?」
「おうおう、その道では天下一のお前でも三大欲求には勝てないみたいだな! ちなみに睡眠欲と性欲はどう――」
「下らないことを言う口は閉じておいたほうがいい。オレとお前は利害関係で結ばれているだけで決して友達じゃない」
「釣れないなぁ……」
少しだけ物悲しげな表情を見せるがどこまで本気かは分からない。
彼は百面相ゆえに表情管理は基本的に徹底されている。
様々な人間に変装することから演技も達者だろう。
――今日は男子大学生という設定なようだが。
一口一口を味わいながら食していく。
ピリ辛なルーにはエビやホタテやイカがふんだんに浸かっている。
海産物の旨味を濃縮したと太鼓判を押していい。
「美味い」
「ありがとうございます」
オレが漏らした一言にマスターはわずかに口角を上げて微笑んだ。
数口味わうと食事を続けつつ、オレは情報屋に促す。
「頼んでおいたものを」
「これだな」
一見するとただの小物を収納するブラインドケースにしか見えない容器をカウンターに置いた。
それからマスターと目配せをして再度店内に他人がいないことを確認する。
「開けて確認してくれ」
簡易なロックを解除すると拳銃の弾倉が十分な数だけ揃っていた。
「流石情報屋だな。違法物品でも仕入先は確保しているか」
「まあな。裏社会に生きていれば自然とこういうものの調達も簡単になるさ。安心しろ。下手は打ってない」
「その辺りは疑っていない。お前の仕事にはケチのつけようがないからな」
オレは小型端末を彼の端末に重ねるとわずかな間に入金完了が通知される。
金銭のやり取りは全て情報屋によってデータ改竄されるため、万が一にでもどこかに漏れることはない。
「ほいほい、バイト代いただきましたっと。帰りにカラオケでも寄っていかね――って言うのはジョークだから店の温度を下げんな。夏なのに肌寒いぜ」
オレは物品を二重底の鞄に突っ込むとしっかりと入口を閉める。
昼食もすでに完食していたため、最後の珈琲に口を付ける。
これを飲み終えれば用事は終わる。
そんな解散の流れを察知した情報屋は最後の質問を口にする。
「そういえば
情報屋の目はオレを油断なく見定めている。
「何か知ってるか?」
彼のことだ。
すでに灰たちの足取りを調査した後だろう。
無駄に隠しても逆に興味を刺激するだろうと思い、端的に表現する。
「吸血鬼の件に巻き込まれた」
「……そうか。気の毒だがあいつらも裏社会に足を突っ込んでたんだ。たとえそれが予想外のことに巻き込まれて死んだんだとしても少しくらい覚悟してただろ。自業自得がぴったりの世界だからな」
冷たく聞こえるがこれは情報屋なりの哀悼の言葉なのだと思った。
演技ではなく正真正銘の偽りなき本音。
だがそれは一瞬だけだった。
「さーてと! お前ももう行くんだろ? 俺も何かと忙しいんだ。先に行くぜ」
「ああ」
オレの肩に情報屋の手が一度触れる。
旧知の親友に別れを告げるようなスキンシップだ。
彼は最後はふざけることもなく、ただ闊達に笑った。
――……
午後四時ごろ、学生寮に向けて歩いていた。
中でも目的地は女子寮。
手前の男子寮の前を通りかかったとき、声を掛けられる。
「おーい、八神!」
「周防か」
ふとそこで疑問が浮かぶ。
「お前は実家通いじゃないのか?」
にゃん帝の一件で、周防が実家に暮らしていることは明らかになっていた。
だからこそ、男子寮から歩いてくるのはおかしい。
「あ、いやな。男子寮のむさくるしい男友達にも遊びついでに、妹の良さというものを布教してきたところなんだ。奴ら、目を白黒させて感動していたぞ」
「……それは引かれているのでは」
このシスコンはひたすらにブレない。
ここまで来ると単細胞ではないか。
そんな思いすら過ってくる。
「そういや私服だな。どこかに行くのか?」
凪ヶ丘高校では平日の始業から終業までは制服の着用が校則で決められている。
もちろん体育やイベント、部活等は除く。
だが早朝や放課後は私服での入校も認められている。
だからオレが放課後に私服でいても何ら問題はないのだ。
周防はオレが歩いてきた方向と歩き去ろうとしている方向をわざとらしく眺めて全てを理解したと言わんばかりに気色の悪い笑みを浮かべる。
山なりの弧を描く両目に、谷のような受け皿を描く口元である。
「この先は女子寮だぜ? ということは――」
途轍もなく下らないことを口走ろうとする前にオレは言葉を割り込ませる。
「神宮寺に用があるんだ」
「ああ、そういやいつだったか呼び出されたもんな。結局、あれはなんだったんだ?」
周防には具体的な内容は教えない方がいいだろう。
「個人的な頼まれごとを任されていただけだ。内容は守秘義務につき」
「釣れないな。ま、とにかく女子寮に行くなら俺も連れてってくれ。損はさせないぜ?」
「……全力で拒否したいんだが」
周防が関わると厄介事が起きる予感しかしない。
「いいからいいから! さっさと行こうぜ!」
強引に言うことを聞かすのも面倒くさい。
笹船精神は大切だからな。
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