♰Chapter 13:姫咲楓の失踪

「……降ってきたな」

「ええ、でもあと少しで洋館よ……!」


洋館の最寄り駅まではタクシーと電車を乗り継いできた。

そのときは雨など降っていなかったのだが梅雨時だからか、歩いているうちにみるみる雲行きが怪しくなった。


貴重品を除き、学生鞄は調査のために学校に置きっぱなし。

当然ながら折り畳み傘やレインコートなどもない。

そして現在、大粒の雨に打たれながら洋館までの坂を駆け上がっている。


雨粒が葉に落ちる音が夜の静寂に響き、薄闇のヴェールが包んでいる。


そんな中で魔女の館――西洋の御伽噺に語られるその門前が密やかに佇んでいる。

水瀬邸の大門に備え付けられたポーチライトだけが道標のように煌々と照っている。


そして――その前には俯いて濡れ鼠と化した少女の姿があった。


「あれは――律!? 何があったの!?」


髪を伝い、頬を伝い。

服の端々からも雫が垂れている。

いくら夏至を回って気温が高くなってきても水浴びをするには肌寒さは拭えない。

正気を疑う行動だ。


石像のように身動き一つしなかった琴坂がゆっくりとこちらを見た。


「……優香……八神、くん。ごめんなさい……。姫咲さんがいなくなってしまったの」


姫咲が失踪。

その言葉は鉛のように重く圧し掛かる。


「とにかく今は中に入りましょう。こんなにずぶ濡れで風邪を引いちゃうわよ」



――……



濡れ鼠でする話ではないということで洋館のリビングに移動する。

ソファに腰掛けた琴坂の銀髪を水瀬がタオルで優しく拭いている。

うりうりと為されるがままな琴坂の表情は暗い。


「えいっ」

「え……?」


普段の大人っぽい水瀬が子供っぽく琴坂の頬を突いていた。

あまりの出来事に琴坂ですら驚いている。


そこからさらにむにむにと頬をこねくり回す。


「や、やめっ……! な、なにするの……!」

「落ち着いた?」


柔らかく微笑む水瀬に琴坂もようやく強張っていた身体の力を抜いたようだ。


「……うん」


恨みがましく頬を抑えながらも本当に嫌がってはいなそうだ。

長く付き合いのある水瀬だからこそのやり方で緊張を解くことができるのだろう。


オレは彼女たちのやり取りを横目に甘めの温かいミルクティを用意する。

冷えた身体には芯から温める飲み物が効果的なのだ。


「ありがとう……」


カップをそっと両手で抱え込む琴坂。

だがなるべく早く聞き出したいことも多い。


姫咲楓の失踪。


”屍者”が洋館に侵入して彼女を攫った?

――有り得ない。たとえ吸血鬼でも洋館の守りを掻い潜ることは難しい。


屍食鬼との戦闘で疲労した身体と心に冷や水を浴びせられた心地だ。

感覚が明確に研ぎ澄まされる。


ゆっくりと水瀬が問う。


「何があったの? もしかして”屍者”が姫咲さんを……?」

「……ううん、違う。ちょうど十六時くらいに姫咲さんに、頼まれたの。頭が痛くて熱っぽいから薬を買ってきてほしい、って。洋館に市販薬は置いてない。だから三十分だけ洋館を留守にした……」

「その間に姫咲さんがいなくなってしまったということ?」

「ごめんなさい……。万が一の、護衛を頼まれておきながらミスを……」


琴坂は項垂れる。

確かに姫咲を一人残すことは望ましくない行動ではあった。

だがオレも水瀬も琴坂に丸投げで出払っていたのだから責めることはできない。

まして姫咲のお願いで薬を買いに行ったのだからなおさらだ。


「琴坂、洋館の防衛機構が突破された形跡はなかったか?」

「……それは大丈夫。一つもトラップが作動した痕跡はなかったし、侵入者があった記録もない」

「なら……何者かに攫われたというよりは自発的に出て行った可能性が高いか」

「でも、どうして……」


疑問が渦を巻く。


オレと水瀬による授業終わりが午後三時半ごろ。

それから移動して、工場地帯での調査開始時刻は午後五時ごろ。

その間の午後四時ごろに姫咲が失踪し、以降三十分間の空白。


琴坂は帰宅してからすぐに姫咲の捜索を開始しただろう。

それでも見つからず、今は午後九時を迎える。

すでに五時間余りが経過してしまっている。


それだけあれば都外に出ることもできる。

闇雲に探してももう見つからないだろう。


水瀬もそれは分かっているようで的確な発言をする。


「二人とも今日は休みましょう。今から姫咲さんを捜索してもいい結果につながるとは思えない。それで明日の早朝から捜索しましょう。八神くん、学校を休むことになるけれどそれでもいい?」

「ああ、構わない。むしろ姫咲の捜索以上に重要なことはないだろう」

「律も」

「……うん」


オレはつい先日、姫咲が見せた異常行動を思い浮かべていた。

ぱっと思い浮かぶ原因があるとすればそれくらいだった。


「……あれと関係が……?」


決めつけは早計だ。

独り言は窓硝子越しの雨音に掻き消された。



――……



次の日の早朝。

部屋は暗かった。

日の出の時間帯に起床したオレは窓の外を見る。

あいにくと墨を垂らしたような雨模様。

捜索には不向きではあるがやらねばなるまい。


クローゼットを開け、適当な服を選ぼうとして棚から銀色の何かが落ちた。


「銀色の十字架……まだ入れっぱなしだったか」


サンセットモールにてゼラと接敵したあの日。

エスカレーターの下で拾ったものだ。

なんとなしに回収したものだから記憶から忘却していた。


「”屍者”に有効である可能性……はないな」


有効であるならモール内で”屍者”に襲われることはなかっただろう。

よって少なくとも物語のように”屍者”が十字架を嫌うということはなさそうだ。


こんこんこん、と扉をノックする音がする。


オレは手早く身支度を済ませるとポケットに十字架を突っ込む。

それから扉を開けた。


「……おはよう」

「ああ、おはよう。……水瀬じゃないんだな」


廊下に立っていたのは琴坂だった。


「優香が良かった?」

「反応に困ることを聞かないでくれ」

「……わたしなりの冗談だよ」


相変わらず感情表現は小さいが、和ませようとしてくれたことは汲み取れた。

それと同時に決意のようなものが滲んでいることもだ。


「あまり気負い過ぎるのも良くないぞ」

「……大丈夫。無茶はしないから」


確かに東雲とは違って言葉に真実味がある。

感情的な彼女とは違い、琴坂の場合は理性的な覚悟というべきものを感じる。


と、噂をすればという奴か。

小型端末に東雲の文字が表示されている。


「わたしは先に行ってるから準備ができたら洋館のホールに集合で」

「ああ、悪いな」


琴坂の背中を見送ったあと、通話に出る。


「もしもし」

”久しぶりね。それともこの時間ならおはよって言ったほうがいいかしら。それとあたしからの通話ならワンコールで出るのが常識だけどその辺りは理解してるかしら? 鉄仮面くん”


あらかじめこう言うと決めてきたように捲し立てられる。

ワンコールで出る人間の方が少ないと思うのだが、という言葉は飲み込んでおく。


「矢継ぎ早な口上だな。せめて挨拶するか、罵るかのどちらかに統一したらどうだ」

”まあ、できたら考えておくわ”


つっけんどんな態度は紛れもなく東雲朱音のものだ。

オレに連絡を寄越すことも珍しい。


”そっちは忙しいみたいね。結城から色々と聞いたわよ。”屍者”とかいう動く死体に加えて、それに狙われてる姫咲っていう女の子の保護。それでもってその子はいま失踪中。守護者二人にあんたまでいるっていうのに苦戦し過ぎよ”

「言い訳のしようもないな。だがオレたちも全力は尽くしているつもりだ」

”う、別に今のは言葉の綾よ。あんたたちが頑張ってるのは知ってる。だからこうして連絡したわけだし”

「どういう意味だ?」

”別任務の方が片付いたのよ。今は〔約定〕の動きも落ち着いてる。そういうわけで今日からあたしも正式に”屍者”の案件に加わることになったわ”


『宵闇』の守護者・水瀬優香。

『絶唱』の守護者・琴坂律。

『迅雷』の守護者・東雲朱音。


〔幻影〕の中でも一際強力な固有魔法を有する七人の守護者のうち、三人もの魔法使いが集結するということだ。


”……何か反応しなさいよね。あたしと一緒に任務にあたれて嬉しいとか、感激ですとか”

「あー……頼もしいな」

”何その『言われたから仕方なく』っていう注釈が入りそうな言い方⁉ 止めてよね! こっちの士気が盛り下がるから!”

「感情は出ていないはずだが正解だ。よく分かったな」

”感情が載ってなくても間が分かりやすいのよ……っていうかわざとでしょ! あんたの考えなんてお見通しよ!”


そんなところで威張られてもどう反応すればいいのか。

きっと端末越しの彼女はドヤ顔をしているに違いない。


「まあなんであれだ。それだけ盟主も事態を重く見ているんだろう?」

”切り替え早いわね……。でもええ、そうよ。”屍者”の件はまだ解決していない。吸血鬼――それも『王』という存在がいる限り、人を贄として屍食鬼は生まれ続ける。そう結城は推測を立てている。と、に、か、く! 今は姫咲って子を探すのが先決よ。もしも屍者側に鹵獲されてしまったら最悪の結末を迎えるかもしれない”

「それは?」

”――東京、いいえ日本という国自体が死んでしまうかもしれない。屍者が跋扈し、人が人として存在できない反理想郷――ディストピアってやつね”


日本から人間が消える。

途方もなく規模の大きな話であり、すぐには想像できない。


「もしそうなれば真っ先に”屍者”の仲間入りをした方が楽に死ねそうだ」

”何言ってんのよ。そうならないためにあたしたち〔幻影〕の魔法使いがいるんでしょ? ひっじょーうに不本意かつ無念ではあるけどあたしを助けてくれたあんたが冗談でもそんなことを言わないでよね”


オレのブラックジョークに東雲は意外にも真面目に返した。

それに若干の照れくささのような感情も交じっているような声音だ。


「悪かった。話はそれだけか?」

”まあね。宵闇と絶唱にも同じようなことはメッセージで送ってあるから”

「そうなのか? ならオレにも文面で良かったんだが。今からちょうど姫咲の捜索に出るところだしな」

”あたしもそう思ったんだけどさ、鷹条が直接連絡したらどうだってしつこいのよ。いくら外との繋がりに対して厳しい学院の寮にいるとはいえ外部との通話とかのやり取りはできるから……あ、勘違いしないでよ? あたしが好き好んであんたなんかと連絡取るわけないんだからね!”

「いちいち言われなくても分かってる。それじゃ切るぞ」

”はーい。先に対象を見つけるのはあたしだから!”


それだけ言い残すとぷつりと通話が切れた。

傍若無人とも取れる態度だが芯の部分では真面目かつ素直……だと思う。

コーティングされたツンデレ味が邪魔をしているようだが。


――まあ、それも東雲らしいか。


端末をしまうとホールに向かう。


「待たせたな」

「いいえ、大丈夫よ」


水瀬も琴坂も準備は万端だ。

オレは端末を操作すると水瀬に一枚の写真を送り付ける。

怪訝な表情だったが端末を見るように促す。


「私と姫咲さんと買い物をしていた時の写真……あのとき撮っていたの?」

「盗撮みたいになってすまない。琴坂と話していたんだが姫咲のことが気になってたみたいでな。一枚だけその時に送ったんだ」


オレの発言に同意するように琴坂が頷く。


「隠し撮りについては思うところがないわけではないけれど……怪我の功名と言うべきかしらね。これで彼女の捜索がしやすくなったともいえる。行きましょうか」


それから満を持して洋館を後にする。

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