第四章 第3話

「……っ!」

 内側のテープが破れる音とともに扉が開き、熱気に全身を殴りつけられる。

 玄関のがりがまちにある靴を適当に選んで、扉を開けたまま固定する。

 玄関からはまっすぐ廊下が伸び、扉が3つある。左側の一番手前の扉はテープを貼られて荷物で塞がれており、廊下の一番奥の扉は開いている。

 靴のまま廊下を進み、テープががされた一番奥の扉を抜ける。あちこちテープで目張めばりされた部屋の中央、四人がけのテーブルに、痙攣けいれんする女性が腰掛けているのを発見する。

 床に散らばった原稿用紙を足で払いながら近づく。熱気は一段と増し、テーブルに置かれた真新しい七輪しちりんが存在を主張する。

 七輪を無視して、右腕で女性の脇を抱え上げる。小さなうめき声に希望を持ち、早急そうきゅうかつ慎重しんちょうに女性を家から引きずり出す。

 外の空気は澄んでいる。念のため、門の外まで女性を運び出し、門袖もんそでにもたれさせる。

 それからすぐに、大きなビニール袋に新鮮な空気を入れ、左手で口に当て、再び海野家うみのけへ上がる。

 一番手前の扉に着き、足元の荷物を足で退ける。そこに扉と床を目張りするテープを確認する。

 扉上部のテープだけを剥がし、右手をかざすと、熱気を吸い込む隙間風すきまかぜを感じる。

 深い安堵あんどとともにテープを戻す。それから家を出て裏手うらてに周り、先程の部屋の窓が開け放たれていることを確認する。

 窓から中を覗くと、飾り気のない勉強部屋の床に、海野うみのさんは裏返った寝間着姿ねまきすがた寝息ねいきを立てている。場違いにも、その姿にしばらく見惚れてしまう。き上がる感情は筆舌ひつぜつくしがたい。

 窓から中へ入り、右腕で海野さんの脇を抱え上げ、窓から二人で脱出する。

 海野さんを背負って門袖もんそでまで運び終える。おそらくは海野さんの母親と思われる女性のとなりに、海野さんをもたれさせる。

 そのとき、一台の車が通学路に現れ、海野家の手前で停車する。

 運転席の扉が開き、出雲いずも先生が現れる。

森峰もりみねくん! 二人は無事?」

「おそらくは無事です……そういえば、まだ消防に連絡していません」

 出雲先生は聞くや否や消防に連絡し始める。その間に、気絶した海野さんの母親にみゃく呼吸こきゅうがあることを確認して、ようやく肩の荷が下りる。

 海野さんの隣で門袖にもたれる。

「……また会えたね、森峰くん」

 呟き声に振り向くと、海野さんはお菓子の散らばった通学路をぼんやりと眺めている。

「おはよう、海野さん。ふたりとも無事で良かった」

「ありがとう。森峰くんのおかげだよ」

「どうだろう……出雲先生がどのみち来ていた気がする」

 裏路地に海野さんのかすかな笑い声が響く。

かんが鋭いね。わたしが集合時間に遅れたら、出雲先生が迎えに来る手筈だったよ」

 海野さんが夜空を仰ぐ。

 つられて仰ぎ、月を探すも見つからない。

「月が観えないね、森峰くん。まあ、半影食はんえいしょくも始まっていないだろうけど」

「……深夜になったら、各自で観測しよう」

「ああ、せっかく合宿の話を用意していたのになぁ……わたしは結局、お母さんを止められなかった」

 床に散らばった大量の原稿用紙を思い出す。それから、目張りの剥がされた扉と、鍵の開いていた扉も思い出す。

 海野さんの小説は、確かにお母さんを止められなかったかもしれない。それでも、必要不可欠な時間稼ぎをしたと思う。

「海野さんなら、明るい未来をこれから作っていけると思うよ」

 遠くから救急車のサイレンが近づいてくる。

 海野さんは手近なお菓子を1つ拾い上げる。

「このお菓子、もらってもいいかな」

「もちろん」

 静観せいかんしていた出雲先生も加わり、通学路に広がったお菓子を3人で拾い集める。

 ビニール袋は再びいっぱいになる。

 やがて、救急車が到着して、海野さんたちは病院へ向かう。出雲先生もうらしい。合宿は中止となるが、さほど未練みれんはない。

 海野さんは海野さんの母親と救急車に乗り込み、お菓子袋を抱えながら手を振る。

「またね、森峰くん」

「また部室で!」

 すぐに手を振り返す。そうして、救急車が見えなくなるまで見送った。

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