第三章 第2話

 翌火曜日の放課後、海野うみのさんは国語科準備室から予想より早く帰ってきた。

「要件がすぐに済んだの。出雲いずも先生に相談して良かった。森峰もりみねくんもありがとうね」

 そう言う割には、あまり元気がないように見える。

「それは良かった」

 どんな要件かは聞かない。何も有益なことを言えないなら、出雲先生に任せたほうがいい。

 いまは、海野さんから御題おだいもらい、反省を行動に活かす話に仕上げたい。

「海野さん、今日は趣旨しゅしを変えてもいいかな。何か御題おだいを出してほしいんだけど」

「……ごめんね。たぶん、わたしは今日も書けないと思う」

「海野さんは御題を出すだけでいいんだ。自由に考えて。その御題で、小説を書いてみせるから」

 海野さんは壁掛け時計を一瞥いちべつしてから、しばらく思案顔しあんがおになる。

 16時半、海野さんは壁掛け時計の下にあるホワイトボードに黒のマーカーを走らせる。

「御題は『勧めるか、止めるか』にします。どうぞ、始めてください」

 御題に海野さんの迷いを垣間見る。同時に、何か重要な決断をたくされたようにも感じる。

 どちらかを安易あんいに選ぶことははばかられる。ここは『何を』を別々に用意して『勧めるし、止める』で良いとこ取りの話にしたい。

 30分が経つ。考察の末、御題を「意思の尊重と固定観念の打破」に拡大解釈かくだいかいしゃくする。

 残り30分で、反省を行動に活かす話へと仕上げる。

 風邪を押してまで課外授業に参加したい友人の意思は尊重しつつ、課外授業への参加という固定概念を博物館の見学で打破する。友人は反省して養生し、後日、仲間内で博物館の企画展へ行く。

 時刻は17時半。なんとか時間内に収まる。一方、海野さんは原稿用紙の裏に大きく『勧めるか、止めるか』と書いて小さくメモを散らばせたままうつむいていた。

「海野さん、小説を書いたよ」

 海野さんは緩慢かんまんな動きで顔を上げて微笑むと、原稿を受け取ってじっくりと読み進める。

「御題の膨らませ方が凄かったです。意思の尊重と固定観念の打破になるとは思いませんでした」

 感想会かんそうかいはすぐに終わる。

 楽観的に考えて、御題は海野さんの思考整理に役立ったと思う。だが、作品が何かを成したとは思えない。

 自由時間の途中、海野さんが原稿用紙を折り畳んで、今日の部活が終わる。

 ……翌水曜日、七限終わりの放課後の部室で、海野さんに御題を聞く。

 16時半、ホワイトボードに『話すか、黙るか』と書かれる。

 選択を迫る御題は「雄弁は銀、沈黙は金」に拡大解釈拡大解釈して話を考える。

 チェロのコンクールで挫折ざせつした友人を毎日雄弁に励まし、練習に復帰させてからは沈黙して見守る。友人ははげましの言葉を胸に練習に打ち込み、遂にはコンクールで優勝する。

 17時半までに小説が書き終わる。だが、この作品が海野さんに届く手応えは感じない。

「『Speech is silver, silence is golden.』。沈黙を称える英語の諺ですね。他にも、静かに流れる川は深い、空の入れ物は大きな音を立てる、などがあります」

 蘊蓄うんちくうなずく間もなく、海野さんは原稿用紙を折り畳む。

 ……その翌日、海野さんに御題を聞く。するとすぐに海野さんは『ひとりか、ふたりか』とホワイトボードに書き込み、あとは黙々と宿題に取り組む。

 そんな海野さんの横顔を眺める。おだやかでありながらどこかはかなげで、孤独こどくをまとっている。

 だが、それが新しい海野さんのかただとは感じられない。むしろ、ある種の焦燥感を覚える。

 海野さんは執筆の時間になっても宿題を続けた。

 16時半を過ぎて、一人きりの執筆が始まる。

 御題は「孤軍奮闘こぐんふんとう相互扶助そうごふじょ」に拡大解釈かくだいかいしゃくする。それから、いいとこ取りの展開で、反省を行動に活かす話に仕立てる。

 地元の国立大学を目指すド文系とド理系は孤軍奮闘の末に得意科目だけ合格安全ラインに達していた。図書館の休館日に鉢合はちあわせた二人は最寄もよりのファミレスで勉強会を開き、苦手科目を教え合う相互扶助の関係となる。全教科を満遍まんべんなく勉強したことで二人は無事合格し、それぞれのキャンパスライフが始まる。

 細かな修正を入れようとして止める。

 結局、この書き方では、選択肢の良いところを提示することしかできない。

 17時半丁度ちょうどに、海野さんは宿題を一旦止めてくれる。内容は納得できないが、原稿は渡す。

「森峰くんは、どちらの選択肢がいいとは言ってくれないんだね」

 海野さんは小説の感想を言わなかった。

「どちらも選んで、どちらもうまくいく。でも、不思議と現実もうまくいくような気がしてくる。そんなフィクションを書いてくれて、ありがとう」

 18時を待たずに自由時間じゆうじかんになる。海野さんにならって宿題を始めるが、すぐに手が止まる。

 海野さんの様子に変化がない以上、これまでの作品は御題おだいに応えられなかったのだろう。

 例えば、疑問をていする話なら、あるいは、どちらかを選択する話なら、海野さんは柔和な笑顔を浮かべてくれただろうか。

 そんな気は微塵みじんもしない。また、これ以上、御題おだいから作品を書ける気もしない。

「また明日ね、森峰くん」

 海野さんは宿題を終わらせて先に帰る。

 なんとなく部室の鍵をいじり、宿題をサボる誘惑にられるが、気合きあいを入れ直して一気に片付ける。

 18時半には宿題が終わる。部室を施錠せじょうし、鍵を職員室に返却する。職員室の隣には国語科準備室がある。最終下校時刻の19時まで、まだ余裕がある。

 足は自然と国語科準備室に向いた。

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