第二章 第2話

 18時を回り、自由時間じゆうじかんにバックナンバーを読もうとしたとき、廊下から足音が聞こえてくる。

 次いで、部室の扉が開き、がりがまちで上履きを脱ぐ音がして、部室の入口が開け放たれる。

「久しぶり。二人とも元気?」

 出雲いずも先生が快活に笑いながら現れた。

 すぐに海野うみのさんが話し始める。

「出雲先生、部室で会うのは久しぶりですね。何かありましたか?」

「用事が3つほどあってね――あ! 早速、小説を書いていたの? 感心ね」

 出雲先生と目が合い、ひとまず会釈する。海野さんが言いたいことを言ってくれる。

「小説は毎日書いていますよ」

「毎日!?」

 出雲先生が驚愕してその場で固まる。

 その間にフォルダーを海野さんに渡す。同じくフォルダーを持っていた海野さんに頷かれる。

「初日に森峰もりみねくんと相談して、毎日執筆しっぴつ感想会かんそうかいをすることにしました。今日で四日目になります。小説は原稿用紙に、感想会はルーズリーフに書いています。良ければご一読下さい」

「拝見させてもらいます」

 出雲先生は、フォルダーをパラパラとめくり、何度か頷いてみせる。

「すぐにでも部誌ぶしを出せそうね……二人とも、文化祭とは別に冊子を作ってみる?」

 海野さんが振り返る。

森峰もりみねくんはどう? わたしはどっちも行けるよ」

「じゃあ作ろうか。断る理由も特にない」

「オーケー。というわけで、用事1つ目! 部長と副部長を決めてください。部誌を印刷するためにも、役割分担を決めないとね」

 海野さんが手を挙げる。

「はい! わたしは副部長に立候補します」

 思惑おもわくが外れて焦る。部長なんてとても務まらない。

 間髪入かんぱついれずに答える。

「すみません。海野さんを部長に推薦します」

「そんな……困るよ……」

 海野さんは本当に困ったような顔をする。思わず意思が揺らぐ。

 お互い返事にきゅうしていると、海野さんはパッと明るい顔になる。

「そうだ、コインゲームをしよう! わたしがコインを投げるから、森峰くんはどっちの手で取ったか当ててね」

 逡巡しゅんじゅんして、首肯しゅこうするする。

 海野さんはすぐさまカバンの財布から五百円玉をつまんで見せてくる。

 ピンッと五百円がちゅうう。天井近くで自由落下が始まり、胸の高さで両手の影に隠れ、どちらかに収まる。握り方は落下速度を考慮こうりょされており、見た目で判断することは完全に不可能だった。

 海野さんは得意げに両手を突き出す。

 その時、海野さんの右手がわざとらしく動いた。

「さて、コインはどっち?」

「右手だね」

「ちゃんと理由を言葉にして。もちろん、理由が外れたら森峰くんが部長だよ」

 例え、出題者が自由に答えを変えられる問題でも、予め答えを用意する。海野さんという人は真面目である。

「右手はわざと動かした。これをブラフと信じて左を選べば外れ、思わず握ったと信じて右を選べば当たり」

「大当たりだよ……うわあ、全部言われた……」

「正直、コインを取った時点では、どちらも選べなかったよ」

 出雲先生は静観せいかんをやめて海野さんの肩を叩く。

 かくして、部長は海野さんに決まった。

「さて、部誌の印刷は一旦わきにおいて、用事2つ目! 四月二五日の日曜日、皆既かいき月食げっしょくを観測する合宿を開催します。参加したい人はいる?」

 放心している海野さんに代わって聞く。

「もう少し具体的に教えて下さい」

「集合は19時で、解散は午前2時。解散が遅いから、希望者は学校に宿泊できます。学校に宿泊する場合、親御おやごさんの許可が必要になるので、許可書を書いてもらうことになります――と、こんな感じかな。改めて、参加したい人はいる?」

 夜の学校に泊まれると聞いて、自然と気分が上がる。

 皆既月食なんていつぶりだろう……昔、寒い冬の日に、家族と観た気がする。

 きっと親も許可してくれるだろう。迷わずに挙手きょしゅする。

「はい。参加したいです」

「オーケー。では、このプリントの一番下の欄に、自分のクラスと名前を書いて、それから、親御さんの名前とハンコを貰ってきてね」

 プリントには、合宿許可書とあり、出雲先生の説明にあったことが書かれていた。

 出雲先生はまだ放心気味な海野さんにもプリントを配り、サラッと大事なことを言う。

「あと、文化祭までに必ず皆既月食を題材に作品を書いてね――海野さんはどうする?」

「……なんとか参加します」

「わかったわ。それでは早速、部長の海野さんは許可書を集めて、来週中には提出してね」

 海野さんは渋々と頷いてみせる。

「さて、最後の用事3つ目! 何度かホームルームでも話しまたが、家庭訪問かていほうもんの日取りを確認しておきます。まずは海野さん。一番早い四月二九日になりました」

 海野さんはうつむいて黙り込む。部長の件とは無関係なはずだから、家庭訪問で言いづらいことでもあるのだろうか。

 たすぶねになればと声を掛ける。

「出雲先生、別日とかはあるんですか?」

「え? そうね、別日に変えることはできるけど、海野さんはなるべく早い方がいいのよね?」

 海野さんは顔を上げると、困ったような顔を浮かべて答える。

「わかりました。母にそう伝えておきます」

 出雲先生は心配顔になりながらも頷く。

「決まりね。森峰くんは出席番号通り、五月一六日で問題なかったかしら」

「ええ、親は大丈夫だと言っていました」

「よかった。さて、私は国語科準備室に戻るから、何かあったらいつでも訪ねて来てね。帰るときは施錠せいじょうをするように。それじゃあね」

 出雲先生は颯爽さっそうと去っていった。

 放課後が終わるまでバックナンバーを読む。その間、海野さんから言えなかったことを聞き出すか悩んだが、家庭の事情に関わるため断念した。

 18時半のチャイムが鳴り、部室も施錠して、二人で帰路につく。すると、道の反対を歩く女生徒三人がなにやら噂を立て始める。

 思えば、高校生の男女が二人で歩けば、目立つものかもしれない。

「海野さん、これからは別々に帰った方がいいのかな?」

「他人の目なんて気にしない。わたしにとって理想的りそうてき普通ふつうな帰り道は、部員である森峰くんと帰ること。それとも、森峰くんは別々に帰りたい?」

「……別々に帰る理由は特にないかな」

「そう……よかった」

 嬉しそうな声に海野さんを見ると、横顔が笑っていて安心した。女学生も噂話に飽きたのか、せわしなく話題を変えながら、足早に去っていった。

 女生徒が十分離れてから皆既月食の話題を振ろうとして、あることに気づく。

 皆既月食を最後に家族と見たのは、3年前の正月だ。

「海野さん、初日の謎が解けたよ」

「お聞かせ願おうかしら」

「最新刊で気になった作品は『ショーガツ・カイキ』。3年前のこととは、お正月に起きた皆既月食だね」

「ご明察だよ、森峰くん。これで謎も解けたね」

 海野さんは不意に夕空を見渡す。

「月が見えないね。昼は三日月が上がっていたのに」

 少し開けた畑道まで歩いて確認しても、月は見えなかった。

 畑道の真ん中で、海野さんは夕空を仰ぎ、深く長いため息をついた。

「3年前のお正月は、家族全員で皆既月食を見たんだ。玄関先で、七輪を囲んで、月が段々と赤銅色しゃくどうしょくに変わるのを眺めた。そのとき、私が生まれる前に、二人がデートで皆既月食を見た話をしてね。お母さん、すごく嬉しそうに笑っていたんだ」

 海野さんは穏やかな表情を浮かべている。

「あーあ! なんだか話したら謎に安心感があるね。うん、森峰くんに聞いてもらえて良かった」

 なぜか返事ができない。焦燥感があって、他愛もない言葉をいくつも飲み込む。

 そのまま帰路を進み、すぐ海野さんの家に着いてしまう。

「じゃあね、森峰くん。秘密箱の解錠、頑張ってね」

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