第二章 第1話
廊下の足音は聞こえていなかった。
次いで、
「まさか、こんなに早く見つかるとは思わなかったな」
先程の叫び声は聞かれていたらしい。
海野さんの視線から逃れるように足元を見る。
畳の上から紙片を取り上げる。
また、暗号文の
『森峰蓮の秘密箱を開けた君へ。
どうか、秘密箱と暗号文を戻して、蓮に返してほしい。これは蓮への挑戦状なんだ。
それから、蓮と友達になってほしい。この秘密箱を託すということは、君を信頼しているだろうから。』
「この暗号の意味は何か、教えてほしい」
海野さんは、開きかけた
「
その言葉に
それが思い込みであるというのか。
合格発表の日から
それでも、的外れな善意から出た言葉で大翔を傷つけたことに変わりはない。
だが、ひょっとすると秘密箱の中には、それさえ思い込みと言い切れる暗号文が入っているのではないだろうか。
「にわかには信じがたいけど、海野さんがそう言うなら、信じてみるよ」
海野さんはほっと息を吐き、それから謝罪する。
「いままで黙っていてごめんなさい。こんな形でしか伝える方法が思いつかなかったの」
「確かに、この手紙の扱いは指示されていないし、『暗号文を戻す』は『
すると、海野さんは
「別々の高校に行く友人に
海野さんの決まり文句を創作ではなく現実で聞くと、なんだかこそばゆかった。
「森峰くんは、いますぐ中身を知りたい?」
「それは……」
海野さんの提案は、秘密箱の開け方も暗号文の内容も教えられると言っているようなものだ。
手紙にある『挑戦状』の文字から提案を断ろうとしたとき、ふと、暗号を作った当時を思い出す。
中一の秋、大翔はシーザー暗号について
以来、大翔の暗号文はいつだって口に出せない大事な用事に使われてきた。
「自分で中身を確かめるよ。暗号文が使われている以上、挑戦状を受けないわけにはいかない」
海野さんは笑顔で
お互い、いつも通り
秘密箱に挑むうちに自由時間は過ぎて、
「16時半だね、森峰くん」
「ああ、今日も執筆しよう」
そう言ったものの、自己否定に代わるネタは浮かんでいない。
ひとまず、今日も隣でスラスラと書く海野さんに元気を貰う。
すると、
大翔は図工の時間に本棚を作ることになった際、秘密箱を作ろうとして
あのあと、もし大翔が構造的な欠陥を改善できていたら? それは反省を行動に活かす話になるかもしれない。
そして、30分が経った。海野さんのシャーペンが止まる。想像するのにも時間は過ぎていくが、書くことは概ね決まっているため焦りはない。
残り5分になる。本棚を作る主人公の横で秘密箱を作る友人が良い成績を収める話はスラスラと書きあがった。
秘密箱について具体的な情報は調べていない。大翔の秘密箱を解いてから、また改めて秘密箱の話を書いてみたいと思う。
最後に、誤字脱字の確認を済ませる。
「17時半だね、森峰くん」
「ああ、原稿を交換しよう」
原稿を受け取り、カバンからフォルダーとルーズリーフを取り出す。
初日以来、海野さんに誤字脱字はない。ルーズリーフはもっぱら感想を作るために使う。
良いところを箇条書きにして、要点をまとめ、感想に仕上げる。お互いに書き終えたのを確認してから、先に感想を伝える。
「誕生日に中華鍋をもらう子どもはなんだかんだどこかにいそう。棚の
海野さんは小首をかしげる。
「いまのところ
「ああ、それは、わたしが身近なことを
「ああ、なるほどね」
それで話し終えたとばかりに、海野さんは
明日も七輪が登場したら、また聞いてみようと思う。
「感想ありがとうございました。
海野さんはメモを見ずに話しかけてくる。
「全編を通して――」
初めて原稿をカットされなかった。
「――やや誇張が入っていそうなものの、ご友人の
現実と創作の境を言い当てられ、思わず舌を巻く。
「構造の考案ではなく欠陥の解消にうまく焦点が当てられていて、主人公のアメとムチが絶妙でした。特に、図工で独創性を高く評価される終わり方が、わたしからみて
自然と頭が下がり、感謝する。
「感想ありがとう。今後も反省を行動に活かす話を書いていくよ」
「ところで、海野さんはよく『理想的に普通』を使うけど、なにか定義はあるの?」
「うん、あるよ。概ね森峰くんと共有できていると思うけどね」
そう前置きして、海野さんは理想的に普通の定義を教えてくれる。
「理想とは、最善の目的、理念のこと。普通とは、ありふれたもの、多数ある同値のこと。理想の普通とは、対象の要素の中で最も多数と同値になる要素を対象そのものとすること」
「……すまない、もう少しわかりやすく頼む」
「偏っているけどあるあるだよね、って感じかな」
「ありがとう。それならわかりやすい。概ねそう捉えていたよ」
そうして、噛み砕かれた表現に安易に納得して、最初に定義された言葉はすっかり頭から消える。
海野さんが本当はどう考えていたのか、それはわからない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます