第一章 第1話

 春うららかな令和一四年四月八日の入学式。第六一期生代表の挨拶は、例の女生徒が読み上げた。

 この場に大翔ひろとはいない。その事実を、未だ受け入れられずにいる。

 学ランや教材を用意し、入学前の課題もとどこおりなく済ませた。だが、それらを一人でこなすたびに孤独感は増していった。

 大翔のいない式は早々に終わる。

 いつの間にか、体育館から教室に移動し、担任が挨拶あいさつを始めた。

「私はこのクラスの担任になる出雲いずも美咲みさきです。担当する学科は国語で、文芸部の顧問こもんもやっています」

 文芸部、と聞いて心臓が跳ねた。渡りに船とはこのことだ。

「いま、部員は0人で、廃部はいぶの危機にあります。興味がある人は、自己紹介でぜひ教えてください。それでは、窓際の列の一番前の人からお願いします」

 生徒が一人、また一人と自己紹介していく。

 しかし、文芸部へ入部を希望する生徒は一人もいない。

 ついに順番が回ってきたとき、とっさに入部希望はせて自己紹介した。

 悪目立ちする気がした。その直感は当たり、希望者は一人も出なかった。

 自己紹介とホームルームはすぐに終わり、まだ日の高いうちに放課後になる。出雲先生が教室を出るタイミングを見計みはからい、廊下で話しかける。

「出雲先生。文芸部に入部したいです」

「ホントに? ありがとう! 説明会は明日からなんだけど……生徒手帳を出してくれる? ちょっと貸してね……この地図のココ! セミナーハウス2階の和室が文芸部の部室だから、明日の放課後、先に行って待っていて」

 出雲先生はそれだけ言って、足早にどこかに向かった。

 ……明日の放課後はすぐに訪れた。

 生徒手帳の地図を頼りに、文芸部の部室を目指す。4階から1階まで降り、階段正面の扉を開くと、中庭にセミナーハウスが建っている。

 にわかに緊張が走る。思わず木材を取り出し、耳元にあてる。

 木材もとい木箱は、中でかさかさと音を立てる。部員のいない文芸部に手がかりがあるか疑問だが、この木箱さえ開けば、大翔の真意はわかるだろう。

 セミナーハウスに入り、2階の廊下を曲がると、一四じょうはありそうな部室が現れる。この部屋を一人で使えたら気持ちが良さそうだ。

 一番手前の扉を開け、がりがまち上履うわばきを脱ぎ、もう一つの扉を開ける。すると、広々とした和室が現れ――先客に驚かされる。

「あれ? 同じクラスの……森峰もりみねくん?」

 和室の窓辺で座卓に着いていたのは、何かとえんのある女生徒、海野うみの陽葵ひまりだった。

 とりあえず会釈する。間髪かんぱつれずに、廊下から足音がして、出雲いずも先生が到着する。

「二人ともお待たせ! 入部届けを持ってきたから、ボールペンで必要事項を書いてね」

 入部届けと書かれた紙を一枚渡される。海野さんが座卓ざたくの右端に寄ったのを見て、左端に着かせてもらう。

 志望理由だけ小さな嘘をつき、入部届けをさっと書き上げて出雲先生に提出する。

「文芸部にようこそ! 海野さんと森峰くん、二人を歓迎かんげいするわ。活動内容はひとつだけ。9月の文化祭で冊子を発行してもらうこと。普段の活動は、各々おのおので決めてどうぞ。参考程度に、去年までいた生徒は部室で勉強していたわ。さて、今日のところはこれで解散かいさんだけど、何か質問はある?」

 質問と聞いて、この場で木箱について聞くか迷う。

 その間に、海野さんが手を上げた。

「出雲先生。今日、バックナンバーを読んでもいいですか?」

「ええ、もちろん。そこの引き戸に入っているわ。二十年分、読み放題よ」

「ありがとうございます」

「森峰くんは?」

「……大丈夫です」

「わかったわ。それじゃあ、私はこれで帰るけど、何か聞きたいことがあったらいつでも訪ねてきてどうぞ。大体は国語科準備室にいるから、声をかけてね」

 出雲先生は足早に帰っていく。

 廊下の足音が鳴り止まないうちに、海野さんが話しかけてくる。

「あらためまして、わたしは海野うみの陽葵ひまりです。出雲先生から廃部の危機と聞いて、文芸部に入部しました」

 入部理由から真面目そうな人だとわかる。

 海野さんは肩にかかる髪をサラサラと揺らしながら、柔和な笑顔を浮かべて続ける。

「小説を書いたことはないけど、理想的に普通な……コミカルな話? を目指して頑張ります。これからよろしくね」

「……森峰蓮です。バックナンバ―が読みたくて入部しました。どうぞよろしく」

「丁度いいね! さっそく引き戸を調べてみよう」

 引き戸は部室の入口を見て右手にある。引き戸を全て収納すると、格子状の棚に大量のバックナンバーが見つかる。

 海野さんは最新刊を手に取り、花柄はながらの表紙を見ながら言う。

「ねぇ、森峰くん。部室を一人で使えたらいいな、とか思わなかった?」

「正直、期待したよ」

「だよね……でも、森峰くんが入部したからには、ちゃんと活動かつどうしていきたいな」

 海野さんはそう言ってバックナンバーを読み始めた。大翔と関係がありそうなのは最新刊さいしんかんだが、別の機会に読めばいいだろう。

 それにしても、ちゃんと活動というと、小説の執筆しっぴつを考えているのだろうか。来週から執筆なんてこともあるかもしれない。

 念のため、一番古いバックナンバーを手に取り、ネタを探す――そんなときだった。

「あった」

 海野さんがそうつぶいた気がした。何があったのか気になったが、小説を読み進める姿を見て、何も聞かなかった。

 それから座卓に着いて、短編や連載を読み進めていると、あっという間に18時半のチャイムが鳴る。残念ながらネタは見つからなかったが、何を書いても許されるらしいと確認できた。

「戸締まりして帰ろうか」

 海野さんが部室を施錠せじょうし、鍵は職員室に返却する。二人で黙々もくもくと校内を歩いて、同じ下駄箱で靴を履き替える。

「森峰くんは生徒会とか興味ある?」

「……全くない」

「だよね……わたしもさ、理由をつけて、生徒会長を辞退しちゃった」

 引っかかったことをそのまま聞いてみる。

「じゃあ、代表挨拶が最後の仕事だったとか?」

「そうだよ。かんが鋭いね」

「……勘なんて、大して役に立たないよ」

 校門を出たあとも帰り道は同じだった。

 中間テストから自転車点検まで、学校行事の話題はすっかり話し終えてしまう。

 あれこれ話題を探して、海野さんの呟きを思い出す。

「海野さんは、バックナンバーで気になる作品とかあった?」

「あったよ。あると思って探したら、あった」

 海野さんはどこか楽しそうに笑う。

「森峰くん。3年前のことは覚えてる?」

 完全に想定外の質問だった。

 二〇二九年、中学に入学した当時のことばかり浮かび、知り合うはずもない海野さんを記憶の中に探し始める始末。世間的な話題は、ついぞ思いつかなかった。

 くるまぎれに、最初に思いついたことを答える。

「……バックナンバーの最新刊が発行された?」

「はずれー。じゃあ、このことは謎にしておこう」

 海野さんは少しさびしそうに笑い、話題を変える。

「そういえば、森峰くんは秘密箱ひみつばこを持ち歩いて、何に使っているの?」

「ヒミツバコ? ――もしかして、この木箱?」

 真新しいバッグから木箱を取り出すと、海野さんは急に立ち止まってうなずく。

「なるほど、秘密箱なのに見せて回るわけね」

「……この木箱は貰い物なんだ。実は、文芸部に入った理由でもある。とにかく開け方がわからなくて……もし海野さんの迷惑じゃなければ、開けられるか試してもらえないかな?」

 海野さんはしばらく悩んだ。

 その間に『海野』と書かれた表札を、海野さんの背後の門に見つける。海野家は、最寄り駅までの通学路沿いにあることを除けば、ごく普通ふつうの家だった。

「いいよ、試してみる。開けられる保証ほしょうはできないけどね。それじゃあ、また明日」

 かくして、大翔の秘密箱は海野さんにたくされた。

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