第79泳

「深いと冷たくなるの? 北の海は深いってこと?」

 リムの疑問に、グリンが自信なく答える。

「うーん、そうだな。すごく深いと冷たくなる。海面からあたたかい光が来るから、届かなくなるほど深くなってくると、寒いよ」


 グリンは、リムと出会ったあの場所の近くにある、底が見通せないほどに深い谷のことを連想した。視力のあまり良くないリムは、谷に気付いていなかったらしい。

「谷があるんだな。おれ、よく知らなかった!」

 リムはきっぱりと言って、次はいたずらっぽい声に切り替わった。

「ねえ、グリン。その谷の底には何があるの?」

 グリンは唸って、答えられない。見に行ったことがないのだ。


 しかしそんなに考え込むこともなく、グリンは何気なく言葉を返した。

「少なくとも、誰か住んでいると思うよ」

「谷の底に? 寒いのに?」

 驚いたリムは、すっとんきょうな声を出した。そんな声を出しながら、リム自身は谷の底に住んでいる者がすっとんきょうだと思っている。


「歌が聞こえるんだけど、話しかけてみたことはないんだ」

 これが、まさにグリンがあの場所で寝そべって過ごしていた理由の一つである。

 魚の群れがいること、あたたかい光がとどくこと、砂地でいつでも潜って嵐をやりすごせること、他にもたくさんの理由があったが、その中には谷から届く歌を聞けることも入っていたのだ。


「歌って何? 谷の底から歌? なんでほっとくんだ?」

 リムはグリンのことも、なんてすっとんきょうな奴なんだと思い始めた。

「なんだか話しかけられなくて」

 グリンは照れたように、もじもじしながら言葉を引き取る。


「ねえ、グリン。ナンデモミル先生に診てもらって、それから何もかもうまくいったらさ、谷に話しかけてみよう」

 グリンの背中には、ほのかに色づいた体のリムが黒い目をキラキラさせている。

「ええ、どうしようかな」


「どんな歌なの?」

 リムは聞いた。グリンが音楽を聞くためにあの場所にいたなんて、考えようによってはロマンチックだとも感じ始めた。同時に、謎の歌声という状況がミステリアスな雰囲気さえある。もちろん一人では探検できないが、グリンと一緒だと思うと世界の謎まで丸ごと解けてしまえるような気がしていた。


 歌は同じなときもあれば、いつも違うときもある。歌っているときもあれば、シンとしていることもある。同じなのは、聞いていると心にじんわり染みてきて、海に体が溶け出すような、そんな澄んだ歌声だということだ。


 おしゃべりの途中で、突然、グリンの声が低く、いくらか厳しくなった。

「リム。何か見えてきたよ」

「何があるの? 街?」

「いや。なんだろう?」

 目を細めてみると、海の中に高い山のように盛り上がったところがあり、明るい緑に包まれている。

 やがてグリンは理解した。人工物に特徴的な平らな屋根の凹凸や、海底に垂直に立った壁、円柱、そして階段までもがほとんど苔むして、緑色の森を形作っているのだった。


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