第5話 キッチン
僕たちは体育館のような広大なシューズクローゼットを通り抜けて、その隣の部屋に入った。
そこは、500㎡ぐらいの部屋だった。広々とした空間と明るい照明があり、高級な木製のキャビネットとカウンタートップが置いてあった。そして、中央には、アイランド型のキッチンテーブルとおしゃれなハイチェアがあった。
片側の壁には、ステンレス製の冷蔵庫、オーブン、レンジ、食器洗い機などの最新の家電製品がずらりと並んでいた。冷蔵庫の扉なんて、幅5m、高さ2mぐらいの巨大なものだ。そういった家電製品の奥には、ワインセラーやコーヒーメーカーなどのエキストラな設備が並んでいた。壁には花や絵画などの装飾品が飾られていた。
口を開けて見ている僕たちに、高井が説明した。
「ここは、奥様がお書きになった『豪華なキッチン』です。最高級の家具、家電製品を取りそろえております」
僕は美雪に言った。
「美雪。『豪華なキッチン』って言っても、豪華すぎるよ。一体、あの紙に何を書き込んだんだ?」
美雪が唖然とした顔で室内を眺めながら答えた。
「私、『豪華なキッチン』としか書かなかったのよ。それが、こんなにも豪華になるなんて・・・」
高井が美雪に言った。
「奥様。そのあたりは、AIが自動的に判断するんですよ。奥様が、10,000部屋とお書きになったので・・・AIがそれにふさわしいキッチンを作り出したのです」
僕は壁にずらりと掛かっている絵を眺めた。壁の絵は、どれもこれも、学校の美術の教科書なんかで見たことがあるようなものばかりだった。絵の一つをよく見ると・・・ゴッホの『ひまわり』だった。
すると、高井が言いにくそうに続けた。
「実は、ご主人もキッチンをご要望されたのですが・・・普通は、AIがご夫婦のご要望を組み合わせて、一つのキッチンを作り上げるのですが・・・ご主人のご要望が、奥様のご要望とあまりに違うので、AIが判断して・・・ご主人用のキッチンも別にこちらにご用意いたしました」
僕たちは、高井に案内されて、巨大なキッチンを通り抜けた。突き当りにドアがあった。高井がそのドアを開けた。
そこは、4畳半ほどの狭い部屋だった。壁に沿って、汚れた小さなシンクと一口のコンロが一直線に並んでいる。シンクの中には・・・汚れた水切りかごがあって、その横に食べかけの『みたらし団子』と、こちらも半分食べかけの『焼き芋』が捨ててあった。『焼き芋』は新聞紙に包んであって、その新聞紙にはマジックインキで『晃司』と書かれていた。
なんで僕の名前が?・・・
シンクの下を見ると、狭い空間に食器棚とゴミ箱が突っ込んであった。ゴミ箱の中には、食べ終えたカップ麺のプラスチック容器がいくつも放り込んである。コンロの下には、カゴがあって、鍋やフライパン、菜箸やフライ返しなどの調理器具がむき出しのまま、乱雑に突っ込んであった。床の上にはスーパーのレジ袋が無造作に置いてある。レジ袋の中には、カップラーメンがいっぱい入っていた。
調理台の上には、包丁とまな板、塩と醤油、オリーブオイルと酢のボトルが置いてあった。調味料はどれも残りわずかで、容器は茶色く変色していた。調理台の横の床には、一人用の50cm四方ぐらいの扉を持った小さな冷蔵庫が置かれていた。冷蔵庫がブーンという耳障りな、大きな音を立てている。冷蔵庫の前の床には、食べかけのカップラーメンがぶちまけてあって、ラーメンが伸びて床に広がっていた。なんだか、生活の匂いがプンプンするキッチンだった。
高井が説明した。
「こちらが、ご主人が要望されたキッチンです」
僕は呆然として言った。
「こ、これが?・・・僕が書いたのは『新しいモダンなキッチン』ですよ?」
高井が怪訝そうな顔をした。
「えっ、『新しいモダンなキッチン』ですか?・・・おかしいな?」
僕はシンクの中を見ながら言った。
「シンクの中に食べかけの『みたらし団子』と『焼き芋』が捨ててあるよ。しかも、『焼き芋』を包んだ新聞紙には僕の名前が書いてある。・・・これって、何の意味があるんだろう?」
美雪が口の中で「みたらし団子と焼き芋」とブツブツ言っていたが・・・やがて、ポンと手を打った。美雪が僕と高井の顔を見た。
「それって・・・
こういうことじゃないの・・・
『新しいモダンなキッチン』は、ひらがなで・・・
『あたらしいもだんなキッチン』でしょ・・・
これを『あたらしい もだんな キッチン』と分けずに・・・
『あたらし いもだんな キッチン』と分けて・・・
さらに『あ』と『み』はよく似ているから・・・
『あ』を『み』に入れ替えると・・・
『みたらし いもだんな キッチン』になるじゃない。
きっと、AIは『みたらし いもだんな キッチン』と読んだのよ」
高井が納得したように、うなずいた。
「そうかぁ! それで、『みたらし団子』が捨ててあるのか」
僕は美雪に聞いた。
「でも、美雪。『いもだんな』って何なんだよ?」
美雪が僕を見た。
「それは、晃司のことよ。つまり、『いもだんな』は『芋旦那』。だから、焼き芋に晃司の名前が書いてあるのよ」
「・・・」
僕は呆然として、シンクの中の『みたらし団子』と、『晃司』と書かれた『焼き芋』を見つめた。
すると、美雪がポツリと言った。
「カップラーメンばっかりね・・・しかも、床に食べかけのカップ麺がこぼれているわ・・・」
高井が床にこぼれている、カップラーメンの容器を指でつまみながら言った。
「これは私でも分かります。ご主人が『キッチンで麵を打てるように』とお書きになったので、AIがキッチンの床に、お湯を入れて出来上がったカップ『麺』を『打ちつけた』のです」
「・・・」
僕は再び呆然として、床のカップラーメンを見つめた。
僕の要望した『新しいモダンなキッチン』の見学はすぐに終わっってしまった。見るところは何もないのだ。
続いて、高井が『新しいモダンなキッチン』の隣のドアを開けた。
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