王として、親として
「ふぅ…………それで、そろそろ落ち着いたか? シデロよ」
「はい……」
剣一とエルが退場した謁見の間。静けさの戻ったそこでイリオスが問うと、漸く平常を取り戻したシデロが玉座の前に移動し、その場で片膝を突いて頭を下げた。
「無様な醜態を晒しましたこと、心よりお詫び申し上げます。この罰は如何様にも……」
「馬鹿を言え。お前がいなくなっては、誰が余を守るというのだ。それよりも申せ。一体お前は何をされたのだ?」
「それが……わかりません」
「わからない? だがお前は敗北を認めていただろう? 何をされたかわからぬのに、何を以て負けたと思ったのだ?」
「それは……その、言葉にするのが難しいのですが……」
困った顔で前置きしつつ、シデロはあの時の体験を思い出す。
剣一が「いきます」と言った次の瞬間、シデロの世界は盛大に
一見すれば、何もされていない。否、精査したところでシデロの心にも体にも、異常など発生していない。
だが間違いなく、何かがあった。人には決して触れられない、触れてはいけないナニカに触れられた気分は、シデロのなかに根源的な恐怖を呼び起こす。
ああ、恐ろしい。思い出すだけで身の毛がよだつ。痛いとか苦しいとかの感覚ではなく、今まで想像することすらできなかった悍ましい気分。それが己の内側にゆらゆらと溜まっていくと、シデロはたまらず姿勢を崩し、前のめりに床に手を突いて倒れ込んだ。
「っ……はぁ、はぁ……」
「だ、大丈夫かシデロ?」
「は、はい……重ね重ね、申し訳なく…………」
「いや、もういい。とにかく尋常な相手ではなかったということはわかった」
王を守護する騎士の敗北宣言は決して軽いものではなかったが、この様子を見てそれが「甘え」や「油断」だと考えるほど、イリオスも非情ではない。なので話題を切り替えるべく、イリオスは言葉を続ける。
「では、シデロ。お前はあの少年をどう見る?」
「今すぐに殺すべきです」
「ぬっ!?」
シデロの口から飛び出た過激かつ極端な言葉に、イリオスは驚きの表情を浮かべる。
「何故だ? 余の目には、彼の少年はごく普通の……いや、むしろ善良な少年に映ったのだが?」
「それは私も同じです。おそらくは良質な教育を受け、平和な環境で育った人間なのでしょう」
「ならば何故? どうして殺すなどという判断になる?」
「それは……彼があまりにも強すぎるからです」
首を傾げるイリオスに、シデロが険しい表情で言う。
「たとえば私は、国内でも有数の強者であると自負しております。私が本気を出せば、騎士の四、五人を相手にしても勝てるでしょう。
ですが、逆に言えばその程度です。私が乱心したとして、騎士が一〇人いれば十分に取り押さえられるかと思います。
しかし彼は違います。もしあの少年が本気で暴れ出したならば、アトランディアの全軍を以てしても止められるとは思えません。常に万が一を考える騎士団長として、人の手に負えないほど強力な力は、どれだけの利があろうとも排除すべき害であると考えました」
「なるほど。それは確かに一理ある、か……」
剣一が悪人だとは、イリオスもシデロも考えていない。だが人が人である以上、その心は移ろいやすく迷いやすい。剣一が生涯にわたってアトランディアに対し敵対しないなどという補償は神でもなければできないのだから、リスクを排除すべきというのはイリオスとしても納得できる部分があった。だが……
「ほほほ、これだから殿方はいけませんね」
「ミナス?」
突如声を上げて笑った王妃に、イリオスが視線を向ける。するとミナスは笑顔を絶やさぬまま会話に入ってきた。
「確かにシデロの言い分は、私にも理解できます。ですがこの世界には、人の手に余る力など他にも沢山あるでしょう? 科学兵器など、まさにその筆頭ではありませんか」
五〇年前まで魔法もスキルも存在しなかったこの世界では、それらに依存しない武器が幾つも開発されてきた。そしてその発展は今も続いており、とりわけ大量破壊兵器に関しては「もし魔物がダンジョンから溢れたら」という喫緊の危険があったことで進化の幅が大きい。
「陛下もご存じでしょう? あのミサイルとかいう巨大な矢……特に『核兵器』と呼ばれるものが資料通りの威力を見せるのであれば、シデロが如何に強かろうが防げるものではありません。
それでも一発二発なら都市に張り巡らせた結界魔法で防げるでしょうが、何千何万と備蓄があり、絶えず打ち続けられるというのですから、この国の人々が本気でアトランディアを攻めてきたなら、我等は為す術もなく絶滅していたことでしょう。
ですが我等は、別にそれに怯えて暮らしてはおりませんし、他国のミサイルを排除するために工作員を送り込んだりもしていません。それは何故です?」
「何故って……あれはそう簡単に撃てるものではないだろう? 撃てば戦争になる力なのだから、国民にそれを使う正当性を説かねばならん。独裁国家ならばその限りではないだろうが、その場合でも他国に対して自分達の正当性を照明できねば、自分達こそがミサイルを撃ち込まれる立場になるわけだしな」
「ええ、そうですね。つまり恐れるべきは大きな力そのものではなく、その力に適切な枷がはまっているかどうか、ということです。簡単に使えぬとわかっているからこそ、人はそれを抑止力として捉え、無闇に恐れずにすむのです。
であれば話は簡単でしょう。蔓木殿にもまた、そういう枷をはめてあげればいいのです。幸いにして、我等には
「ミナス、お前はエルピーゾをそのために……!?」
驚愕の声をあげるイリオスに、ミナスは微笑みを深める。母として娘の淡い気持ちを後押しするという思いもないわけではないが、ミナスが何より重要視するのは、当然ながら王妃としての自分であり、アトランディアという国家の未来だ。
「ほんの一瞬見つめ合うだけでシデロをそれほど消耗させられるなら、蔓木殿の力は本物なのでしょう。エルピーゾと二人でダンジョン攻略をしてくれれば更にはっきりしますし、二人の仲も深まるはず。
その結果蔓木殿が我等の一族に加わってくれれば最高です。次の世界転移の際に主力となるのは、まさにその世代の者達ですからね」
「それは……」
今の世界で築いた基盤を全て失い、新たな世界に転移した直後がもっとも苦難の時期となるのは、アトランディアの歴史が証明している。その時代に剣一のような圧倒的な強者が身内にいたならば、それだけでアトランディアという国を安定させる難易度は格段に下がることだろう。
しかし、そのためには解決すべき問題が幾つもある。
「ミナス、お前まさか、エルピーゾを女王にするつもりなのか?」
「王位に関しては拘りはありませんわ。蔓木殿が望むのであれば、
「ニキアスはな…………」
王として、親として、息子の名を呟き二人が顔をしかめる。王太子であるニキアスは、その人格や言動にやや問題がある。だが能力的には申し分ないため、王太子を廃するという考えには至らない。
「激しい戦乱に巻き込まれるような世界であったなら、あれは歴史に名を残す名君となる可能性すらあった。だが平和なこの世界では、あれの思考は些か過激すぎる。
それでも優秀であることには変わりないと思うが……果たして民の信認を得られるかどうか」
「王とは民あってのもの。民を踏みつけ高みにあるも、その実民というしっかりした足場がなければ、己の身を支えることすらできぬ脆弱なもの。それを理解し、もう少し優しくなれたならば、あの子もきっと……いえ、それは言っても詮無きこと。己の教育の至らなさを恥じ入るばかりです」
「言うなミナスよ。それは余とて変わらぬ。だがそうだな……そう言う意味では、エルピーゾが王位を得て、その甘さをニキアスが摂政として諫める、というのは理想的ではあるのか。ニキアスの性格からして、逆は成り立たぬ。
しかし、それにはエルピーゾがニキアスを従える力が必要となる。それを蔓木殿が担ってくれれば……いや、いやいやいや、違うぞ。何故可愛い我が娘を、あのような得体の知れぬ少年と結ばねばならんのだ。あの子にはもっと相応しい相手が――」
「陛下? それはもう悪あがきですよ?」
「いやいやいや、そんなことあるまい! あのようなしょぼくれ顔の小男ではなく、もっと精悍で知的な男が――」
「陛下!? それを口に出したら、二度とエルピーゾと口をきいてもらえなくなりますよ!?」
「いやいやいやいや……」
「陛下!」
私室ではなく謁見の間だということを忘れて、イリオスとミナスが言葉を交わす。そんな二人を前に、シデロはただ黙って俯きながら、早く自分の存在を思い出して欲しいと心から願うのだった。
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