王子との邂逅
「エル、何かご機嫌だな?」
「え、そう? そんな事ないと思うけど?」
謁見の間を出てしばし。並んで廊下を歩く剣一がそう問うと、エルは軽く首を傾げてそう答える。だがその足取りは弾むように軽く、誰が見ても上機嫌であることが窺える。
故に「何でだろう?」と内心で考える剣一だったが、すぐに「ああ、家に帰って家族に会ったからか」と納得した。剣一だって偶に実家に帰って両親の顔を見れば、嬉しいとまでは言わずとも落ち着いた気持ちにはなる。それが海を渡った向こう側ともなれば、機嫌がいいのはむしろ当然だと思えた。
「何だよ、やっぱりエルも普通の子供なんだなぁ」
「む? 何よ?」
「いやいや、何でもないって。それよりエル、俺が潜っていいって言われたダンジョンって、どんなところなんだ?」
「ああ、それは――」
「おやおや、そこにいるのは我が愛しの愚妹じゃないか!」
と、その時廊下の奥から、若い男の声が聞こえてきた。剣一達が顔を向けると、そこには如何にも王子様っぽい金糸で飾られた白い洋服に身を包む、黒髪に褐色肌の人物が立っていた。
「お兄様!?」
「え、あれエルの兄ちゃんなのか?」
「ははは、何を驚く愚妹よ。ここはアトランディアの城で、私はアトランディアの第一王子……王太子なのだぞ? ならば私がここにいるのは当然ではないか!」
鋭い目を細め、サメのようにギザついた歯を見せて王太子ニキアスが笑う。そのままエルに歩み寄ると、ニキアスはエルの腰をかがめて覗き込むように自分の顔をエルの顔に近づけた。
「そういうお前こそ、何故ここにいる? 日本に放逐されたのではなかったか?」
「ち、ちが! 違います! アタ、私は、そんな……」
「おっと、そうだったな。『神の声を聞いた』などと嘘をついて陛下達の関心を引き、日本に遊びに行ったのだったな! 民の血税で遊びほうけている愚妹が恥知らずにも戻ってきたという報告は、確かに受けていた!
いやぁ、失態失態。愚妹と違って王族の責務に忙しいあまり、この世でもっともどうでもいい情報は聞き逃してしまっていたようだ。これがお前の弔電であったならそんなことはなかったのだが……許せ、愚妹よ」
「……………………」
六つ年上の兄の言葉に、エルは何も言い返せない。ただただ萎縮し、俯いて唇を噛みしめる。そしてそんなエルの態度に、ニキアスは更に上機嫌で言葉を続ける。
「それで? 此度はどのような理由で帰ってきたのだ?」
「それは……『世界を滅ぼす災厄』を討伐したというご報告を…………」
「ほう? それは素晴らしいな。で、どのように討伐したのだ? 討伐した証拠は? 目撃者は? 被害はどの程度あったのだ?」
「ひ、被害はありません……目撃者は、私達だけで…………証拠も…………」
「何と!? 何処にも被害を出していない災厄を、自分達しか見ていない場所で倒し、その証拠は何もない!? アハハハハハハハハ、それは凄い! たしか私の部下の子供も、昨日山のように巨大なカイジューとやらを倒したと言っていたぞ! まあ夢の中でだがな、ハハハハハ!」
「…………………………」
「あれ? エルの兄ちゃん、知らないのか?」
黙ったままのエルの隣で、剣一がふとそう言葉を漏らす。さっき謁見のまでイリオスとミナス……
ならば王子にだってニオブのことは報告されているんじゃないか? そんな疑問が浮かんだだけだったのだが、ニキアスはそれに敏感に反応する。
「? どういうことだ愚妹よ。まさかこの私に隠し事をしているのか?」
とはいえ、ニキアスが剣一を……この場に相応しくない部外者を認識することなどない。ならばこそ妹にその言葉を真意を問う。
そう、ニキアスは知らなかった。知ろうと思えば知れる立場ではあったが、本人の言葉通り忙しく立ち回っていることに加え、エルに対する情報収集は、ニキアスの優先順位の中ではかなり下の方にあったからだ。
つまり知らないのは自分のせい。だがエルが自分に隠し事をすることなど許せない。強い声色で問うニキアスに、エルが必死に声をあげる。
「か、隠してなんて! その……私達が倒したドラゴンが、姿を変えて一緒にいるんです」
「ドラゴンだと!? 馬鹿を言え、そんなものがいたら大騒ぎに……待て、そういえばドラゴンの着ぐるみを着た者が騒いでいたと報告があったような……まさかそれだとでも言うつもりか?」
「いえ、そっちではなくて……」
「ほらエル、これ」
言い淀むエルに、剣一は自分のスマホのアルバムを開いて差し出した。そこには甲羅にピンクハートのドット絵が描かれたニオブと、笑顔でピースをするエルのツーショット写真が表示されている。
それを受け取り、エルが兄に画面を見せた。だがニキアスは怪訝な表情を浮かべて首を傾げる。
「……何だ? 笑顔の愚妹は極めて不快だが、その他に映ってるのは亀だけだが?」
「その亀が、『世界を滅ぼす災厄』のなれの果てです……お兄様」
「……………………は?」
エルの言葉に、ニキアスはキョトンとした表情となる。だがすぐに理解が及ぶと、腹を抱えて大声で笑い出した。
「ハッ……ハッハッハ! クハハハハハハハハ! フッ、ハッ……ま、待て。それは流石に……流石に予想外だ。ハヒッ、ヒッヒッヒッ…………
亀!? この亀が!? 世界を滅ぼす災厄!? こんなペットが、災厄……ハッハッハ、確かに愚妹と比較すればなかなかの大きさだ。これが暴れれば、蟻の
しかも、しかもお前……随分その『なれの果て』と仲がいいではないか! まさかお前が災厄を懐柔して、飼い慣らしたとでも!? フハッ、クックックッ……
ふぅ、ふぅ、ふぅ…………素晴らしいな愚妹よ。お前には散々笑わされてきたが、今回が最高だ! 危うく笑い死ぬところだった」
「……………………」
「そうかそうか。では今回の帰還は、陛下にペットを買うことをおねだりするためだったというわけか。相変わらず私の……いや、国民の税金を無駄にするのは気に入らんが、これだけ笑わされたならば、その程度は見逃してやってもいい。
それで陛下はなんと? この大きさだ、トイレの躾はできるのかとでも問われたのか?」
「いえ、その、ケンイチ……この人と一緒に『海の王冠』に入る許可をもらいました……」
「……何だと?」
エルの言葉に、ニキアスの表情が激変する。それまでの小馬鹿にした態度から一変、殺意すら籠もっているような目でエルを睨み付ける。
「どういうことだ愚妹よ。『海の王冠』だと!? 幾らお前でも、その意味がわからぬわけではないだろう!
あのダンジョンに入る時は三つある。ひとつは、王家に子が生まれた時。ダンジョンに入れることで、その子が間違いなく王家の血を引いていると証明するためだ。
二つ目は、王位継承の時。次代の王がアトランディアに認められる王であると知らしめるため。
そして三つ目は……王となるものが、その伴侶を招き入れる時だ。王族と共にダンジョンに入り、その血もまた王族の一部になるのだと宣言するためだ。
そのダンジョンに、お前が入るだと!? しかもこんな、得体の知れない下郎とだと!? そしてそれを、陛下が許可しただと!? お前まさか……私から王位を
「ヒッ!?」
「おい!」
エルの顔面を目がけて、ニキアスの拳が振り下ろされる。だが悲鳴をあげたエルに拳が当たるより前に、剣一がその手をガッシリと掴んでとめた。するとずっと無視し続けていたニキアスの視線が、初めて剣一の方を向く。
「離せ下郎。王太子である私に触れる許可を、誰が出した?」
「友達を守るのに許可がいるなんて話、聞いたことねーな」
これは家族の問題であり、アトランディアという国の中での問題。そう考えたからこそずっと我慢していた剣一だが、年下の女の子にいい大人が手を上げるのを黙って見過ごすほどではない。
にらみ合う二人。だがそんな二人の間に、エルの声が響く。
「やめて! やめてケンイチ、アタシは大丈夫だから!」
「エル? でも……」
「それにお兄様、ケンイチはお父様が……陛下がお認めになったお客様です。そんな方を乱暴に扱っては、きっと陛下に怒られます!」
「む…………チッ、離せ!」
戸惑う剣一とは対照的に、ニキアスは舌打ちをして剣一の腕を振り払う。
「愚妹の妄言に乗るだけならまだしも、陛下まで誑かすとは……随分と上手く立ち回ったようだが、私はそうはいかん。我がアトランディアに害を為すというのなら、徹底的に排除するだけだ。
それが嫌ならさっさと消えろ。愚妹と同じ子供だろうと、詐欺師に容赦するほど私は甘くない」
「誰が詐欺師だよ!? あと同じじゃねーよ。俺の方がエルより二歳年上だ」
「ん? 愚妹の仲間は全員同い年だったはずだが? 背丈も変わらんではないか」
「ぐはっ!? ち、ちげーよ! 俺はまだ成長期なんだよ!」
「ケンイチ!」
「フンッ、下品なガキだ……警告はしたぞ」
拳を握るケンイチを、エルが必死に止める。そんな二人を侮蔑の目で見下してから、ニキアスはカツカツと足音を響かせてその場を去っていった。
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