母の教え
「はぁ…………」
自室に戻りベッドにゴロンと横になると、エルは深くため息を吐いた。久しぶりの自分のベッドも、全く心が安らがない。
「何でこんなことになっちゃったんだろう……」
エルがアトランディアを出たのは、初めてスキルが発動し、幼い日に聞いた「神の声」が本当に本物だったのだと確信を得た一〇歳の時だ。スキルの特殊性をアピールし、必死に両親を説得して導かれるように日本に移り住んでからも時々は帰還していたが、今回のそれは違う。
なにせ「使命を達成した」という報告だ。信じて送り出してくれた両親に感謝を伝え、一緒に頑張った仲間達の偉業を認めてもらい、平和になった世界で、再び仲良く暮らす……そのための第一歩のはずだったのだ。
だというのに、最初でいきなり躓いた。しかも自分の何が悪かったのかがわからない。あきれ顔の父が、何も言わない母が、何だかとても遠く感じられて……エルはそっとズボンのポケットから剣一にもらった飴玉を取り出した。
「…………」
勿論、飴玉は何も言わない。そして飴玉をくれた人物も、疑問の答えはくれないだろう。ただ自分がしょんぼりしていたら、きっとくだらないことを言って笑わせたり、元気づけてくれようとはしてくれる気がする。
「アイツ、今頃何やってんだろ……?」
昨夜のことを思い出せば、今日もケンイチとニオブは馬鹿なことをやってはしゃいでいる気がする。その楽しげな姿の妄想に笑ったり呆れたりした後、自分は何をやっているんだろうと軽く落ち込んだところで、不意に部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「はーい。なにー?」
「こら、はしたないですよエルピーゾ」
「えっ、お母様!?」
ベッドに寝転んだまま声をあげると、勝手に開いた扉から入ってきたのは母ミナスであった。だらしない姿を晒す娘にミナスが呆れた顔で声をかけると、エルは慌ててベッドから飛び起き、室内にある小さなテーブルに母を招き、自分もその正面に座った。
「まったく。貴方ももう少しで一三歳になるのですから、もう少し恥じらいをもたねばなりませんよ?」
「うぅ、申し訳ありません、おか……いえ、王妃様」
「ふふ、母で構いませんよ。ここは謁見の間ではなく、貴方の私室なのですから」
恐縮するエルに、ミナスは柔らかく微笑んで言う。だがすぐにその表情を引き締めると、ミナスが改めてエルに声をかけた。
「さて、エルピーゾ。私がここを訪ねた理由はわかりますか?」
「えっと……さっきの報告の件でしょうか?」
「そうです。貴方は何故お父様が……国王陛下があのような態度をとったかわかっていないようだったので、教えにきたのです。
本来ならば自分で気づかねばならないことなのですが……まあ今回は特別ということで」
「それは……ありがとうございます」
わからなかったことを、教えてくれる。それが決して当たり前ではないことを知っているエルは、きちんと頭を下げてお礼の言葉を言った。ミナスはその態度に満足げに頷くと、そのまま説明を続けてくれる。
「いい心がけです。それであれば私も心置きなく教えられるというもの。では話を続けますが……先ほどの報告には、二つの問題がありました。まず一つ目は、報告の内容そのものです」
「えっ!? でも、あれはアタ……私の経験をそのままお伝えしたのですが? それとももっと簡潔に纏めた方がよかったんでしょうか?」
「いえ、そういうことではありません……というか、やはり自覚がなかったのですね」
「? そ、それはどういう……?」
戸惑いながら問うエルに、ミナスが小さく苦笑する。
「貴方の報告……最初の方はともかく、途中からケンイチという少年の活躍ばかりを語っていましたよ?」
「えっ!? そ、そうでした、か?」
「ええ、それはもう。それはそれで実際にあったことなのでしょうが、王女が陛下にする活動報告としては極めて不適切です。最初は普通だったので〇点とまでは言いませんが、甘くつけても二〇点くらいです。勿論一〇〇点満点でですよ」
「うぐっ…………」
母の言葉に、エルは両手を握りしめて俯く。といってもそれは先ほどまでの悲しみや寂しさではなく、単純な羞恥心だ。
だが、それも無理からぬことだ。今のエルに大金を稼ぐ能力などないので、日本への渡航費、滞在費、生活費などなど、その全ては国の税金で賄われている。ならばこそ王女である自分がどのような活動をしていたかを正確に報告するのは、エルに課せられた義務だ。
だというのに王家と全く関係ない外国の少年の話をしたら、そりゃ怒られるに決まっている。父の仏頂面の真意を理解すると、エルはそのまま消えてしまうんじゃないかと思うくらい、身を縮めて小さくなった。
「ご、ごめんなさい……全然気づいてませんでした……」
「わかればいいのです。それで二つ目の問題ですが……そちらは報告をする時の、貴方の態度です」
「態度……? え、そっちにも何か問題があったんですか!?」
しばらく国を離れていたこともあり、エルは王女としての立ち振る舞いからやや遠ざかっていた。しかしそれでも、謁見の間で国王に対して無礼となるような態度をとったつもりは微塵もない。
ならばそこもまた、気づかず失敗していたのか? 不安げに母の顔を見つめるエルに、ミナスは小さくため息を吐く。
「はぁ……いいですか? 貴方の報告は報告と言うより、ケンイチという少年が如何に素晴らしい人物かを訴えかけてくるようなものでした。それこそ意中の殿方を猛然とアピールするように――」
「うぇぇぇぇぇ!?!?!? ちょ、ちょっと待って下さい! アタシ、そんなつもりは全然――」
「お黙りなさい! 貴方に自覚があろうとなかろうと、あれはそうとしか聞こえなかったのです。あの時の陛下の態度の半分は、久しぶりの再会に心を躍らせていた愛する娘にいきなり彼氏自慢を聞かされて、年甲斐もなく拗ねたからなのです」
「か、か、か、かれしぃ!? 違う! 違うから! ケンイチは全然、そんなのじゃないんだからね!」
もはや取り繕う体裁もなく、エルが大声で母に叫ぶ。だがミナスは素知らぬ顔でその訴えを聞き流す。
「誤魔化す必要はありません。今までの報告から、貴方が久世さんを狙っても光岡さんと競り合うのは難しいだろうとずっと懸念しておりましたが……」
「ヒデオ? 何でそこでヒデオの名前が出てくるのよ?」
剣一には激しく反応したのに、英雄の名にはキョトンとして首を傾げる。そんな娘の態度に、ミナスは重ねてため息を吐いた。
「はぁ……その反応の違いが全てです。まあ貴方自身にはまだそれほど自覚がないのかも知れませんが」
「だから自覚とか、そんなんじゃないの! アタシはあんな馬鹿のこと、何とも……ほんっとうに何とも思ってないんだから!」
「はいはい……あ、そうでした。陛下からの伝言です。本日の報告はもういいので、明日改めて登城して報告せよ、とのことです」
「あ、はい。わかりました」
「それと、件のケンイチという人物を連れてきて来なさい。陛下が話を聞きたいそうです」
「あ、はい。わかり……って、違うわよ!? 何で!? 何でケンイチを呼ぶのよ!?」
そのまま流しそうになったエルが、気づいて立ち上がり思い切り突っ込む。だがミナスの涼しい顔は変わらない。
「落ち着きなさいエルピーゾ。そんなではケンイチさんに嫌われてしまいますよ?」
「何言ってるのよ! デブゴンとエロガメと一緒に暮らしてるようなケンイチが、こんなこと気にするわけ……だから違うの! もーっ! お母様は、もーっ!」
「ふふふ……一応言っておきますけれど、ケンイチさんは重要人物ですよ? だって『世界を滅ぼす災厄』を実際に倒したのはその方なのでしょう? ならば陛下が話を聞きたいと思うのは、むしろ当然ではありませんか?」
「それは……まあ、うん。そうだけど…………」
「ということですので、頼みましたよ。ああ、勿論ケンイチさんの都合を優先しても構いません。ただ我が国に滞在している間には必ず会いに来ていただくように、とのことです」
「うぅぅ……わかりました」
甚だ不本意ではあるが、国王の要望をはねのけることなどエルにはできない。理不尽な要求ならまだしも、一応まっとうな理由があるなら尚更だ。
故にエルが不承不承頷くと、王妃に相応しい優雅な動作でミナスがそっと席を立つ。
「では、必要なことは伝えましたよ。それとエルピーゾ、最後に一つだけ言いたいことがあるのですが……」
「ま、まだ何か?」
「……その手、ちゃんと綺麗に洗っておきなさい。それがなければ貴方の無事に感謝して抱きしめたかったのですが」
「えっ、うわっ!?」
言われてエルが手を見ると、無意識のうちに握りしめていた飴玉が溶けて、手がベタベタになっていた。確かにこれで母の体に腕を回したら、せっかくのドレスが台無しになってしまう。
「まあ、そういうところも貴方らしいですが。では、また明日お話しましょう」
最後のそう言って笑うと、ミナスが部屋を出て行く。そうして部屋の扉が閉じられると、エルは様々な感情の交じり合った唸り声をあげた。
「ぬぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! あーもう! あーもう! 何なの!? 何なのよもーっ!」
腰をくねらせ体をよじり、自分でもよくわからない感情を声に出して吐き出していく。そうして最後にベタベタになった手を見ると、そっと顔を近づけて匂いを嗅ぎ……ちょっとだけ舐めてみる。
ペロリと触れた舌先には、まるで初恋のような甘酸っぱい味がした。
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