エルの報告
時はわずかに遡り、剣一達がまだ撮影をしている頃。アトランディアの王城では、エルもまた緊張にその身を包んでいた。
「姫殿下。陛下の準備が整いましたので、こちらへおいでください」
「わ、わかったわ」
侍女に呼ばれ、エルが席を立つ。そのまま姿見のところに行くと、クルリと回って自分の格好を確認した。
「ねえ、これ大丈夫? 久しぶりに着たけど、変なところないわよね?」
「ええ、とてもお似合いですよ」
今のエルの格好は、いつもの服の上から淡く輝く薄手の布を巻き付けた姿になっている。これはアトランディアでは正式なドレスとして扱われ、もし剣一がこの場にいたら、昔話に出てくる天女の羽衣みたいだと表現したことだろう。
「そう、ありがとう」
侍女の言葉に礼を告げると、エルはその足で城の中を歩いて行く。勝手知ったる場所ではあるが、今向かっているのは謁見の間なので、いつもいた王族の私室とは違う。
何でそんなところで両親と会うかと言えば、今回のこれは単純な里帰りではなく、「世界を滅ぼす災厄」を討ち果たしたという報告も兼ねているからだ。特に余人が同席するとか、大々的に発表するとかではないのだが、それでも形式というのは大事なのだ。
「ふぅぅ…………よし、行くわよ!」
ただ家に帰っただけ、家族に会うだけ。そう自分に言い聞かせてエルが固くなった体に気合いを入れると、脇に控えた騎士達が大きな扉を開けていく。
足下から伸びる赤いカーペット。その先には豪華な椅子が二脚並んで存在し、そこにはエルによくにた中年の男女が腰掛けている。
チリチリと巻かれた黒髪に彫りの深い顔。ふわりと膨らむようにゆったりしたズボンを履き、ガッチリした裸体の上にふさふさした金の毛で縁取られた赤いマントを羽織る壮年の男性がエルの父にして現国王イリオス・バシレオス・アトランディアで、赤い髪を柔らかく腰まで伸ばし、トーガのような服を纏うエルによく似た顔立ちの女性が、母にして王妃のミナス・バシリッサ・アトランディアだ。
「モイス、エペストレプサ。アフトゥ、メガリオ……っ」
小さな段差のある玉座の手前まで行くと、エルはアトランディア語で両親に挨拶をし……だがあろうことか、それを途中で噛んでしまった。まさかの自体にエルの顔からサッと血の気が引いていくと、イリオスがそれとわからぬくらい小さく口元を歪めると、落ち着いた声でエルに話しかける。
「気にしなくていい。よくぞ戻った、我が娘よ」
「えっ、日本語!?」
「ははは、何を驚くことがある。我が国に住まう者の大半が日本語を話せることくらい、お前だって知っているだろう。いや、それどころか今では普段から日本語を話す者の方が多いくらいだ」
「それは……そうですけど…………」
何故アトランディア王国の民が日本語を話すのか? その理由の一つは、アトランディアがこの世界に現れた際、一番最初に接触したのが日本だったからだ。
常に異世界を彷徨い続けるアトランディアにとって、その世界の支配種と接触し、その言葉を理解することは最優先事項となる。ましてやそれが自分達と同じ姿を持つ人類であり、自分達とは全く方向性の違う高度な文明を持っていたとなれば、これまでのノウハウの全てをつぎ込んで言葉を覚えようとするのは当然のことだ。
といっても、勿論日本だけがアトランディアと接触したわけではない。すぐにハワイ島の方にも人類がいて、そちらは違う言葉を喋る別の国の人間であるということは判明したし、それどころかこの世界には無数の国があり、それぞれが違う言葉を使っているということも理解した。
ならばこそどの国の言葉を、ひいてはどの国との付き合いを優先すべきかは、この世界におけるアトランディアの立ち位置を大きく変える重要な決断となるわけだが……そこで日本が選ばれた理由の影には、黒巣 弦斎の姿があった。
スキルやダンジョンといった未知の存在に国内が混乱するなか、弦斎はそれらの存在を前提として活用し、高度な文明を築いていたアトランディアという国を極めて重要視していた。
故に自分達の利益が損なわれると文句を言う大企業や、反スキルを謳う市民連合など、普通の政治家なら顔色を窺わねばならない存在を全て無視してアトランディアとの関係を深め、その技術を取り込むことで自分の立場を盤石にすると共に、日本という国を立て直す大きな力としたのだ。
そしてそれは、アトランディア側としても好都合だった。時間が限られているというのに他の国が及び腰でなかなか動かないなか、日本はいち早く、そしてわかりやすく正面から技術交流を打診してきた。
その条件はアトランディア側からしても十分に利のあるもので、結果としてアトランディアはぽっと出の国でありながら、現在の世界で最も日本に友好的な国となっている。
故に、アトランディアの国民は日本語を話す。世界の滞在時間が決まっているアトランディアにとって、相手が自分達の言葉を学ぶことを待つより、自分達が相手の言葉を覚えてしまう方がより効率的だからだ。
しかも覚えてみると、日本語というのは表現の幅が広くて面白い。そもそも若い世代は最初からアトランディア語と日本語を平行して習うということもあり、気づけば日常的に日本語を使う者が増え、むしろ自分達しか使わないアトランディア語の方が第二言語になる勢いで浸透していったのだった。
「我等アトランディアの民にとって、言葉は世界を渡るごとに大きく変わるものだ。失えば取り戻せぬから粗末に扱うことはないとはいえ、無理に拘る必要もない。
それにお前はつい先日まで日本で暮らしていたのだ。ならば無理せず日本語で報告せよ。アトランディアの王として許可する」
「……ご配慮ありがとうございます、陛下。ではアトランディア王国王女、エルピーゾ・プロタ・プリンギピッサ・アトランディアが、今回の事の顛末をご報告致します」
頭を下げてそう言うと、エルは日本に渡ってからのことを話し始める。英雄達と出会い、スキルの使い方を覚え、しかしなかなか指導員を決められず、そうこうしている間に法改正によってダンジョンに入りづらくなり……
しかしその先で、エルは剣一と出会う。ごく普通の家に生まれたごく普通の少年は、しかし普通とはほど遠い力を持っていた。
自分達のように使命を背負っていたわけでもなく、誰かに報酬を約束されていたわけでもない。ただ関わったから、後輩だったから……その程度の軽い気持ちで世界を救ってしまった。
いや、それだけではない。剣一は倒すべき敵すらも救ったように思える。昨日見た剣一とニオブの姿を頭に浮かべれば、果たして強くなった自分達が光塵竜ニオブライトを倒した時、同じ結末を迎えられたか? その問いにエルは「きっと無理だ」と心の中で首を横に振る。
あの光景は、剣一だからなのだ。剣一だったから、あの結末に辿り着けたのだ。
ただ強いだけの乱暴者でも、優しいだけの軟弱者でもない。そりゃ抜けてるところやお馬鹿なところもあるし、友達に怒られたりやらかしてしょんぼりしていたりすることもある。
だが、それが剣一だ。そういう剣一だったから、自分達もニオブも、みんな纏めて救われるような結果が得られたのだ。だから――
「…………もういい」
熱を込めて話し続けるエルの言葉を、不意にイリオスが遮る。ハッとしたエルが改めてその顔を見ると、イリオスがしかめっ面で自分を見ていることに気づいた。
「えっ、でもまだ……」
「もういいと言ったのだ」
「…………も、申し訳ありません」
理由はわからないが、自分の報告に
「ふぅ……続きはまた後で聞くことにしよう。もう下がっていいぞ」
「はい……では、失礼致します」
しゃなりと王女らしい優雅さで一礼すると、エルはそのまま踵を返す。
一体自分の何が悪かったのか? どうしてイリオスはあんなに怖い顔をしていたのか? 考えても何もわからず……エルはそっと、ポケットに入れたままだった飴玉に手を触れて俯くのだった。
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