我が儘の代償

「はー、面白かったな!」


「そうね。アタシは以前も来たことあったけど、今日が一番楽しかったわ」


 そうして資料館を堪能した剣一に、エルもまた満足げな笑みを浮かべて言う。勿論他の友人達も楽しげだったが、すぐにその表情が寂しそうなものに変わる。


「でも、そろそろ帰らないとだよね……」


「だねー。帰りの電車の時間もあるし」


 窓の外に広がる夜景に、祐二と愛がそう呟く。アトランディアは日付変更線のやや手前にあり、日本との時差が三時間ほどあるので、日本時間の午後六時はここだと九時くらいになるのだ。


「何だ、もう皆帰っちゃうのか……」


「仕方ないよ剣ちゃん。というか、そもそも僕達がここにいることの方がおかしいんだしね」


「そうだよ剣ちゃん。それにちょっとだけだけど、実際にこっちに来られて楽しかったしねー」


「今日はとっても楽しかったです。ありがとうございます、ディアさん」


「ディア様のおかげで、充実した時間を堪能できましたわ」


「カカカ、気にしなくてよいのじゃ。じゃがどうしても気になるというのなら、また美味いお菓子を持ってくるのじゃ!」


「ええ、勿論。最高級のクッキーの詰め合わせを用意致しますわ」


「なら俺ちゃんにも何か……ウェイ!?」


「お前は別に何もしてねーだろ! 調子に乗んな!」


 ディアに便乗しておねだりをしようとしたニオブの頭を、剣一がペチッと引っ叩く。ビヨンと揺れたニオブの頭に皆が笑い声をあげ……そこでふとエルがディアに声をかける。


「ねえ、デブゴン。そんな簡単に転移魔法が使えるなら、明日以降も皆をこっちに連れてくることはできないの?」


「うむ? そりゃ勿論できるのじゃ」


「そうなの!? だったら――」


「じゃが、そう頻繁に転移魔法を発動させると、流石に周囲に魔力の発生源として認知されてしまう可能性が高いのじゃ。ケンイチがそれを気にせぬというのなら、ワシは構わぬが……」


「うっ!? いや、それはちょっと……」


 ディアにチラリと視線を向けられ、剣一が口ごもる。


 剣一にとって、ディアは勿論ニオブでさえも、今はもう半ば身内のような感じになっていた。厄介な同居人だと思ってはいても、自分が迎え入れたのだから自分が面倒をみようと思うくらいに責任を感じ、何か問題を起こしたら一緒に謝ってやろうと考えるくらいには情も移っている。


 だからこそ、変に問題を起こすことで以前に懸念していたようにディア達と引き離されるのは嫌だった。あるいは今なら聖に……ひいては清秋に頼めば何とかなるのかも知れなかったが、先の誘拐事件のように「自分は巻き込まれただけで、自分ではどうしうようもないこと」に対して力を借りるのはともかく、「自分が(ディアが)問題を起こし、それを自分に都合のいいように処理するため」に力を借りるのは違うと考えている。


 そしてそんな剣一の内心を、祐二や愛は長年の付き合いからすぐに察した。なので口を開こうとしたが、意外にも最初にそれに応えたのはエルであった。


「そっか、なら仕方ないわね。ま、今日一日……半日遊べただけでも十分よ。そうでしょヒデオ、ヒジリ?」


「うん、そうだね」


「ええ、その通りですわ。これ以上の我が儘を言っては、お爺様に怒られてしまいます」


「だね。それじゃ――」


「おいおい、もう帰っちゃうのかよ! 俺ちゃんもっと観光とかしたいぜ! ウェーイ!」


 いい感じに話がまとまりそうなところで、ニオブが横から……否、下からそう声をあげる。


「ニオブお前、空気読まないにも程があるだろ……」


「そうは言うけどイッチー、俺ちゃんだってディアだって、もうずーっとイッチーの部屋の中に籠もりっきりなんだぜ? たまには外に出たいって思ったって無理ないじゃん! ウェイ!」


「む、それはまあ……」


 事情があるとはいえ、彼らを自室に閉じ込めているという自覚は剣一にもある。なので「たまには外に出たい」という言い分は理解できるものの、それを許せるかどうかはまた別の話だ。


「えっと、セルジオさん? ここみたいに通りを封鎖するのは……」


「申し訳ありませんが、流石にそれは……」


「ですよねー」


 資料館のような閉鎖された場所ならともかく、道路の完全閉鎖……しかも絶対に誰からも見られないような状態にするというのは、よほど緊急事態でもなければセルジオの権限で行えるものではない。


 そして剣一も、そのくらいはわきまえている。ただニオブの願いも叶えてやりたいという気持ちがあるため、剣一はその場で考え込む。


「うーん、ならいっそ、お前の光学迷彩の魔法で消えて、その状態で散歩でもするか?」


「ウェイ? それでもいいけど、俺ちゃんの魔法は姿が見えなくなるだけで、そこに在ることには変わりないぜ?」


「剣ちゃん、その大きさの亀が見えなくなったら、色んな人がぶつかったり躓いたりして大変なことになるんじゃない?」


「待て待て、何故ニオブだけ外に出る感じになっておるのじゃ! ニオブが出るならワシだって外に出たいのじゃ! 食べ歩きとかしたいのじゃあ!」


「ぐぬぬぬぬ……」


 いい閃きかと思ったら、秒で祐二に駄目出しされてしまった。しかも亀だけでなく自分より大きな体のオッサンドラゴンまで外に出たいと言い出す始末。最初の一つで万策尽きてしまった剣一が困り果てていると、ジッと話を聞いていた愛がパッと表情を輝かせて言う。


「ねえ剣ちゃん、それならこういうのはどうかな?」





「ウェウェイウェウェーイ! ウェウェイウェウェーイ! ウェウェイウェウェイウェイウェイウェイウェイウェイ!」


「カッカッカ、これは実に素晴らしいのじゃ!」


「……………………」


 夜のアトランディア。空港が近いということもあり、未だに人で賑わっている大通りを、ディアもニオブも一切姿を隠すことなく練り歩く。ただしディアの背中にはニオブの魔法でファスナーの幻影がついており、ご機嫌に唄うニオブの背には、なんと剣一が座っている。


「ママー、亀さんとドラゴンさん!」


「あら、本当ね。何かの宣伝かしら?」


「あのドラゴンの着ぐるみ、いい出来だな。まあ歩き方がまんまオッサンで中の人感が出過ぎだけど」


「いやいや、あの亀の方が凄いだろ。人間乗っかってるのに潰れるどころか四足で歩くって、どういう構造なんだ?」


 道行く人の注目を一身に集める剣一&ドラゴンズ。これが愛の考えた案……つまり「逆に目立ちまくってしまえば、誰も本物だと思わない作戦」である。


 実際、今現在剣一達に向けられている視線は、夢の国のネズミに向けられるのと同種のものだ。まさかこれらが本物のドラゴンであるなど、誰も思うはずがない。


「ほらほら、イッチー。笑顔が消えてるぜ? もっと楽しそうにしないと。ウェーイ!」


「う、うぇーい…………」


 ちなみに、何故剣一がニオブに跨がっているかと言えば、流石にディアとニオブだけを歩かせるわけにはいかなかったからだ。そのうえで何故剣一が上に乗っているかと言えば……実のところ、それがニオブの望みだったからである。


「なあニオブ、今更だけど、何で俺がお前に乗らないとなんだよ? 一緒に歩くだけでいいだろ?」


「ウェイウェイ、そんな寂しいこと言うなよイッチー。俺ちゃんとイッチーの仲だろ?」


「いや、どんな仲だよ!?」


「細かいことは言いっこなしだって! ウェイウェーイ!」


「意味がわからん……」


 股の下ではしゃぐニオブに、剣一が露骨に顔をしかめる。すると不意に大人しくなったニオブが、振り返ることなく静かな口調で言う。


「……もう二度と、誰かを背に乗せることなんてないと思ってたんだ。だからイッチーを乗せられて、俺ちゃんはちょっと嬉しいんだぜ」


「ニオブ……ったく、仕方ねーなぁ!」


 その言葉に、剣一はニオブの頭をペチッと叩いて気合いを入れる。


「おら、やるならもっと派手にいくぞ! ジャンプだニオブ! で、ピカッと光ってターンも決めろ!」


「っ……任せろイッチー! ウェェェェェェェイ!!!」


「おお、派手にやるのじゃな! ならワシだってやってみせるのじゃ!」


 剣一を乗せたままのニオブが二メートルほどジャンプし、手足の穴から虹色の光を発しながらその場でクルクルと回転する。その隣ではディアが器用にハート型をした熱くない炎を吐き出して空を彩り、周囲の人々から歓声があがる。


 なお、「剣ちゃん、流石にやり過ぎだよー」「目立っても大丈夫だとは言ったけど、自分から目立ちにいくのは違うよね?」と愛と祐二にガチトーンで怒られるのは、ここから一〇分後のことであった。

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