来る未来に乾杯を、過ぎゆく過去に献杯を

「ふぅ…………」


 剣一達との邂逅を果たした、その日の夜。煌々と輝く月の下、清秋は一人縁側にて小さな杯を傾けていた。


 頭に浮かぶのは昼間のこと。普通ならトラウマになりそうな思い出話を終え、笑顔のままで帰っていった少年達の姿だ。


「実に気持ちのいい子達だったな……ははは、確かにあれなら、枯れ果てた老人の手など必要なくて当然だ」


 人に剣を向けることに怯え、人を傷つけることを厭い、人を斬ることを恐怖する。だがそれらは迷いではなく、少年が自ら背負うと決めたこと。そのうえで彼は友の手を取り、「それが俺達の約束ですから!」と笑顔で言った。


 ああ、その在り方の何と眩しいことか。清秋は自分が一気に歳を取ったように感じて、思わずため息を吐く。それから思い起こされるのは、数日前……自身もまた懐かしき友との再会を果たした時のことだった。





「久しいな、黒巣」


「フンッ、やはり貴様か、白鷺」


 都心よりしばし離れた、郊外の森の中。そこにそびえる大豪邸の一室にて、清秋は腹も頭もつるりと丸くなった同世代の老人と向き合う。腰に佩いた刀とわずかに返り血のついた服がなかなかに物々しい雰囲気だが、目の前の男は一切動揺を見せない。


 当然だろう。彼の名は黒巣くろす 弦斎げんさい。この国の中枢を意のままに操る黒幕とでも言うべき人物であり、この程度の事で心を乱すような小物でも若輩者でもないのだ。


「お前の名を聞かぬ日はなかったが、こうして顔を合わせるのはいつぶりだったかな?」


「知らんな。そんなことに興味はない。それより儂は貴様を招いた記憶はないのだが……何の用だ?」


「わかっているだろう……やり過ぎだ」


 巨大な本棚が立ち並ぶ書斎。黒檀の立派な机の向こうで革張りの椅子にふんぞり返る弦斎に、清秋は扉の側に立ったまま言う。


「お前のやり方が強引なのはわかっているが、今回巻き込んだのは隣国の……友好国の王女だぞ? そんな相手を害したらどれほどの外交問題になるか、お前にわからないはずがない」


「ハッ! そんなことか。無論話はついている。王太子殿下曰く、事件性がないように処理してくれさえすればそれでいいとのことだ」


「王太子だと? だがアトランディアの王太子は……」


 孫の友人の兄であることを差し引いても、隣国の王族の情報など当然清秋も集めている。それによるとエルの兄であるニキアス・プロタ・プリンギパス・アトランディアは、人格的に問題があるという判断だった。


 だが顔をしかめた清秋を見て、弦斎は逆にニヤリと笑う。


「わかっている。だが次代の王と繋がるうえに、愚王が統治してくれれば向こうの国力も落ちる。我が国の立場からすれば一挙両得ではないか」


「む…………」


 相変わらずの合理主義的考え方に、清秋は言葉を詰まらせる。すると弦斎は先ほどまでと一転、不機嫌そうな声で清秋に話しかける。


「……つまらん嘘を吐くな。貴様がここにきたのは、貴様の孫が巻き込まれたからだろう? だが儂の答えは昔から変わらん。大義の前には、そんなもの些細な犠牲・・・・・だ。


 むしろそんなもののために、儂の駒を潰されたことの方が気に入らん。貴様こそどういうつもりなのだ?」


「駒、か…………なあ黒巣。お前の<煽動>のスキルは、かつて弱き民の心を纏め、揺らぐ国の屋台骨を支えるためには確かに有効だった。だが今のお前の育った……育ちすぎたスキルは、影響を受けた者の思考を先鋭化させ過ぎてしまう。


 あれではもう洗脳だ。欲望だけを暴走させ、自制のきかぬ若者を作り上げることが、本当にこの国のためになるのか?」


「なる! あの小僧の嘘を見抜くスキルは、間違いなく切り札になりうるものだ。だからこそ幼い頃から儂のスキルの影響下に置き、儂が扱いやすいように仕立てたのだ」


「……あの若者の人生はどうなる? それも――」


「無論、些細な犠牲・・・・・だ……我等はそうやって、この国を護ってきた。そんなこと貴様もわかっているだろうが」


「ああ、わかっている。わかっているさ…………」


 この世界にスキルやダンジョンが出現して一〇年。世界は大混乱に陥っていた。無論それは日本も例外ではなく、政府の機能は目に見えてガタガタであり、このままでは国家が破綻することが誰の目にも明らかだった。


 保身に走る政治家、権利を主張するだけの人民。誰にも頼れず、誰も立ち上がらず……ならば自分達がこの国を支え、護ろう。若き日の弦斎と清秋はそんな決意の元に立ち上がった。


 政治家や資産家、大企業の経営者など、表の人間を操る裏の顔を目指した黒巣と、ヤクザや活動家などの非合法な裏の存在をまとめ上げる表の顔を目指した清秋。二人は時に支え合い、時に互いの力を利用し合うことで、その影響力を強め続け……そうして四〇年。今や二人は「表の裏」と「裏の表」から、この国のあらゆる分野に手を伸ばすことのできる「黒幕」に成り上がっていた。


「だからこれも、必要な――ガッ!?」


「…………ああ、必要な、些細な犠牲・・・・・なのだろうな」


 テーブルの下から拳銃を握った手を出し、弦斎が引き金を引こうとする。だがそれよりわずかに速く、踏み込んだ清秋の刀が弦斎の指ごと拳銃を斬り跳ばし、返す刀でその胸を貫く。


「衰えたな、黒巣。昔のお前であれば、こんな一撃間違いなく防げたはずだ」


「ははは……仕方なかろう。儂の体を心配する者など、二二年前に死に絶えた」


 間違いなく致命傷。だが即死はしていない弦斎は、口から血をこぼしながら震える声で語る。


 二二年前。日本では観光バスが爆破されるというテロ事件があった。弦斎も清秋も当時その情報を掴んでおり、テロを未然に防ぐことは可能だったが、そうすると末端の構成員を逮捕するだけで終わってしまう。


 もっと根本から叩かねば、不毛なテロ行為は終わらない。そのため弦斎は、あえて見逃しテロを起こさせることで、そこから大規模な捜査を行いテロリスト達を一掃するという道を選んだ。


 その目論見は成功しテロ組織は壊滅したが、かわりに防げるはずだったテロ事件が起きた。犠牲者は四五人……そこには初任給で両親に旅行をプレゼントするも、忙しい父の代わりに母と二人でバスに乗り込んだ、弦斎の妻と娘も含まれていた。


「妻と娘を見捨てたことを……儂は後悔しておらん。儂の個人的な想いのために万に一つもテロリスト達が活動を中止すれば、その後にもっと大きな被害が出るのは明白だった。


 実際、壊滅させた奴らの拠点から見つかった毒薬、爆薬……あれらが使われれば、何万、あるいは何十万人という被害が出ていた可能性があった。


 だから、そう……あれもまた必要な犠牲…………何万人を救うための、たった四五人の…………些細な犠牲・・・・・だったのだ……………………」


 命を数字で扱うなら、その数字に想いを乗せてはならない。弦斎は最後までその信念を貫き、自分を殺した清秋にすら恨みの視線を向けなかった。


「日本を……頼む…………先に行って…………」


「……ああ、待っていろ。私もすぐにそっちに行く」


 命の終わる瞬間までただひたすら国の行く末を案じる友に、清秋はそう声をかけてから、未来を見つめ続けた目をそっと閉じさせるのだった。





「……なあ、黒巣。私達は確かに、国のためにがむしゃらに頑張ってきた。だがその結果、今の日本には素晴らしい若者が育っている。もう私達年寄りが無理に出しゃばらなくても、きっとこの国は大丈夫だ」


 英雄やエル、剣一達の在り方は、清秋にとって何よりも輝く宝であった。自分達の努力が彼らへと繋がったと考えれば、辛く厳しかった日々の全てが報われる気がした。


「お前に持っていく、いい冥土の土産ができた。まだしばらくはこちらで過ごさせてもらうが……ふふふ、再会が楽しみだ」


 清秋は手にした杯を掲げると、その水面に丸い月を映す。


「さらばだ、我が盟友、黒巣 弦斎。さらばだ、我が莫逆の友、片岡 清十郎」


 黒巣 弦斎も、白鷺 清秋も、実は彼らの本名ではない。国を立て直すと決めた時、それまでのしがらみ一切を切り捨て生まれ変わったものとして活動するため……そして「黒幕ならそれっぽい名前の方がいいだろう」というちょっとした格好付けから、互いに自分の名前を変えたのだ。


 戸籍すらいじっているため、もうお互いの本名を知る者はお互いしかいない。清秋以外の者が弦斎の本名を呼ぶことはなく、清秋の本名を呼ぶ者は、もうこの世に一人として存在しない。


 故に、これが生涯最後。友の名を呼んだ清秋は、月の浮かんだ杯の中身をグイッと飲み干し、息を吐く。


 喉を流れる、熱い感触。それが体に染み渡っていくなか、清秋の目からもまた、熱い涙が静かに流れ落ちていった。

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