左手の約束

 結論から言うなら、剣一達にとっての大事件は、世間的には事件とすら扱われなかった。祐二と愛は正直に「剣一に手首を切られた」「それを愛が治した」と説明したが、大人達は「剣一のスキルで祐二の手首付近がわずかに切れ、丁度太い血管のところだったため大量に出血し、ビックリして気絶。そこで偶然愛のスキルもほぼ同時に覚醒したため、それを治して事なきを得たものの、急激に魔力を消費してやはり気絶した」と結論づけたからだ。


 もっとも、それは仕方のないことだ。<剣技>のスキル持ちは大量におり、その覚醒時の被害事例も幾つもあったが、その多くが家具や建造物にちょっとした傷を付けたというもの。人に対して発動した場合も、精々が紙で指先をスパッと切ったときくらいの被害が精々だったからだ。


 加えて<回復魔法>も、目覚めたばかりのスキルレベル一で落ちた手首を繋げることなどできるはずもない。切断された体を繋げるには、最低でもスキルレベル三はいるというのが常識だ。


 つまり、「手首を切り落とす」ことも「それを繋げる」ことも不可能。子供特有の大げさな物言いだったと誤解したのは、ある意味仕方のないことだろう。


 唯一警察だけは出血量の多さに首を傾げたが、まき散らされた血の持ち主である祐二は無事で、大きな怪我をした痕跡もない。となれば事件性もないので、捜査は早々に打ちきりとなった。


 故に一連の騒ぎの結末は、剣一の両親が祐二の両親に軽く頭を下げることで終わりを迎えた。祐二と愛は念のため三日ほど入院し、精密検査なども受けたが異常なし。自分の言うことを信じてもらえなかった祐二と愛に多少の不満が残ったものの、こうして全ては丸く収まった…………ただ一人、剣一を除いて。





「……………………」


 事件から一週間。剣一は学校にも行かず、昼間の街をブラブラと歩いていた。最初は同情的だった両親も今ではすっかり怒るようになっていたが、それでも剣一は学校に行かない。


 否、行けない。行けば必ず、祐二達と顔を合わせてしまうからだ。それに――


「ふぅ」


 滅多に人の通らない道を抜け、剣一が辿り着いたのは近所の山の中腹辺り。まあ山とは言っても子供の足で辿り着けるのだから、実際には精々丘陵程度の盛り上がりしかない。それでも木々が生い茂り、時には蛇やイノシシまで出るのだから、地元民的には山だ。


 そんな山の中で、剣一は徐に右手を伸ばし、あの日のように人差し指と中指をピンと伸ばして……振り抜く。するとパサッと音がして、とても手が届くはずのない五メートルほど先の木の枝が地面に落ちた。


「…………駄目だ、まだ斬れる・・・


 それを見て、剣一は辛そうに顔をしかめる。その後何度も腕を振るうも、枝も草も石ころも、斬れ方の深さに違いはあれど斬れなかったものはない。


(もっと、もっと使えるようにならなくちゃ……)


 あの日突然目覚めた力。それはレベル一とは到底思えない、どんなものでも斬れる力だった。思えば、願えば、何でも斬れる。でもだからこそ……『斬らない』ことが難しい。


 朝から晩まで、休憩すらほとんど取らず、剣一はひたすらに腕を……剣を振り回す。その先にあるのは、あの日の祐二達の顔だ。


(絶対に……絶対に! もう二度と、友達を斬ったりしない!)


 どういうわけか、今回は大丈夫だった。だがもし同じ事がまた起きて、その時も平気だと思うほど剣一は馬鹿ではない。実際今回だって愛が都合良くスキルの覚醒をしなければ、きっと祐二の手首は元に戻らなかっただろうと剣一は考える。


 ちなみにだが、祐二の手首が大丈夫だったのは、偏に剣一の『剣』の鋭さが想像を絶するものだったからだ。電子顕微鏡で見てすら細胞に歪みに一つなく、押しつければそのままくっついてしまいそうなほどの断面。それがあったからこそ愛の拙い回復魔法で完全に癒やすことができたのだが、それを剣一が知ることはない。


 そして知っていたとしても、剣一の想いが変わることはない。もしあれが手首でなく、肩だったら? 足だったら? あるいはおでこにしていたら? 真っ二つになった祐二を思い浮かべて、剣一は例えようのない恐怖を覚える。


 何でも斬れる究極の剣も、斬ったという事実を斬って無かったことにするなどというトンチには使えない。剣は何処までいっても剣であり、剣を超えることはないのだ。


 ならばどうするか? 力を捨てることなどできないのだから、あとは使いこなせるようになるしかない。再び失敗する前に、取り返しのつかない事になる前に。


 一分一秒の寸暇を惜しみ、来る日も来る日も一人で特訓を続ける剣一だったが……ある日そこに、ごく稀に通りかかる近所のお年寄り以外の来客が現れた。


「あー、いた! 祐くん、いたよー!」


 山の中では場違いな女の子の声。それに剣一が反応すると、すぐに女の子の背後から別の男の子が近づいてくる。


「剣ちゃん!」


「祐二…………」


「剣ちゃん、僕は――」


「来るな!」


 何かいいながら近づいてこようとする祐二を、剣一は激しい剣幕で拒絶する。だがその拒絶を、祐二もまたむっとした顔で拒絶する。


「何でだよ!? 僕があの程度のことで、剣ちゃんを怖がるとでも思ったの!?」


「そ、れは…………」


「フンッ、だとしたら僕のことを甘く見すぎだよ! ほら――」


「ま、待て! 本当に待ってくれ!」


 さっきとは違う焦った声に、祐二が足を止める。すると剣一は苦しそうな顔をそっぽに向けながら言葉を続けた。


「……まだ、力を使いこなせてないんだ。ひょっとしたら、またうっかり祐二のことを怪我させちゃうかも知れないし。だから……」


「なんだ、そんなことか」


 泣きそうな顔で口元をモニョモニョさせる剣一に、祐二は笑ってそう言うと、無造作に剣一の側に近づいていった。


「馬鹿、危ないぞ!?」


「危なくなんかないよ。流石に近づいた人を無差別に斬っちゃうとかじゃないんでしょ? それならそもそも普通に暮らせないはずだし」


「まあ、それは……でもほら、ちょっと気合いが入ると、割とスパッと斬れちゃうっていうか……」


「なら、その辺を考えないとだね。メグ、何か思いつく?」


「うーん、そうだなぁ……頭の中で大根を切って誤魔化すとか?」


「えぇ? それ逆に斬れちゃいそうなんだけど……」


「待て待て待て! 何だよそれ、お前達、何考えてんだよ!?」


「何って、剣ちゃんのスキルを使いこなす方法だよ。頭を使うのは、昔っから僕の方が得意じゃないか」


「……………………」


 呆気にとられる剣一に、祐二がキラリと眼鏡を光らせて笑う。その横では愛もまた、「そうだよー。剣ちゃんはそういうの苦手だもんねー」と笑っている。


「でも、俺……」


「ほら、剣ちゃん。見て」


 俯く剣一に、祐二は自分の左手を見せつける。その手首には傷跡ひとつなく、今も祐二の思うままに動いている。


「僕の手は、この通り何ともないよ。だから気にすることなんかないんだ。でももし、それじゃ足りないって言うのなら……」


 そう言うと、祐二が剣一に左手を伸ばす。


「約束して、もう二度と人は斬らないって。剣ちゃんがそう約束してくれるなら、僕達はこれからもずっとずっと友達だ」


「祐二…………ああ、約束する! 俺はもう、絶対誰も斬らない!」


「あーっ! 私も! 私も混ぜて!」


 祐二の左手を剣一の左手がガッシリと掴み、そこに愛も自分の手を重ねる。そこから伝わる温もりが剣一のなかに染み渡り……剣一は指を立てた右手を、思い切り振った。


「? 剣ちゃん、何してるの?」


「いや、何でもねーよ」


 遠くの枝は、斬れなかった。今この時この瞬間、剣一は自分のスキルを完全に自分のものにした。その喜びに……祐二達と仲直りできた幸せに浸る剣一をそのままに、ふと愛が祐二に問いかける。


「ねえねえ祐くん。ちょっと思ったんだけど、剣ちゃんとの約束って今のでいいの?」


「え? メグ、どういうこと?」


「だって、絶対に人を斬らないーって、剣ちゃんが襲われても何もしないってことでしょ? それじゃ剣ちゃんが悪い人に襲われたら、そのままやられちゃうんじゃない?」


「あー、それは……じゃあ悪人に襲われた場合はノーカンってことで」


「おい祐二、そんなのでいいのか!?」


「いいよ。剣ちゃんが酷い目に遭うくらいなら、悪人なんてズバズバ斬っちゃった方がいいし。あ、あと僕とかメグが襲われた時もかな?


 じゃあほら、あれだ、いっそ悪い奴は斬ってもいいってことにする?」


「ふわっふわじゃねーか! それ約束の意味あるのか!?」


「あるよ! いい人は斬らない! じゃないと犯罪者になっちゃうし!」


「いや、それは約束するまでもなく斬らねーけど……何だよもー! あー! 何か、あー!」


「あ、私も叫ぼー! あー!」


「あれ、これ僕も叫ばないと駄目な流れ? なら……あー!」


 特に深い意味などなく、三人の少年少女の叫び声が人気のない山の中に響き渡る。それが剣一のスキルを以てしても斬れない、左手の約束の始まりの日であった。

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