剣一と清秋
奇しくも同じように剣を構え、相対する二人。どちらもそのまま動かなくなったが、動かない理由はそれぞれ違う。
(ふむ、これは……)
剣一を見て、清秋は思う。一四歳というまだまだ未成熟な体。日々身長や体重が変わるような不安定な状態にも拘わらず、剣一の構えには一部の隙も無駄もない。
完成された……あまりにも完成されすぎた構え。それは清秋が何度も見てきた、スキルに
(……いや、当然か)
その構えにほんのわずかな落胆を感じた清秋だったが、すぐに内心でその感情を否定する。
剣一は一四歳。おぎゃあと生まれたその日から剣を振ることなどあり得ないのだから、どれだけ長く見積もっても鍛錬期間は一〇年……現実的に考えるなら、剣の振り始めはスキルが目覚めた一〇歳頃であろうし、実戦経験に至っては一二歳で冒険者となってからの二年程度だろうと推測できる。
つまり、当然なのだ。一四歳の子供が、何十年と剣を振ってきた自分と同じかそれ以上の高みにいるなど、スキルの力以外ではあり得ない。報告にあったスキルレベルを鵜呑みにはしていないが、それとは別の話として、孫とそう歳も変わらない子供が世界を滅ぼす災厄を倒すなど、それこそ「
(私もまだまだ頭が固いな……)
スキル黎明期に生まれた清秋は、思わず苦笑を浮かべる。そんな清秋に対し、剣一はというと……
(このじいちゃん、強いな)
眼前で剣を構える清秋に対し、剣一は素直にそう思った。老いてなお壮健、なれど全盛期よりは絶対に衰えているであろう体からは、強い覇気を感じはしても力強さはそこまでではない。
加えてその構えにはわずかな無駄があり、隙もある。しかしだからこそそれがスキルによるものではなく、体も技も人が人の意思で鍛え上げた研鑽の賜であることが剣一にはわかった。
(何か、格好いいな)
その在り方に、剣一は尊敬の念を抱く。いつか自分も、あんな風になりたい。そんな感情すら抱き……故に剣一は正眼の構えを解くと、力を抜いた両手をぶらりと垂れ下がらせた。
「む? 蔓木君、どうかしたかね?」
「おじいさんには、こっちの方がいいかと思って」
不意にやる気をなくしたかのように構えを解いた剣一に、清秋は訝しげな視線を向けた。だが長年人の顔を見てきた清秋の目には、剣一が真剣であり、自分に敬意すら向けてくれていることが手に取るようにわかる。
故に悟る。これは決して自分を侮っているわけではなく、むしろ逆……最初に考えていたよりも『先』を見せてくれようとしているのではないか?
「いいだろう。かかってきなさい」
「……いきます」
相手の力を見極めるなら、受ける方がいい。剣一の一挙手一投足を見逃すまいと意識を張り詰める清秋に、剣一が静かにそう告げ……次の瞬間、清秋の世界が夜に変わった。
「――――――――っ」
死線。若い頃から幾度もくぐってきたそれが、今自分の身に
「…………カハッ!」
「お爺様!?」
嘔吐くように息を吐き、その場で膝を折った祖父の姿に、聖が慌てて駆け寄る。だが清秋はそれを手で制すると、冷や汗の滴る顔を俯かせたまま、それでも年長者としての意地を振り絞って剣一に声をかけた。
「……見事だ。流石だな」
「いえ、おじいさんも十分凄いですよ!」
鞘に収まった剣を、髪の毛一本分ほど抜いた。ただそれだけではあるが、ただそれだけを耐えきったことを、剣一は本気で凄いと思っている。同じ事を魔物にやったら、あの上位ミノタウロスくらいでギリギリ「死に物狂いで襲いかかってくる」ような代物なのだ。
それに人間が耐えきり、それどころか声をすぐに声を出せることがどれだけ凄いか。剣一のそれは心からの賞賛だったが、それを受ける清秋の方は違う。
「ははは、十分凄い、か……」
遠い。あまりにも、あまりにも遠い。剣の高みも技の底も、清秋には何も見えなかった。もしあと瞬き一つ分威圧が続いていたなら、自分はそのまま死んでいたのではないかとすら思える。
まるで自分の四〇年が否定されたような気持ちのなか、漸く少し落ち着いた体に力を込め、清秋が顔をあげる。するとそこに合ったのは……友に責められ困った顔をする、一人の少年の姿であった。
「剣ちゃん、やり過ぎだよ!」
「そうだよ、お年寄りは労らないと駄目だよ剣ちゃん!」
「違うって! これは俺なりの誠意っていうか、聖さんのおじいさん凄い人だったから、俺としてもちゃんとしなきゃ失礼かなって思って」
「それにしたってやりすぎだって! 白鷺さんが怒ったら、僕達なんて全員コンクリートで固められて
「何それ怖っ!? まあコンクリートくらいなら全身固められても斬れるけど……」
「あのね剣ちゃん。全身をコンクリートで固められたら、その時点で人間は死んじゃってると思うよ?」
「…………ははは」
そんな剣一達の姿に、清秋の口から笑いが零れる。年長者を敬う姿勢、後輩を助ける器量、そしてあれほどの力を持っていながら、対等な友に囲まれる人間性……そんな少年の姿の何と輝かしいことか。これこそが自分が長年積み上げ、夢見てきた未来の結実した光景ではないか。
「お爺様、大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。心配掛けてすまんな」
「お気になさらないでください。お爺様を心配するのは当然ですわ」
「セーシュウお爺ちゃん、大丈夫?」
「清秋さん、平気ですか?」
更に横を見れば、我が孫が心配そうな顔で自分を見ている。そこに孫の友達までやってきて同じような視線を向けられ、清秋は上げていた顔を再び伏せてしまう。
「お爺様!? やはりお加減が……」
「いや、これは違う。何と言うか……すまん、今は聞かんでくれ」
血を吐き、血を流し、血を啜って辿り着いた平和。その申し子たる少年に嫉妬するなど、人生の終わりに持っていく思い出としてはあまりにも恥ずかしすぎる。
そんな気持ちで顔を伏せてしまった清秋だが、聖達は別のことを連想してしまう。
「あの、お爺様? すぐに代えの下着を用意させますので……」
「待て聖、それは違う。本当にそういうのではないのだ」
「そうですか? 身内なのですから、恥ずかしがらなくてもいいと思いますけれど」
「あっ!? あー……ほ、ほら! 気にしなくても平気よ! 歳を取るとそういうこともあるって、ジイも言ってたし!」
「だ、だよね! うちのおじいちゃんも、じわっと染みることがあるって……」
「待ってくれ、本当に違うのだ! その気遣いは嬉しいが、本当に違うから、その気遣いは不要だ!」
恥をかくことなど幾らでもあったが、流石に尿漏れ老人扱いされるのは耐え難い。誤解を解くためにも清秋は刀を収めて立ち上がり、そこに
そうして威厳を取り戻した……おそらく取り戻せたと半ば無理矢理思い込んだところで、清秋は改めて剣一に声をかけた。
「ところで蔓木君、ちょっといいかな?」
「あ、はい。何ですか?」
「まずは私の無理な願いに付き合ってもらったこと、感謝する。ありがとう。おかげで冥土に持っていくいい土産ができた」
「メイドにお土産……いてっ!?」
メイド喫茶にスキップしながら通う清秋を想像した剣一の足を、愛がベシッと蹴ってくる。
「剣ちゃん、今馬鹿なこと考えたでしょー?」
「冥土ってあの世のことで、ひらひらの服を着たお姉さんのことじゃないよ?」
「わ、わかってるよ! 俺だってそのくらい知ってるってーの! くっそ、何だよじいちゃん、変なこと……あ、いや、おじいさん――」
「はっはっ、じいちゃんで構わんよ。まあそれはそれとしてだ。蔓木君と剣を交えて……いや、あれを交えると言うのは違うのか? とにかく今の一件でわかったことがあるんだが……蔓木君、君は人を斬ることに躊躇いがあるね?」
「え? そりゃまあ……」
昭人と同じ事を指摘され、剣一は微妙に顔をしかめる。そしてそんな祖父の問いに、聖が首を傾げて疑問を投げかける。
「あの、お爺様? 人を斬ることに躊躇いがあるのは当然では?」
「うむ、そうだな。平和な世に育つ善良な者であれば、他者を傷つけることに良心の呵責を感じるのは当然だ。だが蔓木君のそれは、少し違う」
流れるように押し寄せてきた死線の波。だがそこに感じた小さな歪みを思い出し、清秋は問う。
「蔓木君……君は実際に人を斬ったことがあるのではないか?」
「っ……」
その鋭い言葉に、剣一はビクッと体を震わせ、思わず一歩後ずさった。
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