ひとりぼっちの初出勤
開けて翌日、改正法が施行された四月一日の朝。剣一は自室のベッドで目覚めると、窓越しに入ってくる朝日をボーッと眺めながらため息を吐いていた。
「はー、今日から一人か…………」
改めて言葉にすると、自分がパーティから追放されたという事実がじわりじわりと胸に染みてくる。しかし感傷に浸っていても余計に悲しくなるだけだ。
「よし、動こう。で、とにかくダンジョンに行こう」
こういうときは、体を動かすのが一番。動けば気持ちも晴れるだろうと、剣一は身支度を調え始める。
顔を洗って歯を磨くと、昨日買っておいたコンビニのおにぎりをレンジでチンして齧り付く。そうして食事を終えたら次は着替えだ。
寝間着を脱いで下着姿になると、まずは体にピッタリ吸い付くような黒いシャツとタイツ。これは熱さや寒さに耐性があり、更に若干ながら斬撃耐性もある冒険者の必須アイテムだ。カラバリは色々あるが、剣一的には黒がお気に入りである。
その上から茶色い厚手のズボンと白いシャツを身につけ、上は更に赤いジャケットを羽織る。最後に鍵付きのロッカーから鞘に収まった両刃の長剣を取り出して腰に佩けば、ダンジョンアタックの準備はバッチリだ。
「うっし、気合い入った! じゃあいくぞ!」
自分に言い聞かせるように声に出してそう言うと、剣一は家を出て二年間通い慣れた道を進む。いつもなら隣を歩いている仲間達がいないことにまたちょっと悲しい気持ちになったが、それを早足で振り切ると、やがて人の集まる広場が見えてきた。
「おー、今日もいっぱいいるなぁ」
だがそれも無理からぬこと。何故ならこの広場の向こうにあるのは、正真正銘の異世界への門なのだから。
「焼きまんじゅう! 焼きまんじゅうあるよー! うちは使ってる味噌が違うから、最高に美味しいよー!」
「うっ…………」
広場の外周部分には、飲食物の屋台が並んでいる。そこから漂ういい匂いが剣一の鼻まで辿り着くと、朝食を食べたばかりだというのにお腹が空いた気分になる。
「……だ、駄目だ。今は我慢だ」
焼きまんじゅうは、ふかっとした具のないまんじゅうを串に刺し、特製の味噌だれをつけて焼いた
ということで、味噌の焼ける匂いに強烈な後ろ髪を引かれつつも、剣一は何とか誘惑を振り切って広場の奥へと進んでいった。すると正面にまるで大口を開けたカエルのようにこんもりと地面が盛り上がったダンジョンの入り口が見えてきた。
「うわっ、めっちゃ混んでるな」
ダンジョン正面には電車の自動改札のようなものが五列ほど並んでいるのだが、その全てに結構な人が詰まっている。なので剣一は一番左の列の最後尾に並ぶと、ぼんやりとダンジョンの入り口を眺めた。
(
大きなダンジョンはそれだけ人が多く、魔物や資源が取り合いになる。今まで潜っていた三〇階層なら競争相手はほとんどいなかったが、今日から潜ることの許される一階層から三階層は、初心者向けですらない、チュートリアル階層と呼ばれるような場所だ。
つまり、本当に冒険者になりたてのような子供が、猛烈に弱い魔物を相手によたよたしながら武器を振り回すような場所である。そんなところの稼ぎなどたかが知れているし、何より剣一がそこで普通に戦うと、そういう本当の初心者が魔物と戦う機会が奪われ、邪魔になってしまう。
頑張っている後輩の邪魔になるのは、剣一としても本意ではない。となると現実的な選択肢は、人の少ない地方のダンジョンに出向くということになる。
(この辺だと、
「おい、お前! 順番だぞ!」
「あっ!? す、すみません」
と、そんな事をボーッと考えていると、いつの間にか行列が進んで剣一の番になっていた。後ろから声をかけられ、剣一が慌ててズボンのポケットから手のひらサイズの小さな板を取り出す。
それは
(うーん、相変わらずのガバガバセキュリティーだな。まあ記録してるだけで、封鎖してるわけじゃないんだろうけど)
子供の頃の剣一達がこっそりダンジョンに入れたように、この改札は決してダンジョンの入り口を完全封鎖しているわけではない。係員が監視しているという要素を無視するなら横から回れば回り込めるし、田舎の小さいダンジョンになると、その係員すらいない場所もなくはない。
なので、実は出入りするだけなら割とどうにでもなる。しかし正規の記録を残して入らないとダンジョン内で得た素材をお金に換えることができないし、その作業を他人に頼むのは密輸と同じ扱いの重罪になる。
剣一は犯罪者になる気はないので、今後もその辺を誤魔化してダンジョンに不法侵入するつもりはなかった。
「さーて……とりあえずブラブラするか」
そうしてダンジョン内部に入ると、剣一は特に危機感もなくブラブラと通路を歩き始めた。ダンジョンの作りは場所によって違うが、
なのでそのままゆっくりと、剣一はダンジョン内を移動していく。行く先々では冒険者になりたてであろう子供達が元気に魔物と戦っているが、ピンチになっているような子はいない。
「ま、スライムだしな」
体液は強いアルカリ性なので体についた状態で放置すると猛烈に肌が荒れたりするが、逆に言うとその程度だ。だからこそ周囲の新人達は、きゃあきゃあいいながら仲間と一緒にスライムを剣で切ったり槍で突いたり、鈍器で叩き潰したりしている。
「あっ」
「うわっ!? ぺっぺっ!」
「おいマサル、何やってんだよ!」
「ごめーん!」
新人の一人が派手にスライムを潰し過ぎて、飛び散った粘液を浴びた仲間が文句を言っている。その微笑ましい光景に、剣一は思わず目を細めた。
(懐かしいなぁ。俺達も最初の頃はあんなだったっけ)
たった二年前のことなのに、その思い出が酷く遠く感じられる。何だかいたたまれない気持ちになってきた剣一は、逃げるように彼らの横を歩き去る。
「もう一緒には潜れないのかな……」
昨日のあれはただのお遊びだったので、別に仲違いをしたわけではない。会おうと思えば家を訪ねれば会えるだろうし、一緒に遊ぶことだってできる。
だが今の法律が変わらない限り、一番楽しかったダンジョン探索は、もう二度とできない。今更ながら……いや、今更だからこそ努めて無視しようと思っていた気持ちが溢れてきて、剣一の目にうっすらと涙が浮かぶ。
「あーもう! 何だよクソッ!」
自分でもどうしようもない感情の動きに、剣一は思わず走り出してしまった。途中何度かぶつかりそうになった人に文句を言われたが、それを気にする余裕もない。
「クソッ! クソッ! クソッ!」
走って走って走り抜いて、辿り着いたのは行き止まり。苛立ちをそのままに壁をキックしてみたが、その程度では収まらない。剣一は腰の剣を引き抜き……
「くっそーっ!」
一閃。すると本来決して壊れないはずのダンジョンの壁に亀裂が入り、次の瞬間ボロボロと崩れていく。
「え、あ!? うわ、俺やっちゃったか!? って、あれ…………?」
ダンジョンの行き止まり。その先にあったのは、光り輝く魔法陣のある隠し部屋であった。
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