SS スミレの花の砂糖漬け


「マーサ、この間も同じことを注意しましたよ?」

「はい! 気を付けます!」


 困ったようなペトゥラの言葉にマーサは元気よく返事をする。

 元気で健康なのが唯一の取り柄だと家で言われたマーサは、持ち前の前向きさで正道院に来てからもよく働く。

 だが、どうにも平民出身のため、メイドとしての常識が追い付いていないのだ。

 クーパー侯爵家は金銭的に困難な状況にあり、平民から初めてメイドを取った。それがマーサである。

 ちょうどスカーレットの問題があり、正道院に同行するメイドが必要であった。長くスカーレットの側にいたペトゥラとエヴェリンは自ら望んで、マーサは公爵家から二人だけではと急遽選ばれたのだ。

 次の仕事にとパタパタと駆けていくマーサの後姿を、注意するべきかと悩んだペトゥラは首を振って諦める。 

 

「マーサらしいですね」

「エヴェリン……あの子には困ったものです」


 先程の光景を見ていたエヴェリンも困ったように笑う。

 確かに出来ていない部分も多いマーサだが、叱るというより笑ってしまうことが多いのだ。一生懸命に頑張ったうえで失敗し、それでも諦めずにまた精一杯頑張る。

 そんなマーサの様子は見ていて清々しい。

 ペトゥラも不慣れながらも懸命なマーサを可愛らしく思うため、先程のように廊下を走る姿を見逃すこともある。


「ですが、その明るさには救われてる部分もありますよ」

「そうですね。このような状況ですから」


 廊下を通り過ぎた他家のメイドたちはこちらに送る会釈はよそよそしい。

 高位貴族のクーパー侯爵家ではあるが、スカーレットが犯した罪への批判的な雰囲気が一部の令嬢たちにあるのだ。

 無論、それをスカーレット自身は知らない。

 流石に侯爵令嬢本人にそれを言う者はいないのと、スカーレットが自室に閉じこもりがちな状況のせいである。


「あの子の無邪気さには救われていますね、私たちもおそらくはスカーレットさまも……」


 罪を犯した自分を責め、一方で家族を案じているスカーレットは気持ちも塞ぎ、自室で一日を過ごすことが多い。

 せめて、何かのきっかけがあればこの状況が変わるのではないか。

 そんな偶然に期待する程、ペトゥラやエヴェリンは頭を悩ませ、何よりスカーレットの様子に心を痛めていた。



*****


 

「――それで、第一庭園とそこは呼ばれているのですが、私は第一菜園なのではないかと思うんです」

「まぁ、それはどうして?」

「たくさんの美味しそうな野菜や果実があるんです! ついつい、食べたくなってしまいました。あ、ペトゥラさま! 私は食べてはおりませんよ!?」

「……当然です」


 眉をしかめるペトゥラに慌てた様子のマーサ、その姿にスカーレットはかすかに微笑む。まだ、庭園に出たことのないスカーレットにとって、マーサたちの会話からしか正道院内の情報は得られない。

 なかでもマーサの話や視点は、少し変わっているのだ。

 

「皆さんできちんと手入れをしていらっしゃるのね」

「私が住んでいる地域にもたくさんの花が咲いていました! えっと、スミレの花です。一面に紫が広がって、それを見ると春になったなって実感できるんです。今日、こちらでも1つだけ見つけたんですよ!」


 マーサの表情がぱあっと明るくなって、自分の生まれた場所の話をし出す。

流石に話のし過ぎだとペトゥラが注意しようとしたそのとき、マーサの口から小さな言葉が零れる。


「また、いつか見てみたいなぁ」


 悲しそうではなく、嬉しそうにそう微笑む姿にその場にいた皆が、言葉に詰まる。正道院にいるスカーレットに仕えるということは、その間は戻る機会も得られないという事なのだ。


「は! すみません。私、喋り過ぎでしたね。それでは失礼します!」


 スカーレットに一礼するとマーサは慌てて、部屋を後にする。

 後姿を見送ったスカーレットに向かい、ペトゥラもまた一礼をした。


「すみません、まだまだ私の指導が行き届かず……」

「いいのよ。わたくしもマーサやあなたたちとの会話は良い気分転換になっているのよ。でも、あの子には可哀想なことをしているわ。もちろん、あなたたちにも。罪を犯したわたくしに付き添うなんて……」


 スカーレットの言葉にペトゥラとエヴェリンは慌てて否定する。二人ともスカーレットを案じて、彼女の側にいることを自ら望んだのだ。

 スカーレットの境遇や罪を犯した事情を知る二人は、見た目から受ける強気な印象とは裏腹に繊細で穏やかな令嬢である彼女が、自責の念で苛まれることは容易に予想できた。

 

「お嬢さま、私もエヴェリンも望んでお傍におります。自らの希望でここに参ったのです。どうぞ、私どもよりもご自身を労わってくださいませ」

「私も同じ思いでここに参っております」


 目を潤ませながらスカーレットはペトゥラとエヴェリンを見つめる。困ったような表情ではあるが、口元が少し緩み、笑みを浮かべようとしているスカーレットにペトゥラもエヴェリンも胸が痛む。

 そのとき、地味な色合いの鳥が窓をすり抜けて、パタパタと部屋を飛び回った。スカーレットの父からの魔法鳥である。

 魔法鳥はスカーレットの近くに止まると手紙を加え、彼女にとアピールする。

 その愛らしさにくすりと笑ったスカーレットは手紙の封を開けた。


「……お父さまが何か困ったことや欲しいものはないか? ですって」

「まぁ、そうでございますか」

「何を書いたらいいかわからないわ」


 スカーレットの言葉にペトゥラもエヴェリンも困ったように顔を見合わせる。

 聖リディール正道院での現状を正直に報告すれば、不安を与える。何かを強請ったり、誰かを頼ったりできるほど、スカーレットは器用ではないのだ。

 またクーパー家の状況がそれに拍車をかけている。

 二人がどう答えていいか悩んでいると小さな声が聞こえる。


「そうだわ、マーサにちょうどいい菓子があるの。それを届けて貰うのはどうかしら? きっと、何も頼まないのもお父さまに失礼でしょうし、かといって今のわたくしには欲しいものはないわ。不自由さも含め、謹慎なのだから当然のことですもの」


 使用人であるマーサへの優しさ、そして自身の父への配慮、この状況でも自分自身を優先させないスカーレットに歯がゆい思いもあるが、だからこそ二人はこの令嬢についてこの正道院まで来たのだ。

 ペトゥラもエヴェリンも微笑みを浮かべ、スカーレットの意見に同意する。


「マーサ、きっと驚きますわ」

「まぁ! スカーレットさまのお心遣いにマーサも喜ぶことでしょう。ですが、本当によろしいのですか? こちらでご不便や不自由さはありませんか?」


 二人の賛同にスカーレットはホッとした表情に変わる。

 

「まだ、あの子は子どもなのですものね」


 そんなスカーレットもまた少女である。

 だが、同時に彼女は貴族であり、侯爵令嬢なのだ。

 マーサと同じように少女でありながら、背負うべきものの重さを当然のものとするスカーレットに、ペトゥラは胸が痛むのだった。



*****



「本当にこんな素敵なものを頂いて良いのですか?」

「えぇ、スミレの花の砂糖漬けよ」


 小さな缶が手渡され、そっと開けたマーサは歓声を上げた。

 スミレの花の砂糖菓子をマーサは初めて見たのだろう。

 平民の出のマーサであれば菓子自体が縁遠いものだったはずで、その喜びと驚きは素直に表情にも動きにも出てしまう。

 メイドとしては注意すべきことなのだが、素直なマーサの反応にスカーレットは嬉しそうに微笑む。


「スミレの花の素敵なお話のお礼よ」

「よ、よろしいのでしょうか?」


 不安げにペトゥラとエヴェリンの顔を交互にマーサは確認する。どうやら、自分だけが貰っていることを気にしているようだ。


「最近のあなたの努力を認めて頂いたのです。受け取らないのは礼を失しますよ」


 ペトゥラの言葉にハッとしたマーサはぺこりと頭を下げ、ぎゅっと缶を抱きしめ、スカーレットに微笑む。


「お嬢さま、ありがとうございます! 私、大事に食べますね!」

「ふふふ、気に入ってくれたようでよかったわ」


 マーサが喜ぶ姿にスカーレットも自然と微笑む。

 素直なマーサの反応や行動はスカーレットに良い影響をもたらしているようにペトゥラにもエヴェリンにも思えた。

 当のマーサは大事そうに小さな缶を抱きしめ、嬉しそうに笑うのだった。




「マーサ、何をしているの?」


 就寝前のベッドの上でマーサは菓子を二つに分けている。どうやら、自分が持っていた小さな缶に半分だけ移し替えているようだ。

 不思議そうに見ているエヴェリンにマーサは少し胸を張って答える。


「お仕事中に落ち込んだときや頑張りたいときに食べる用と、眠る前に寂しくなったとき用に分けたんです! あ、エヴェリンさんも召し上がりますか?」


 自分の名案に誇らしげなマーサだが、エヴェリンが気になったのは彼女にも落ち込んだり、寂しくなったりすることがあるということだ。

 日頃、明るく一生懸命な姿しか見ていない彼女の言葉に、エヴェリンは少し胸が締め付けられる。

 だが、それを表情には出さず軽口を叩く。


「子どものお菓子を大人は取らないわよ」

「私は大人ですよ! ちゃんと働いてますもん!」

「はいはい。明日も早いから寝なさい」


 微笑ましくも少し切ない思いで、先輩としてマーサをきちんと見なければと思いながら、エヴェリンは眠りへと就くのだった。




 そんなことがあってから、二週間も経たぬうちにエヴェリンはマーサがスミレの花の砂糖漬けを食べている姿を見つけた。

 先程、使用人用の厨房で菓子を食べたにもかかわらずだ。

 

「ちょっと! 何か辛いことがあったの? 言ってごらん、力になるから!」


 勢いよく話しかけてくるエヴェリンにマーサは慌てて否定する。

 マーサは今日は違う理由で、スミレの花の砂糖菓子をつまんだのだ。


「ち、違います! 今日は良いことがあったんです」

「……あぁ、さっきのえっと、コールマンさまにお菓子を頂いたことね」


 先程、マーサたちは公爵令嬢であるエレノアに、ウェルッシュケーキという菓子をご馳走になったのだ。そのことが嬉しいことだったのだろうとエヴェリンにも予測がついた。

 だが、マーサは少し拗ねた様子でペトゥラに言う。


「コールマンさまが関係してはいるんですけど、お菓子じゃないです。公爵家のご令嬢でしたら、うちのお嬢さまとも家格っていうのが近いのですよね。きっと、親しくなれるんじゃないかと思うんです!」


 最近、少しずつ貴族の常識を学んでいるマーサは、子爵家や男爵家の令嬢と家格が異なるからスカーレットは孤立している、そのように思っているようだ。

 スカーレットの罪や事情をすべては知っていないからであろう。


「きっと、お二人は仲良くなれると思うんです!」


 そう言ってマーサはスミレの花の砂糖漬けを一つ、エヴェリンに渡す。

 口に含めば、砂糖の甘みと花の香りが広がっていく。

 嬉しそうなマーサを横目に、エヴェリンは複雑な思いだ。



 スカーレットがマーサに渡したスミレの花の砂糖漬け。

 それがマーサとエレノアを繋ぎ、エレノアが聖なる甘味を作る大きな役目を果たすこととなる。

 エレノアとスカーレットが近付くのはもう少し先の話だ。




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