第19話 公爵令嬢のマドレーヌ 3


 正道院長室でカミラが、正道院長イライザとグレースの前に、エレノアが用意した菓子を出す。これは依頼されていた貴族用の菓子と正道院で販売する菓子だ。

 マドレーヌは白い砂糖のアイシングでコーティングされ、その表面は白く染まる。その上に、ちょこんと小さな花が飾られた様子は、雪原を割って咲く春を告げる花のようで愛らしい。

 そう、エレノアはマーサに貰ったスミレの花の砂糖漬けを飾りとして使ったのだ。

 もう一方の置かれたものは同じマドレーヌでも、何もしないものは素朴な風合い、砂糖とスミレの花の砂糖漬けで装飾したものは華やかで、全く趣が異なる。

 

「これは……美しい菓子ですね」

「同じ菓子でも装飾で違いますね……! ご依頼してから数日でお作りになるなんて……」

「味もそのままのものと紅茶、2種類用意しました。どうぞ、召し上がって頂いてご確認ください」


 そう言ってエレノアは先にマドレーヌを手にすると、そっとフォークで口に運ぶ。

 公爵令嬢であるエレノア自ら、毒見役を買って出たのだ。

 自ら作った菓子とはいえ、罪を犯して謹慎中であるエレノアは、イライザとグレースを気遣ったのだろう。

 そんな行為に驚きながらも、二人もフォークで切って口に運ぶ。

 

「っ! バターの香りと甘さが何とも言えないわ。素朴な見た目なのに、味はバランスが取れて洗練されていて……美味しいわ」

「えぇ、こちらの砂糖で覆われているのは食感も加わって、紅茶の風味とよく合うわ。スミレの花も上品で繊細な美しさがあるわね。きっと誰に進呈しても喜ばれる菓子だわ」


 二人の手放しで褒める様子にエレノアは少し照れくささを感じる。これはエレノア一人の努力でも功績でもないと彼女は思っているのだ。


「マーサという他家のメイドに頂いたスミレの花の砂糖漬けなんです。大切にしていたものを分けてくれたんです。おかげで違いを出すことが出来ましたの」


 名を挙げたのはスミレの砂糖漬けをくれたマーサだが、真夜中にエヴェリンやペトゥラと共に菓子を作ったことも、ハルとエレノア、二つの記憶の間で揺れ動く中、安心できる時間となった。


「まぁ、そうでしたの。その者にも礼を言わねばなりませんね。こちらは私どもが包装し、責任を持って進呈いたします。エレノア嬢、この度のご尽力に感謝いたします」


 正道院長であるイライザは立ち上がるとエレノアに微笑み、頭を下げる。

 公爵令嬢であるエレノアはこの場では爵位が最も高い。だが、ここ正道院では一介の貴族研修士ヴェイリス、それも謹慎中の身だ。

 だが、イライザはエレノアの菓子作りの才を知ると躊躇なく、彼女に進呈用の菓子作りを依頼した。グレースの口添えもあっただろうが、そんなグレースもまたエレノアを疑うことはない。

 二人はカミラの存在を見て、エレノアが魔法を行使しようとした理由を察したのだ。もし、エレノアが噂通りの令嬢であれば、この数日で何度も機嫌を損ね、問題が起きていたはずだ。

 だが、問題を起こすどころか、エレノアは積極的に問題解決にと動き出したのだ。


「頭をお上げください。私は謹慎のためにここにいる身です」

「私は、ヴェイリスたちを愚かだと決めつけていたのです。ですが、それは誤りでしたね」


 頭を上げたイライザの表情は悲しげだが、口元には自嘲の笑みが浮かぶ。

 彼女は今までの令嬢たちのこともあり、出会う前からエレノアが噂通り気難しく、そんな気性から攻撃魔法を行使しようとしたのだと思い込んでいた。

 

「あなたに自分自身の未熟さを気付かされた思いです。もう一度、ヴェイリスのご令嬢たちと私も向き合う必要がありますね」


 このまま同じように貴族令嬢たちを先入観で見ていては、彼女たちの立ち直ろうとする気持ちを見逃す可能性に気付いたのだ。

 無論、全ての令嬢たちがエレノアのように、謹慎という意識を持っているわけではないだろう。それでも再び、正道院長としてイライザが彼女たちと向き合う、エレノアとの出会いはそんなきっかけになったのだ。

 微笑みと感謝がイライザとグレースの表情に浮かぶ。

 だが、エレノアにはどうしても確認しておきたいことがあるのだ。


「今後もこういったご依頼や、街の方への菓子の販売は行いたい、そういうお話でしたよね。原点に立ち返り、自給自足のスローライフです! 私はそちらに賛同する、そう申し上げました」

「え、えぇ、そういうお話でしたね。ですが、そちらにエレノア嬢は……」


 今回は急遽のことで公爵令嬢でもあるエレノアに依頼した。だが、通常は貴族研修士ヴェイリスと平民研修士ラディリスの職務は異なるのだ。

 今後は菓子職人を雇い、販売用の菓子はラディリス中心で活動していくことをイライザは考えていた。

 しかし、エレノアはにこやかな微笑みを称え、断言する。


「今後も私は菓子作りをしていきたいのです。それこそが私がここで出来ることですし、御力になれると僭越ながら思っておりますの」

「ですが……よろしいのですか?」


 戸惑いつつ尋ねる正道院長イライザを、エレノアの紫の瞳がじっと見つめる。その神秘的な輝きはイライザに問いかけているかのようだ。

 この場で一番高位なのは私ではなく、正道院長であるあなたではないのか?と。

 イライザはハッと息を呑む。貴族研修士と平民研修士の垣根を、公爵令嬢であるエレノアが自らなくそうとしているのだとイライザは思ったのだ。


「……噂など本当に当てにならないものですね」

「正道院長……」


 不安げなグレースにイライザは首を振る。

 公爵令嬢エレノアの存在、そして彼女が作っていく菓子はこの聖リディール正道院を変えていくだろう。

 軽く微笑みを浮かべ、こちらを見つめるエレノアをイライザも見つめた。

 窓から差し込む日差しで紫の瞳は輝きを増し、希望に満ちている。

 イライザは一度瞼を閉じると、エレノアを見つめ、彼女に希望を託す宣言をする。


「エレノア・コールマン公爵令嬢、今後もこの聖リディール正道院で菓子作りをして頂けますか?」


 貴族研修士ヴェイリスの紫の頭巾トゥレスを付けたエレノアが、自信に満ちた微笑みで頷く。


「はい! 皆さんに喜んでもらえる菓子を作るように頑張って参りますわ」


 こうして、公爵令嬢エレノアは聖リディール正道院で菓子を作っていくことになった。貴族への進呈はもちろん、正道院に訪れる人々への菓子の販売も今後可能になっていくだろう。

 正道院が大切にしてきた自給自給、そして街の人々との交流、何より菓子を作りたいというエレノアの願いは聖なる甘味として形になるのだ。

 穏やかな春の空のように、エレノアの心はこれから始まる日々への期待に満ちていた。



*****

 


 自室に戻ったエレノアは汚れたレシピ帳を大切そうに撫でる。

 そんな様子をどこか切ない表情でカミラは見つめる。ずっと側にいたはずのエレノアであるにもかかわらず、彼女の知らない一面にやはり動揺してしまうのだ。

 自身に至らなさを痛感するカミラにエレノアは微笑む。


「ねぇ、作ったお菓子ってお父さまやお兄さまにお届けできるかしら?」

「え、えぇ、お嬢さまの魔力量でしたら、魔法鳥に菓子を運ばせることも可能ですよ」


 魔法鳥は通常は文を届けるためのものだが、魔力量の多いエレノアであれば菓子程度であれば運ばせることが出来るだろう。

 正道院内で魔法鳥の検閲がないのはほとんどの令嬢や使用人の魔力では手紙程度しか送れないためだ。ある程度の魔力を使うため、使用頻度も低い。

 だが、エレノアの力であればそれも問題ない。

 

「お父さまにもお兄さまにもご迷惑をかけているでしょう? せめて、何か出来ることがあればと思うのよ」

「……お嬢さま」


 最愛のエレノアから菓子が届く。それは父ダレン、兄カイルにとって何よりの喜びとなるはずだ。

 正道院という場所であっても、自分自身より家族を思い案ずる。やはりエレノアはカミラの知るエレノアのままなのだ。公爵令嬢らしく振舞う必要がなくなった今、少女らしく素直な一面が見られるようになったのだろう。

 より一層主人であるエレノアを信じ、守っていく決意をカミラは固める。

 そう、白い狐の降臨に規格外の魔法、エレノアは今まで以上に尊く貴重な存在になったのだ。




 聖リディール正道院から送られた、スミレの花の砂糖漬けのマドレーヌは大いに喜ばれた。研修士が作った聖なる甘味は近年送られていなかったことがある。何より、その制作者が公爵令嬢エレノア・コールマンであることにその貴族は衝撃を受けた。

 通常なら謹慎中である貴族令嬢からの菓子に不安を感じるはずだ。

 だが公爵令嬢でもあり、先々代の王女の血を引くエレノアはひそかに慕われている。謹慎となった騒動に関しても、王族がいたことで罪が重くなったことさえなければ、家格の低い少女たちの方が問題視されたことだろう。


 エレノアの作ったスミレの花の砂糖漬けのマドレーヌは、その色合いもあり「公爵令嬢のマドレーヌ」と呼ばれ始める。

 スミレの花の砂糖漬けにエレノアの神秘的な紫の瞳を重ねたのだ。

 聖なる甘味であり、公爵令嬢が作ったというマドレーヌに他の貴族も関心を持ち始める。正道院で作られた聖なる甘味は、昔から尊ばれているためである。


 そんなことも知らず、エレノアは今後は何を作っていくか、正道院に置くならどんな菓子がいいかと考え、口元を緩ませる。

 穏やかな春の晴天、お菓子作りと白いもふもふの狐、そしてスローライフ。

 エレノアの新たな生活は、まだ始まったばかりだ。

 

 


 

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