第20話 正道院のカリカリラスク


 その部屋は他の令嬢のより広く置かれた家具も洗練され、そこで生活する令嬢が高位であることが一目でわかる。

 窓際に座り、本を読む彼女の元にメイドが紅茶と菓子を運んできた。

 菓子を見た令嬢は軽く声を上げる。

 それは最近、話題となっているものであったからだ。


「これは……『公爵令嬢のマドレーヌ』ね」

「はい! コールマン公爵令嬢に頂いた物です」


 それは「聖なる甘味」として評判を集める、ここ聖リディール正道院でエレノア・コールマン公爵令嬢が作った菓子だ。

 エレノアが手づから作るため、その数も限られると正道院長であるイライザは告げている。だが、それが更に話題を呼んだ。

 厨房の者にもレシピを教えたのだが、エレノアが制作したものは「公爵令嬢のマドレーヌ」と呼ばれ、スミレの花の砂糖漬けが目印になっている。

 謹慎中ではあるが家格が下である令嬢令息に言いがかりをつけられたことには同情的な声もある。また気難しい面はあるが、エレノアの容姿にかつての王女を重ねる者も多いため注目を集めていた。

 

「でも、どうしてあなたがこれをコールマン公爵令嬢から?」

「コールマンさまは私たちにも良くしてくださっていて……あの、すみません! お嬢さまから頂いたスミレの花の砂糖漬けをお分けしたんです。こちらはそのお礼に頂いたものなんです」


 エレノアと自身のメイドとの思いがけない関係に驚いたスカーレットだが、気を悪くした様子はない。


「……それをわたくしが頂いてもよろしいのかしら?」

「はい! とっても美味しかったんです! なのでぜひ、スカーレットさまに召し上がって頂きたくって! あ、ペトゥラさんたちのはあるので大丈夫です!」


 後ろに控えているペトゥラが申し訳なさそうな顔をしている。彼女はマーサの教育係なのだ。何も言わず、口元に弧を描くことでスカーレットはペトゥラの不安を拭う。まだ至らぬことの多いマーサだが、その明るさにスカーレットもペトゥラたちも救われている面があるためだ。

 他の令嬢とスカーレットには深い溝がある。多くの令嬢も平民研修士も彼女と距離を置く。それは彼女の家格によるものではない。

 原因はスカーレットがここにいる理由にあった。


「……ありがとう、マーサ」


 マーサはにっこりと微笑み、スカーレットも微笑みを返す。

 紅茶に口を付け、こくりと一口飲んだスカーレットは窓の外を見つめる。

 花が咲く春の優しい気候は彼女の心とは裏腹で、スカーレットは一層、むなしさを覚える。


「エレノア嬢、お会いしてみたいわね」


 そう呟いたスカーレットは再び紅茶をこくりと飲む。

 晴れやかな空を眺める、長い睫毛に覆われた緑の瞳はどこか寂し気にマーサには見えるのだった。

 


*****


 

 正道院ではマドレーヌの販売が開始された。

 祈祷舎近くのこじんまりとした一室の中で、平民研修士ラディリスたちが販売を行っている。

 久しぶりの「聖なる甘味」の販売という事もあり、興味を抱く街の人々は祈祷舎に足を運んだあと、まるでついでかのように覗いていく。

 本来は目的が逆なことは販売や制作を行うラディリスたちにもお見通しだ。

 聖なる甘味の販売によって正道院には普段より多く、人々が訪れるようになっていた。

 

「――このように、皆さんにご好評頂いてます。コールマンさまのようにはいかないのですが、私どもが制作したマドレーヌを皆さん喜んでくださってるんです!」


 そう言ってグレースは嬉しそうに笑う。

 対するエレノアは笑みを浮かべつつも、内心は複雑な心境だ。

 エレノアはマドレーヌのレシピと魔法で創り出した型を、グレースたち調理に当たる平民研修士ラディリスに渡した。

 貴族への進呈の菓子、平民用の菓子、その両方をエレノアが制作するのは不可能だからだ。だが、その味が認められることはエレノアにとっても嬉しいことである。

 では、何が問題か。

 それは販売にエレノアが携われないことにあった。


「そ、それで皆さんのご意見にはどのようなものがあったのかしら?」


 買った人や食べた人の表情が見えない分、エレノアはその意見や感想を知りたいとグレースに尋ねる。味や見た目に問題がないだろうとは思っていても、やはり食べた人の声はエレノアにとっても重要なものなのだ。

 

「コールマンさまから頂いた試食という発想は好評で……! 皆さん、お金を払わずに食べていいのかと不安がっていましたが、一度味を知ると感動なさったように聖なる甘味の復活を喜んでくださり、購入して頂けました!」

「そう、それは良かった!」


 まだまだ菓子は特別なもの、その菓子を買うには抵抗があると予測していたエレノアは試食という形を進めた。販売から数日間のみ、試食を行うことにしたのだ。

 味がわからぬものにお金を出す、その抵抗を考えてのことだ。

 それが功を奏したとのことにエレノアは安堵の笑みを浮かべる。

 だが、言いづらそうにグレースは他の意見も告げる。


「ですが……やはりその、価格の問題で買えないという人々もいらっしゃいました」


 申し訳なさそうにするグレースは、誠実で真面目な気性から隠しておけなかったのだろう。だが、むしろそういった正直な意見こそ、今後に活かされるとエレノアは思う。下手に隠されて、菓子を買う人の心を知ることが出来ないほうが困るのだ。

 何より、菓子を買うのに抵抗があることは、予測通りでもある。

 菓子よりパンを優先するのが庶民の感覚だ。

 それは決して裕福ではない幼少時代を過ごしてきた、ハルとしての記憶を持つエレノアにもよくわかる。


「でも、せっかくなら、皆さんが楽しめる価格帯の品も用意したいわね」

「私もそう思います。自給自足の素材を使っていても、やはり限度もありますし……難しいところですね」


 正道院としても信仰する者を増やしたいという思いがある。

 実際、マドレーヌを販売し始めて、訪れる者は増えたのだ。


《神に祈りを捧げる者が増えたと我もお褒めの言葉を貰ったぞ。我が今後も褒めて頂けるよう、なんとかしろ》


 エレノアの部屋のソファーで寝転びながら、きゅうきゅうとシルバーが鳴く。

 そう言われても、急にアイディアが湧くものでもない。

 だが、多くの人に菓子を食べて欲しい、そんな気持ちがエレノアにもある。

 菓子作りは好きだが、菓子を作って終わりではない。その先に食べてくれる人の喜びがあってこそなのだ。

 わざわざ部屋に報告しに訪れたグレースに礼を言うと、エレノアは何か良い素材や方法がないかと考え出すのだった。



*****

 

 

 自室で考えていても、良い発想が浮かばなかったエレノアは正道院の棟内を、カミラと共に散策をして歩く。

 第一庭園では平民研修士ラディリスたちが、野菜や果実の手入れをしている。そんな様子は自然と共に生きる者の美しさがあった。

 こちらの姿に気付くと、軽く会釈をするラディリスたちにエレノアも微笑みを返す。果実やハーブに関心があるエレノアだが、今優先すべきは買い求めやすい菓子の制作だ。

 ほんの少し、残念に思いながら第一庭園を後にするエレノアなのだった。


 

 エレノアとカミラが次に訪れたのは貴族用の厨房である。

 先日、試食もして貰ったが、正道院で販売するマドレーヌは設備の整ったこちらで平民研修士ラディリスが作製に当たっている。

 そのことで何かアレッタたち調理人たちが困っていないかと、エレノアは気になっていたのだ。

 だが、訪れたエレノアが知ったアレッタたちの困りごとは、予想していたのとは異なる話だ。


「パンを発注し過ぎた?」

「そうなんだよ。まだまだあたしら不慣れだからさ、それで注文を多くしすぎちまって……」

「でも、パンなら毎日食べるから、消費できるんじゃないかしら?」


 エレノアの言う通り、パンであれば平民研修士ラディリスも貴族研修士ヴェイリスも使用人たちも毎食食べる。そこまで、大きな問題ではないように思えたのだ。

 だが、アレッタたちが頭を悩ませる理由はパンの種類にある。


「それがね、ラディリスや使用人はいいとして、これはお貴族さまには向かないパンなのさ」


 そう言ってパンが置かれた棚をアレッタは指差す。

 そこにあったのはライ麦パン、大量に並んだそのパンにエレノアも理解する。


「貴族のご令嬢は白いパンかバターが多いパンしか召し上がらないものね」

「……なんか、それをお貴族のご令嬢から聞くと変な感じだね。まぁ、そんな事情であたしらは困り切ってるんだ」


 アレッタの後ろには涙目になっている女性が一人いて、それを慰める数人の者たちがいる。おそらくはその女性のミスなのだろう。

 棚に近付いてエレノアはライ麦パンを見る。

 バゲットや白パンと違い、フレンチトーストには合わない。他の調理法をしても、貴族令嬢たちの先入観から拒まれる可能性が高い。

 であれば、彼女たち以外の人々にこれを進めてみてはどうだろう。そんな考えがエレノアの中に浮かぶ。

 少なくとも平民研修士ラディリスと使用人たちはこのパンで問題ないのだ。


「ねぇ、アレッタさん。ラディリスと使用人の方々以外の分のパン、私に預けてみる気はなしかしら? 他の調理法を考えてみるわ」

「それはあたしらとしてはありがたい話だけれどさ……大丈夫かい? お嬢さんだってこういうパンは召し上がらないんだろ?」


 どうやらアレッタは、エレノアが気を遣って引き取るのだと思ったらしい。

 だが、エレノアにはライ麦パンを違う形で活かす案があるのだ。


「とりあえず、試作をしてみるわ。パンを数個、わけて貰ってもいいかしら」

「あぁ、もちろんさ。お嬢さんがもしいい案が浮かんだら、あたしらにも教えてくれたら助かるよ。あぁ、もうほら、そんなに泣くんじゃないよ」


 面倒見の良い性格のアレッタは、涙目の調理人の一人を慰める。

 この世界では問題なのだろうが、敬語も使わず、周囲の人と同じように接してくるアレッタはエレノアとしてはありがたい存在だ。

 そんな彼女の言葉に甘えて、エレノアは数個のパンをカミラに頼んで自室まで運んで貰うことにした。

 ライ麦パンを使って試作してみたい物がエレノアにはあるのだ。

 きっと、これから正道院の聖なる甘味として販売できる。

 そんな確信がエレノアにはあった。


 それはハルであったときの、祖母との記憶。

 菓子作りの原点ともなった味である。

 正道院の新たな「聖なる甘味」はそんな思い出から生まれることになる。






 







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