第15話 エレノアの魔法


 その日の朝も穏やかな朝のはずだった。

 カミラはエレノアを起こすために彼女の部屋を開ける。

 いつもと同じように健やかな眠りについているであろうエレノアを、起こすつもりであったカミラは、目の前の光景に目を奪われ言葉を失った。

 昨日までの様子とは一変していたのだ。


「ほら、部屋を自分の好みに変えてもいいっていう話だったじゃない?」

「こ、これは変え過ぎです……! 一体何が起こったのですか?」


 エレノアの部屋の一室が完全に変化しているのだ。置かれた家具は白い光沢のあるものに変化し、キラキラと輝く。公爵家にすら置かれたことのない機能美を持ったその品々にカミラは驚愕し、そして一つの答えに辿り着く。


「その白い狐の仕業ですね! 正道院側にどう説明するつもりですか!」

《我ではない! これはこの者の力、願いを叶えるための魔法だ!》


 シルバーがきゅうきゅうと抗議の声を上げるが、その声はカミラには伝わることはない。きゅうきゅうと青い瞳で自身を縋るように見つめるシルバーにエレノアは頷いて、カミラに事情を説明する。

 

「違うわ。これは私の力、私の願いによってもたらされた魔法なのよ」

「そんな……エレノアさまがこの変化を……」


 驚愕したカミラにエレノアは不安になる。

 多くの魔法は生活魔法と属性魔法が基準となる。エレノアの魔法は「菓子を作りたい」その願いに沿っていれば使えるという異質なものなのだ。

 そんな魔法が突然使えるようになったエレノアに、カミラがどう思うのか。それがエレノアには恐ろしかったのだ。

 硬い表情で黙り込むエレノアと驚きで黙り込むカミラ、その沈黙を先に破ったのはカミラの方だった。


「……うちのお嬢さまは天才では?」

「え? カミラ?」

「いえ、幼き頃よりずば抜けた才覚と知性、品位を持ち合わせていらっしゃったお嬢さまでしたが、魔法の才能まで規格外のものを修められるとは……! きっかけはやはり神とやらがお嬢さまをやっと見出したことでしょうか?」


 拒絶されるかと不安を抱いていたエレノアであったが、カミラの反応は真逆である。目を潤ませて、エレノアの返答を待っている。


「私もその力の全容はつかめていないんだけど、その……お菓子作りをしたいっていう私の夢を叶えるための魔法らしいの」


 漠然としたエレノアの説明だが、カミラはすぐに理解する。エレノアの夢である菓子作り、それを知るきっかけが最近カミラにはあったのだ。


「では昨日の貴族用厨房でのことも、ここ数日、他家の使用人に菓子を振舞っていたのもそのためですか?」

「え! 知っていたの?」

「当然です。お嬢さまに気付かれないように後を追っていました」


 夜更けに出歩くエレノアをカミラが見逃すわけがない。エレノアの安全を守るのはカミラ自身の望みでもあるのだ。

 菓子を作り、振舞うという行為を見逃したのも、エレノアを思うカミラの愛ゆえだ。真夜中に菓子作りをするエレノアの表情は楽し気で柔らかなもの。

 公爵令嬢として、率直な感情を出さずにいたエレノアの知らなかった一面をカミラは微笑ましく愛らしいと思い、見逃したのだ。


「お嬢さまは幼い頃よりご自身より家やご家族を優先なさってきました。訳あってこのような場所に来た今、ご自身の心のままに動いても良いとカミラは思っております」

「カミラ……! ありがとう」


 思いもがけないカミラからの言葉に、エレノアは涙が滲む。

 幼い頃から公爵令嬢として努めてきた記憶は今もしっかりとエレノアの中にある。それを側にいたカミラは見ていてくれたのだ。

 喜びの笑みを浮かべるエレノアに、カミラは指を上げて厳しい表情を見せる。


「ただし、条件がございます」

「な、何?」

「今後、菓子を作る際はぜひ私もご一緒したいのです。あ、そうです! お嬢さまがお作りになった菓子は旦那さまたちにお送りしましょう!」


 厳しい表情が一変し、カミラはいたずらが成功した子どものように笑う。

 エレノアの願いは家族とカミラが幸せになること、ハルの願いとエレノアの願いは両立するというシルバーの言葉をエレノアは思い出す。


(エレノアさんの記憶と私の記憶、新しいエレノア・コールマンとして私はこの場所で生きていっていいんだよね……?)


 そんな不安からエレノアは腕の中のシルバーをぎゅっと抱きしめる。

 

《案ずるな、清らかな魂よ。汝を呼んだのはその体の主エレノア・コールマン、汝がこの世界に来たのは彼女の願いでもあるのだ》


 きゅうきゅうと鳴く白い狐にエレノアは微笑む。

 銀糸の髪を持つエレノアと白い狐の組み合わせはなんとも美しく神秘的だとカミラは思う。主の願いを叶えるために、これからも努めようとカミラは心に刻むのだった。



*****



「これは火属性に水属性、こちらは氷属性も備えていますね。複数の属性を両立させて動く魔道具なんて……国有数の魔道具師でないと作れないです。それにこの機能性と美しさ、こちらの物全てをエレノアお嬢さまの御力で作られたなんて!」


 エレノアが魔法で作った魔法具、ハルの記憶ではシステムキッチンと呼ばれるそれらを見たカミラは感嘆する。

 こちらの言葉では魔法コンロや魔法オーブン、魔法貯蔵庫と呼ばれているが、ハルの記憶では通常の家庭用電気器具、いわゆる家電である。

 だがこれらは電気ではなく、エレノアの魔力で動くようだ。膨大な魔力量を誇るエレノアにとっては使用する魔力は大したことではない。

 むしろ、これからは自由に料理が出来るとがエレノアにとっての大きな希望だ。

 カミラにもその力を打ち明け、安心したエレノアにノックの音が聞こえる。カミラがエレノアに礼をしてドアへと向かい、相手を確かめに行く。

 

「白い犬と申告したのが白い狐だとバレたのかしら? それとも、もう部屋の改装に気付いたのかしら?」


 いずれにせよ、エレノアの想像以上に対応が早い。

 白い狐シルバーや魔法について説明すべきかと考えるエレノアの前にカミラが戻ってくる。先程までと異なり、カミラの表情はきりりと引き締まり、何かあったのだとエレノアは悟る。


「……お嬢さま、正道院長がお呼びだそうです」

「そう……わかったわ。支度をして向かうとお伝えして」

 

 正道院に訪れてまだ数日だというのに、早くも正道院長に呼び出されるとはおそらく良い知らせではないだろう。

 身支度を整えつつ、公爵令嬢として弱みを見せぬよう、エレノアは気を引き締めて正道院長へと向かうのだった。



*****



 通された正道院長室は何やら重い空気が漂う。

 これはシルバーの存在がわかったのだろうとエレノアは考える。

 正道院から聖女が現れるのは信仰会の悲願ではあるが、その令嬢が謹慎処分中の公爵令嬢であるとは不名誉な上に扱いにくいだろう。

 この重い空気もそれゆえではないかと思うエレノアは、視線を正道院長の側に控えるグレースに移す。

 落ち着いた印象の彼女だが、グレーの瞳は不安に揺れている。

 フッとこちらに視線を移したグレースが慌てたように視線を下に落とす。

 その様子はどこか申し訳なさそうに見えて、エレノアは不思議に思うが、そのとき正道院長イライザが軽く咳払いする。


「……朝早くから呼び出してしまい、驚いたことでしょう。長い話ではないのです。あなたにどうしても確認しておきたいことがありまして……」

「はい。どんなことでしょう」


 正道院長イライザは着席したまま、なかなか話し出さない。その重厚な机の前に立ったエレノアは黙って立ち続けている。エレノアはもちろん、カミラも表情には出さないが、優秀なメイドは内心かなり苛立っているだろう。

 呼び出しておいて、なかなか話を切り出さないイライザの様子に側にいたグレースがそっと促す。


「……正道院長、エレノアさまにお話を」

「えぇ、そうですね。お恥ずかしい。呼び出した時点で覚悟は決めておりましたのに、異例のことで躊躇してしまいました」


 このやりとりでエレノアは確信する。

 やはり、話し合いは白い狐の顕現、そしてエレノアが聖女か否かということだ。今までこのような事態が起きたことがないうえ、秘密裏に話を進める必要がある。

 そのため、この部屋にはエレノアとカミラ、そして正道院長であるイライザとグレースしかいないのだ。

 

 自身が聖女であるかはエレノア自身にもわからない。

 いや、この世界に来てからわからないことだらけなのだ。

 だが、再び与えられた命と二つの願いのために、エレノア・コールマンとして生きていこうと決意している。

 そう思ったエレノアの前で、正道院長イライザは立ち上がる。


「エレノア・コールマン公爵令嬢、あなたにお話があります」


 聖女かと尋ねられたら、どう答えるべきかエレノアは考える。

 すっくと立ちあがった正道院長イライザの姿は凛としたものだ。長い間、自らを律し、正してきた者の毅然とした美しさがそこにはあった。

 だが、そんな正道院長イライザの言葉はエレノアの予想外のものだった。


「あなたの力を貸して頂きたいのです……菓子を、お菓子を作って頂けませんか?」

「へ……?」


 貴族令嬢らしからぬ声がエレノアの口から零れる。

 パチパチと数度瞬きをしたエレノアは、聖女の話から菓子作りの話に頭の中を切り替えるまで数秒かかってしまうのだった。


 


 



 


 

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