第14話 真夜中のウェルッシュケーキ 2


 ウェルッシュケーキとはイギリスのウェ―ルズ地方で生まれた菓子である。

 小麦やバター、砂糖に卵、そしてレーズンやクルミを入れた素朴な風味の菓子だ。ケーキとついてはいるが、スコーンやクッキーに近い食感で紅茶にもよく合う。

 だが、スコーンやケーキとも違う点がある。

 ウェルッシュケーキはフライパンで作れるのだ。


 エレノアは木の棒を使い、生地を平らに伸ばしている。菓子作りなどしない三人からすると、あっという間に食材の形が変わっていくのが不思議に思えた。

 生地の上にエレノアは粉を振っていく姿に、慌ててペトゥラは声をかける。


「お召し物が汚れてしまいます。どうぞ、私たちにやらせてください」


 そう言ったペトゥラの顔を見ていたずらが成功したかのようにエレノアは笑う。

 ペトゥラが言う通り、深みのあるピンクのガウンには白い粉が雪のように付いてしまっている。


「でも、もう汚れてしまったわ。そうね、それじゃあここからは皆でしましょう。その方がきっと楽しいわ」

「はい! わかりました」


 エレノアの言葉にマーサは嬉しそうに返事をする。

 どうやらエヴェリンも興味があるようで口元に笑みが浮かぶ。

 実のところ、真夜中にこうして菓子を作るのはなんだか秘密めいて楽しいとペトゥラも思ってはいるのだ。だが、この中では最も長く勤めるものとして、ペトゥラは気を引き締める。

 

「まとめたこの生地を伸ばして、型を取ってフライパンで焼き上げるの。型を取れるものって何かある?」

「えっと……どうしましょう! 菓子用の型などはこちらではなく貴族用の厨房なんです!」


 慌てるマーサにエレノアは落ち着かせるようにゆっくりと話しかける。その様子は立場の差を超えた微笑ましさがどこかある。

 

「別に製菓用のものじゃなくってもいいの。型、うーんそうね。コップなんかでいいのよ。丸くってこのくらいのサイズね。人数分、探してくれるかしら?」

「はい!」


 食器棚の中から4個のコップを持とうとするマーサに、慌ててペトゥラは駆け寄ってコップを半分受け取る。一生懸命なのはいいが、不器用なのがマーサの危なっかしいところだ。

 

「こういうときはトレイを使いなさい」

「は、はい! 気を付けます」


 エレノアには聞こえぬよう小声で注意したにもかかわらず、マーサがハキハキと返事をする。そんな様子をくすくすと見ているエレノアにペトゥラは目礼を返す。

 コップを受け取ったエレノアは粉を振った生地の上にポンと置く。するとコップの丸い形に生地が切り取られる。


「こんな風に型を抜いてみて。出来るだけ、生地と生地の隙間が空かないように」

「あ、生地が無駄にならないようにですか?」

「そうそう! そのあとまた生地をまとめて伸ばして、型を抜いていくのよ」


 正解したエヴェリンは得意げにマーサに笑いかけ、ムッとしたようにマーサが睨む。公爵令嬢の前で普段通りに感情をあらわにする二人を注意したいペトゥラだが、当のエレノアは楽しげに笑い、二人にコップを差し出す。


「じゃあ、皆は生地を型で抜いてね。私はそれを焼いていくから」

「そ、それは私が……!」

「ペトゥラには魔法コンロに火をつけて貰おうかしら」

「……はい。わかりました」

 

魔法コンロに火をつけたペトゥラはエレノアが怪我でもしないかと少し緊張しながら、彼女の作業を見守るのだった。



*****


 バターの香ばしい匂いと紅茶の香りが部屋に満ちる。

 こんがりと焼けたウェルッシュケーキが皿に乗り、紅茶と共にテーブルの上にセッティングされている。

 こんがりときつね色の焼き加減にエレノアも満足そうに微笑むと皿に乗せていないウェルッシュケーキをハンカチで包む。

 

「どうぞ、温かいうちに召し上がってね。じゃあ、私はこれで」

「え、あの、召し上がらないのですか?」

「マーサ! ご無礼を致しました。申し訳ありません」


 せっかく作った菓子を食べないと言ったエレノアについ、マーサは尋ねてしまったが使用人用の厨房で令嬢に食事をさせるなど非礼である。

 すぐにペトゥラが謝罪し、マーサにも同じように頭を下げさせるがエレノアはそれを止めた。


「せっかくなら、私もご一緒したいのだけれど……あなたたちを疲れさせてしまうから。今は職務中ではないでしょう? ゆっくり皆で味わって。じゃ、またね!」


 そう言うとエレノアは昨晩同様、部屋を後にする。

 甘味を作っては微笑んで去っていく。整った容姿もあってその姿はやはり現実味がない。だが、目の前にほこほこと美味しそうに湯気を立てるウェルッシュケーキという菓子が現実だと三人に訴えるのだった。

 


「美味しいですねぇ。サクサクで中はホロっと溶けてバターの風味がしっかりして、紅茶にも合いますね!」

「レーズンもアクセントになってるね。こりゃ、美味しいわ。まさか、フライパンでもこんな菓子が焼けるなんてね」


 二人の言う通り、さっくりと香ばしい表面にほろりと柔らかな生地、甘酸っぱい干しぶどうに紅茶が良く合う。ほぅっと誰からでもなく、ため息が出た。

 日頃、様々な場面でため息が出ることがあるが、これは言うならば安心感からのため息である。


「果たして、このように美味しい菓子を作って頂いていいのかしら? 相手は公爵家のご令嬢なのよ。スカーレット様に知られてごらんなさい。問題になるかもしれないわ」


 眉間に皺を寄せつつも、ペトゥラは再びウェルッシュケーキへと手が伸びる。真夜中の甘味は罪深いほど美味なのだ。


「でも、昨晩のことも今晩のことも秘密にとおっしゃっておられましたし……あ、私これ1枚持って帰って明日食べよっかな」

「それ、いい考えね! 私も真似しよっと」


 ハンカチを取り出して、二人は一枚分だけ包み、ポケットにしまい込む様子にペトゥラはため息をついて自分の皿を見る。ペトゥラの皿は既に空、今のは後悔のため息である。


「エレノア・コールマン公爵令嬢、不思議な御方ね」


 そんな小さなペトゥラの呟きは、若い二人のはしゃぐ声に消されるのだった。



*****


 

 そうっと自室に戻ったエレノアの目に、今日もまたベットの上で白い狐がゆらゆらとしっぽを振る様子が見える。

 どうやら、シルバーはエレノアとその菓子の到着を待っていたらしい。


「今日のはね、ウェルッシュケーキっていうのよ。イギリスのウェールズ地方のお菓子でサクサクしてて美味しいの。食べてみる?」

《ほぅ、なかなか興味深いな》


 興味深いというより、ただ食べてみたいシルバーだが、エレノアは食べやすいように砕いて渡す。菓子を作るのも好きだが、それを食べてくれるのもまた嬉しいものだ。そんな思いから、ついつい使用人用の厨房へも足を運んでしまう。 

 そこでエレノアは先程、小さな桶で手を洗い、ペトゥラに生活魔法で水を出してもらったことを思い出す。

 

「ねぇ昨日、体と魂が馴染めば魔法が使えるようになるって言ったけど、どのくらいかかるものかしら? 生活魔法を早く使いたくって」


 まだ温かいウェルッシュケーキをはふはふと食べているシルバーは不思議そうに小首を傾げる。その様子にエレノアも同じように首を傾げる。

 昨晩、良く眠り、魂と体が馴染めば魔法が使えるようになる。そうシルバーから聞かされたばかりなのだ。


《生活魔法であれば、既に使えるぞ。なんなら、転生してすぐにでも使えたはずだ。試してみなかったのか?》

「え、それじゃあ昨日の話は何なの?」


 もふもふとした白い狐は最後のウェルッシュケーキをぱくりと食べて、満足気にしっぽをゆらゆら揺らす。どうやら、今日のも彼の口にあったらしい。

 だがエレノアが今、気になるのは魔法の話だ。


《それは異なる魔法のこと、汝は我に名を付けたからな》

「名前って、だってないとおかしいじゃない? 一緒に暮らすんだから」

《うむ、その名付けによって汝と我は強い結びつきを得た》

「強い結びつき……それで違う魔法が使えるってこと?」


 そんなエレノアの言葉を肯定するかのように、こくりとシルバーは頷く。

 攻撃魔法は封じられているエレノアの身体ではあるが、魔法が使えなくなったわけではない。

 

《その力は汝の強い願いによって我と汝の間に結ばれた絆。元々エレノア・コールマンが持っていた膨大な魔力に、我と汝の契約の力が加わったものだ。それをどのように使うかは汝次第だがな》


 攻撃魔法を封じられ、生活魔法しか使えないものと諦めていたにも関わらず、新たな魔法の可能性が出て来たことにエレノアは目を輝かす。

 異世界転生の醍醐味をやっと味わうことが出来るのだ。


「シルバー、それってどんな魔法? 攻撃魔法は封じられているから、そういう系じゃないのよね」

《汝の強い願いは清らかなるもの、その願いに基づいたことならば属性に囚われずその魔力を行使できるはずだ》

「え! 私の願いって……お菓子作り限定の魔法ってこと!?」

《うむ、そうなるな。どうだ、例を見ない特別な魔法であろう》


 どうだと言わんばかりにベットの上の白い狐は胸を逸らし、しっぽはパタパタと早めに揺れる。

 一方のエレノアは『菓子作り限定』という特殊な魔法の使い方に頭をフル回転させる。かなり使い方が制限されたこの魔法、どう使うかはエレノア次第らしい。

 菓子を作る楽しみは、自ら行うことにある。魔法で簡単に作れてしまっては楽しみもなくなってしまう。


「それっていつ頃、使えるようになるの?」

 

 青い瞳でじっとエレノアを見つめる。どうやら、ハルの魂とエレノアの身体の親和を確かめているらしい。

 真剣な様子で答えを待つエレノアにシルバーは面白そうに言う。


《ほう、一晩でそこまで馴染むとは……エレノア・コールマン本人に引き寄せられたせいなのかもしれぬな。汝は新たな魔法を使えるぞ。そう難しいことではない。心から強く願えば良いのだ》


 シルバーの言葉にエレノアの紫の瞳は輝く。制限こそあるものの、魔法が初めて使えるのだ。

 この世界でも菓子作りを楽しみたい、その強い思いは変わらない。初めての魔法もそのための第一歩となる魔法に決めた。


「よし……! 私、魔法を使ってみるね!」


 ハルがエレノアの身体に転生し、初めての魔法。

 グレースに「正道院に入るということは、限られた物の中で暮らしていくこと」そう言ったエレノアの思いに変わりはない。

 自然と共に穏やかに暮らす生活を今も望んでいる。

 だが、エレノアの願いを叶えるためにどうしても必要なものがあるのだ。



 その魔法の規格外さに翌朝、カミラはやはり彼女が聖女であると敬愛の念を深めることになる。

 




 


 

 




 


 


 

 


 

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