第8話 真夜中のフレンチトースト


 音を立てないようエレノアは静かに廊下を歩く。

 壁にはランプがあり、廊下をほんのりと照らす。記憶によると、どうやらこれも魔道具の一種らしい。

 エレノアは攻撃魔法は使えないものの、生活魔法ならば使えるはずだ。

 今度、カミラに聞いてみようとエレノアは思う。

 ふと窓の外に目を向けると、別棟に小さな灯りが見えた。おそらく、ラディリス用の祈祷舎だろう。


「こんな遅くまで起きて祈りを捧げているのね」


 日中、話を聞いたグレースも菜園で働く研修士ラディリスたちも職務にひたむきであった。そんな彼女たちと同じように職務に携われたらとエレノアは願うのだが、貴族出身の研修士ヴェイリスは異なる職務があるという。

 菓子を作った自身の経験を活かしたいと思ったのだがと思いつつ、足を進めるエレノアの目に灯りが零れるドアが映る。

 どうやらここが使用人用の厨房らしい。そっと開けると部屋の片隅で数人のメイドたちが声を潜めながら話している姿が見える。

 厨房を見つけた喜びを押さえながら、エレノアはその扉を大きく開く。


「これなんかどうかしら。あちらの厨房でもう捨てるって言ってたから」

「良さそうね。少し硬いけど、まだ食べられるし」


 メイドたちの手の中には硬そうなパンがある。それを今から食べようとしていたらしい。魔法コンロの上ではシュンシュンと湯が沸いていた。 


「あの、お湯が沸いているみたいよ?」

「ひっ!」


 親切心からただ教えただけなのだが、突然の来訪者に三人のメイドは驚き、固まる。エレノアの服装から彼女が人を雇用する側、貴族だということは一目でわかるのだ。

 年長とみられるメイドがさっと姿勢を正し、エレノアに挨拶をする。


「お見苦しいところをお見せしました。お嬢さまはいかがなさいましたか? 何かお困りでしたら私共にお申しください」


 焦った様子を一瞬で隠し、貴族令嬢とみられるエレノアに対応をする。どこの家のメイドかはわからないが、休息時間に気を遣わせて申し訳ないとエレノアが思ってしまうのはハルとしての経験ゆえだろう。


「いえ、こちらに用があったのです」

「はい? こちらにでしょうか。ここは使用人用の厨房でして、お嬢さまが足を運ぶような場所ではございません。怪我をなさってはいけませんし……」


 彼女の忠告はもっともだ。もしこの場で怪我をすれば、彼女たちが責任を取らされる必要が出てくるかもしれない。

 エレノアもそれは理解している。

 だが、彼女の目に映るのは目の前にいるメイドではなく、その奥のメイドの一人が持つ乾燥したパンだ。


「そのパン、今ここで召し上がるのかしら?」

「これは、その、あちらの厨房から頂いたものですが、許可を頂いて……」

 

 どうやら厨房にもその食材にも格差があるようだとエレノアは悟る。

 硬いパン一つにも遠慮をしなければならないなど、コールマン公爵家ではありえないことだ。エレノアは頷き、一人で決定を下し、それを目の前のメイド三人に宣言する。


「そのパン、私が調理するわ」

「……今、なんと?」


 ガウンの袖を腕で捲り、そのまままっすぐパンを持ったメイドへと向かう。

 若いメイドは高位貴族であろうエレノアの存在感に圧倒され、目を瞬かせるばかりだ。細く長い指でエレノアはすっと人差し指だけを上げる。


「せっかくだから、美味しく食べるべきだと私は思うの」


 その紫の瞳は真剣で冗談を言っているようには見えない。

 若いメイドがよくわからないまま、こくりと頷くとエレノアはフッと柔らかく笑う。

 真夜中に固いパンを三人で分け合うなど寂しいではないか。せっかくなのだから美味しく、そして何より自分に調理をさせて欲しいとエレノアは思う。

 メイドが生活魔法で水を出そうとする前に、冷たい桶の水でじゃぶじゃぶ洗い出すエレノアに驚きながらも、メイドたちは彼女の料理をサポートしようと決意するのだった。



*****


 

 厨房を見渡したエレノアはまず魔法貯蔵庫の中身を確認する。

 牛乳に卵が1つ、他には調味料が幾つかあるばかりだ。

 極めて質素な中身にこれでは魔法貯蔵庫である必要がない気すらしてくる。


「明日、今日の早朝には野菜や卵などが届きます。パンも明日になれば来るのですがその……」

「夜中にお腹が空くこともあるわよね」

「お恥ずかしい話です……」


 テーブルの上にはジャムにハチミツ、安い紅茶の缶が置かれている。

 紅茶にジャムに硬いパン、確かに真夜中に仲間で分け合い、仕事の愚痴を言い合うのも悪くはない。だが、せっかくならば――


「やっぱり美味しいほうがいいからね」


 卵をボウルに割り入れて、泡だて器で白身と黄身をしっかりと混ぜ合わせる。その中に牛乳を注ぎ、再び混ぜながらエレノアはメイドに尋ねる。


「お砂糖ってここにあるかしら?」

「はい、一応ございます。ありがたいことに小麦粉や砂糖は支給して頂けますし、バターや乳製品は作っておるそうなので」


 その言葉にエレノアの表情は生き生きと輝いた。彼女が思っている以上にここは食材も調理器具も揃っているのだ。


「じゃあ、他にも色々作れたわね。でも夜だから消化に良い方がいいし、まぁ仕方ないわよね」

「は、はぁ」


 砂糖を手渡すとボウルの中に加え、更に混ぜる。卵と牛乳、砂糖を混ぜ合わせた液の中を今度は平たいバットの中に移し替え、パンをしみ込ませていく。

 硬く気泡も大きいため、しみ込むのも早い。エレノアはすぐに裏返す。

 貴族令嬢であるエレノアの手際の良さに、ついつい見入ってしまっていた年長のメイドはハッとする。

 目の前の彼女は本来、厨房に立つべき人ではないのだ。


「あのお嬢さま、わたくしどもに出来ることは何か……」

「そうね、お皿とフォークを人数分、用意して貰えるかしら。あとは紅茶ね。それと使った食器を片付けて貰ってもいいかしら」

「は、はい! ただいま! マーサはお皿とスプーンを、エヴェリンは紅茶をお願い。私は食器を洗うから」


 その一声で他の二人もバタバタと動き出す。

 どうやら薄茶の髪にでほんわかした雰囲気の若い子がマーサ、活発そうな焦げ茶の髪の子がエヴェリンというらしい。今、食器を片付けてくれている女性がこの三人の中では上の立場になるようだ。

 

「私はエレノアよ。あなたの名前は?」

「え、わ、私はペトゥラと申します」

 

 突然名を尋ねられ、戸惑いつつも答えるペトゥラにエレノアは


「そう、じゃあペトゥラ。私に魔法コンロの使い方を教えてくれないかしら」

「え、わかりました!」


 手際良く調理を始めた令嬢は、なんと魔法コンロの使い方を知らないと言う。

 そのアンバランスさに驚きつつも、貴族令嬢でありながら居丈高に振舞わないエレノアという令嬢に好感を抱くペトゥラであった。



*****


 

 熱したフライパンに油を馴染ませ、卵と牛乳で作った液をしみ込ませたパンを乗せる。貯蔵庫にあったバターをフライパンに加えるとじゅわっという音と共に香りが広がった。

 マーサとエヴェリンから歓声が上がり、軽くペトゥラが視線で注意する。軽く肩を竦めた二人だが、視線はフライパンへと注がれている。

 じゅわじゅわと溶けるバターと甘い香り、こんがりと表面は焼けているがパン自体はふっくらとしている。

 先程まで硬いパンであったものが、今は美味しそうな料理になったのだ。


「ペトゥラ、お皿をお願い」

「はい! エレノアさま」


 ペトゥラが手渡す皿にエレノアは料理を移し、それを再び受け取ったペトゥラからマーサへと手渡される。

 

「美味しそうですね!」

「マーサ、テーブルへと置いてちょうだい」

「あ、そうでした!」


 エレノアはくすくす笑いながら、皿に次々と調理したパンを移していく。

 全ての皿にその料理を乗せ、最後の皿はエレノアがテーブルへと運んだ。その様子に慌てるペトゥラたちを宥めて、彼女たちを強引に座らせる。

 戸惑う三人の前には自分たちで用意した安い紅茶とジャム、そして香り立つふっくらとしたパンがある。


「美味しそうでしょ? フレンチトーストっていうのよ」

「フレンチトースト、ですか……」


 先程まで硬いパンを三人で分けてジャムと安い紅茶で食べようと思っていたのだ。

だが今は温かなパンが皿に乗り、湯気を立てている。

 そしてそれを作ったのは目の前にいる華やかな令嬢だというのだ。

 三人はあっけに取られ、上品に微笑むエレノアを見つめるのだった。

 

 

 




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