第9話 真夜中のフレンチトースト 2


「フレンチトーストは固くなったパンを美味しく食べるために考えられた調理法よ。そこにあるジャムやハチミツを使うとさらに美味しいわ」

「よ、よろしいのでしょうか?」


 お互いに目を合わせ、自分の意図を確かめるような三人の様子に、エレノアはたと気付く。

 働く女性たちの真夜中の息抜き、おそらくは愚痴や恋愛の話に花を咲かせたいはずだ。この中では上の立場であるエレノアがいては食べにくいであろう。


「わかったわ、私がいては食べにくいわよね。これで失礼するわ」

「え、あの、そのようなことは……」

「いいのよ、あなたたちでゆっくり楽しんで。あぁ、忘れないで。温かいうちにジャムやハチミツをかけるのよ」

 

 自分の皿とフォークを持ったまま、部屋を出て行こうとする令嬢に慌てて三人は立ち上がる。


「あ、あの、ありがとうございます……!」


 そんな三人の声に振り向いたエレノアはにっこりと笑う。

 出来ないと思っていた料理、それを食べてくれる人々、意外にも揃っている調味料、偶然目が覚めたことで予想外の出会いがあったのだ。


「また来てもいいかしら?」

「も、もちろんです!」


 貴族令嬢であること、またその令嬢に調理をさせたこともあり、エレノアの頼みを断ることは出来ない。

 そんな彼女たちの考えを知らないエレノアは嬉しそうに笑うと手を振って、使用人用のキッチンを後にするのだった。



 エレノアのいなくなった厨房でペトゥラが大きなため息を吐く。マーサもエヴェリンも椅子に座ってぐったりとした様子だ。

 貴族令嬢の突然の登場、あまりに予想外のことに三人とも疲れが出たのだ。

 そんな中、マーサがぽつりと呟く。


「でも、これ美味しそうですね」

「手際も凄く良かったよね。貴族のご令嬢なのに」


 マーサとエヴェリンの会話にペトゥラはテーブルの上の料理を見る。フレンチトーストは温かな湯気を立てて、バターと甘い香りが部屋には満ちている。

 先程まで、そこにいてにこやかに笑っていた貴族令嬢の存在は確かなものだと、フレンチトーストという初めて見た料理が証明している。


「……温かいうちに食べた方がいいとおっしゃっていましたね!」


 ペトゥラの言葉にマーサが嬉しそうに笑う。目の前で良い香りを立てるフレンチトーストを食べてみたかったのだ。エヴェリンも同じようでさっそくそのままナイフとフォークを入れる。

 サクッと焼かれた表面だが、中はふっくらとしているのが切るとわかる。

 そっと口に近付けると豊かなバターの香りがして、エヴェリンはぱくりと口に運ぶ。


「美味しい! 全然固くない! それどころか柔らかくってふっくらしてる!」

「本当? わ、私も食べてみる」


 マーサも同じようにフレンチトーストを口に運ぶと何度も頷く。

 

「ほんとだ! あ、温かいうちにジャムかハチミツかけた方がいいって言ってらしたよね!」

「うんうん、試してみよう!」

「あなたたち、静かになさい!」


 盛り上がる二人にペトゥラが低い声で注意する。

 今は真夜中なのだ。他の者、令嬢に見つかれば、不要に叱責されるかもしれない。

 ペトゥラもまたフレンチトーストにジャムとハチミツを落とす。実は彼女は大の甘党なのだ。

 硬かったパンはふっくらとしてじんわりとしみたバターの風味、こんがり焼け、カリッとした表面にしみるハチミツ、果実のジャムの酸味が加わる。


「本当に美味しいわね……」

「ですよね! 限られた材料でこんなに美味しく出来るなんて……」

「でも、貴族のご令嬢でしたよね」


 三人の視線は自然とエレノアが出て行った扉の方に向けられる。

 艶やかな銀の髪に長い睫毛に縁どられた神秘的な紫の瞳は、真夜中という事もあり、何かの精霊だと言われれば信じてしまいそうである。

 

「疲れた私たちが見た幻……じゃないですよね?」

「じゃあ、このフレンチトーストっていうのは何なのよ」

「……まぁ、食べましょうか」 


 再び口に運ぶとハチミツとバターの風味が口いっぱいに広がっていく。

 三人は真夜中に甘味を味わう幸福感に満たされながら、フレンチトーストを口に運ぶのだった。

 

*****


 誰にも見つからないようにとそっと自室に戻ったエレノアを白い狐はベットの上で待ち構えていた。もふもふのしっぽがゆらゆらと揺れ、青い瞳がエレノアを見つめる。

 

「起きていたの? あぁ、もしかして起こしちゃった?」

《うむ、良い香りがするのでな》

「……食べてみる? まだ、少し熱いから気を付けてね」


 はふはふと白い狐シルバーはフレンチトーストを食べ、しっぽを嬉しそうにぱたぱたと振る。どうやら彼の口にも合ったようだ。

 自分が作った菓子を誰かが美味しそうに食べる姿は良いものだとエレノアとなったハルは思う。出来れば、先程の三人にも感想を聞ければよかったのだが、貴族というのは何かと不自由である。

 シルバーが綺麗に平らげた皿をベット横のサイドチェアに置く。

 振り向くとなぜかまだシルバーはじっとエレノアを見つめている。

 まだ足りなかったのかと思うエレノアにむっとしたようにシルバーは訂正する。


《別に我はこの香りで起きたわけではないぞ。汝に話したいことがあったのだ》

「私に話したいこと?」


 窓の外の灯りがベットの上のシルバーを照らす。表情こそわからないが、その眼差しと声色からは真摯さが感じられ、何か重要なことなのだろう。

 そう思ったエレノアは椅子に手を伸ばすとシルバーに向き合って座り、彼の言葉に耳を傾けた。


《――エレノア・コールマンのことを知りたくはないか?》

「……どういうこと?」

《汝はその最期の強き願いに引かれ、この肉体に宿ったのだ》

「エレノアさんの願い……?」

 

 シルバーの青く輝く瞳はじっとエレノアを見つめ、その意志を問うているかのようだ。エレノアもまた、シルバーを見つめ返す。紫の美しい瞳には揺らがない強い意志が宿る。

 シルバーは軽く息を吐くとエレノア・コールマン公爵令嬢の最期の願いをゆっくりと話し出すのだった。



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