第7話 エレノア(仮)の願い
清潔で広い自室に戻り、エレノアはふかふかのソファーに腰掛けた。
その膝にはふわふわもふもふの真っ白な狐を乗せている。
結局、手は後ほどまた洗おうと思ったエレノアに白い狐がきゅうきゅうと抗議の声を上げる。
《娘! 清らかな魂を持つ子、なにゆえ我の言葉を聞き入れない!》
「やはり、お嬢さまは聖女では? いえ、このカミラ、出会ったときよりお嬢さまは女神の化身だと信じてまいりました。ですが先程も申した通り、公になってしまうのは問題です」
カミラの言葉にエレノアは形の良い眉を顰める。
この国アスティルスで聖女は強くその復活を望まれる存在だ。
かつて存在したという救世の聖女、様々な伝承が彼女の功績、寛大な御心を称えている。豊富な魔力を国を守るために行使したと言われているのだ。
一方で、エレノアの記憶は別の可能性も示唆する。
聖女が信仰会の正道院から誕生したことや国を守るために力を行使したという印象を、信仰や国への忠誠心を高めるために利用しているのではないかという考えだ。
(エレノアさんはしっかりしてるなー……私はそんな難しいことはわかんないや。聖女とかめんどくさそうだし、そんなことよりお菓子が作りたいだけなんだけどな)
なぜか優秀なエレノアに転生してしまったハルではあるが、存外違和感なく過ごしている。今後ハルはエレノア・コールマン公爵令嬢として生きていくことになるのだが、やりたいことなどお菓子作りしかない。
そんな自分がこの有望な少女の中身でいいのかと考えてしまう。
だが、そんなハルの考えに強い賛同を示したのは膝の上の白い狐だ。
《それだ! その願いのなんと欲がなく純粋なことか! 清らかな魂よ、我はそなたの力になろう!》
「お菓子作りが清らかな願い……?」
「お嬢さま?」
先程、祈りを捧げるときについハルは神社に行った感覚でつい願ってしまった。
「どうかこの世界でもお菓子作りを楽しめますように」と。
それはハルの縋るような思いから出た純粋で強い願いだった。
姿かたちも名も立場も変わって、見知らぬ世界にと転生したハルだが心までは変わらない。貴族研修士ヴェイリスは菓子作りなどにかかわらないと聞いて、つい神に菓子作りが出来るように願ったのだ。
《聖女になりたい、美しくなりたい、宝飾品が欲しいだの、世界平和だの身の丈に合わぬ大きなことを願う。菓子を作って暮らしたいという願いのなんと無欲なことだろう》
「世界平和もダメなの?」
《自らはこの場で何もせず、口先だけで世界の安寧を願うのは欲が深いであろうに》
エレノアがもふもふっとした白い狐を撫でるとふんわりとしたしっぽがゆらゆらと揺れる。もう一度撫でるとまたゆらゆら、耳もぱたぱたと動く。
ゆらゆら、ぱたぱたと動くその姿を眺めてエレノアはハッと気付く。
「え、私、お菓子作りが出来るし、もふもふと一緒に暮らせるの?」
「お嬢さま……?」
その言葉にカミラは胸が締め付けられるような思いがした。
常にその立場にふさわしい行動を取り、凛とした姿と振る舞いのエレノアが、幼い頃に生き物をねだったことがあった。
だが、父であるダレンが認めなかったのだ。
生き物の命は短い。母であるレイラが亡くなっていたこともあり、愛する者を失う悲しみを幼いエレノアに味わってほしくなかったのだ。
納得したエレノアだが、不満も言わず静かに落ち込んでいた小さな後姿をカミラは忘れてはいない。
今、口から出た言葉はエレノアの願いなのだとカミラは思った。
お嬢さまは長い間、菓子作りと生き物を共に暮らすことを望んでいたのだと。
そのささやかな願いを叶えるため尽力するのは自身の仕事だと、カミラは決意した。
「……わかりました。お嬢さまが菓子作りとその狐さまと健やかにお過ごし出来るよう、このカミラ努力して参ります!」
「ありがとう、カミラ!」
すっくと立ちあがったカミラは礼をして、にこやかに微笑む。エレノアの喜びはカミラの喜びなのだ。
黒い瞳を白い狐に注いだカミラはじっと見て考えたようだが、再びにこりと笑う。
「まずはペットを飼う許可を申請して参ります」
「でも、大丈夫かしら。白い狐となれば騒ぎに……」
「いえ、お嬢さま。そちらの白いもふもふとした生き物は狐などではありません」
「え?」
《おぉ、我の真の姿がわかるのか! なかなかに優秀な者を側に置いているな、清らかな魂を持つ者は》
先程まで、白い狐だと言っていたカミラだがその表情はきりりと引き締まり、エレノアを見つめている。白い狐は誇らしげに胸を逸らし、しっぽをパタパタと揺らす。
「犬です! それは犬に違いありません!」
ぴしりと白いもふもふを指差し、カミラは断言する。
カミラの言葉に目を見開いて白い狐はきゅうきゅうと抗議するが、エレノアはその意図を察する。
「そうね……あちらも狐かどうかなんて確かめようがないもの。白い犬で押し切りましょう。その方があちらにとっても都合がいいはずよ。それに許可を取ったらこっちのものよね!」
「私、行って参ります!」
先手必勝と行動へ移す二人に白い狐がきゅうきゅうと鳴いて抗議をする。
何度も言っているが彼は犬ではないし、厳密にいうと白い狐でもない。神の遣いであり、この姿も仮のものだ。
《我は神の遣いだと先程から――》
膝の上できゅうきゅうと鳴く白い狐の声にエレノアはハッとする。
ペットとして飼うのならば名前が必要だ。
「フラッフィーはどう?」
《なんだそれは?》
「あなたの名前! ふわふわしてるって言う意味よ」
《却下だな》
「えっと、じゃあモフオ、モフ蔵、モフ太郎……」
ネーミングセンスのなさにげんなりする白い狐を見ていたエレノアはその毛並みを見ていて気付く。白い毛に見えてはいたが、自分と同じ銀の毛だったのだ。
「あなた、銀色なのね。私と一緒だわ。じゃあ、シルバー! 銀色って言う意味よ」
《……よかろう》
もふもふとしたしっぽがゆらゆらと揺れていることからも白い狐、改めシルバーはその名を気に入ったらしい。
青い瞳は優しくエレノアを見つめ、きゅうきゅうと労わるように鳴く。
《清らかな魂の子よ、しばし眠れ。汝の心はこの大きな変化で疲労している。休息を取ることで徐々に汝の魂とエレノアの身体と記憶は同調し、一つとなっていくはずだ》
その言葉にハルは躊躇する。
それでは突然の死を迎えたエレノアはどうなってしまうのだろう。彼女には彼女の願いや望む在り方があったのではないだろうかとハルには思えるのだ。
エレノアの身体や人生を勝手に自分が使うべきではない。
そんなハルの思いにシルバーは頷く。
《だが、これはエレノアの願い。彼女の願いと汝の清らかな魂が惹き合った結果だ》
その優しい声に誘われるように、ハルは深い眠りに落ちていくのだった。
*****
目が覚めるとエレノアはベットの上にいた。
枕元には当たり前のようにもふもふのシルバーがいて、すうすうと小さな寝息を立てている。
やはり犬か狐ではないかと思うエレノアは辺りを見回す。
時間はわからないが深夜であろう。静まり返った部屋には水差しが置かれている。これもベットにエレノアを運んでくれたのもカミラであろう。
少し空腹を覚えたエレノアはガウンを羽織り、部屋をそっと出る。
グレースが使用人用のキッチンがあると言っていたのを思い出したのだ。
「使用人用とはいえ、使っていけないわけではないだろうし……カミラも疲れてるから起こしちゃ悪いわよね」
エレノアの記憶を持ちつつも、感性が庶民のハルはカミラを起こすよりも自身が勝手に動いた方が気が楽なのだ。
そっと自室を出るとエレノアは夜の正道院散策へと歩き出したのだった。
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