第6話 祈祷、そしてもふもふ降臨!


 その場所は清らかだとエレノアは思った。

 ハルは先祖代々の仏教徒であるし、エレノアも孤児院や治療院を経営する信仰会への寄付は行っていたが強い信仰とは言えなかった。

 この国アスティルスに宗教は一つではないため、コールマン公爵家は特定の宗教と強い繋がりを持たないようにしていたのだ。

 だが、そんな二つの記憶を持つ今のエレノアにもわかる。

 それは知識ではなく感性に訴える静謐さであった。


(信仰のあるなしにかかわらず、大事にされている場所には神秘的な雰囲気や趣きがあるもんなんだなぁ……)


 少し離れた場所でエレノアをカミラが見守っている。

 信仰を持たないカミラだが、静謐な美しさを持つ祈祷舎に一人立つエレノアの姿に静かに見入る。

 窓から差し込む光がエレノアを照らす。

 銀の髪は光を受けて輝きを増し、その美しい横顔に陰影を作り出した。エレノアの紫の瞳がそっと閉じられ、右手が胸元に添えられる。これが信仰会の祈りの形である。

 祈祷舎に立つエレノアの美しさにカミラも一瞬目を閉じ、その美に感じ入った。


 それはわずか数秒のことだった。

 エレノアの右手には何かふわふわした感触がある。

 目を開けると、腕の中には真っ白な生き物が青いつぶらな瞳でこちらを見つめていた。


「ふわふわで可愛いわね」


 エレノアの口から出たのは率直な感想だ。

 なぜ自分の腕の中にいるのかはわからないが、純粋にこの生き物は可愛い。

 もふもふとした肌触りの毛に包まれた、ぴょこんと飛び出す三角の耳、青の瞳はキラキラと輝く。

 気付くとエレノアはその生き物を優しく撫でていた。

 ふと、ハルの記憶から重要なことに気付き、後ろに控えているカミラへと振り向く。


 「ねぇ、カミラ? この子、犬かしら? それとも狐かしら?」

 

 だが、カミラの返答を待つエレノアの耳に飛び込んできたのは彼女ではない低い柔らかな男性の声だ。


《我は、神の遣い。そのような生き物とは一線を画す存在である》


 「狐! 狐です! 真っ白な狐は神の遣いだと聞いております! …………こ、これはエレノアさまが聖女である証。この場所に来たのもおそらくは神のお導きです!」


 なぜか感動した様子で興奮するカミラだが、その答えにエレノアの形の良い眉がしかめられる。

 狐であれば野生動物である。ハルの知識では決して触るべきではない。

 だが、そんな考えはこの国アスティルスにはないのか、カミラは狐を抱くエレノアを今まで以上に熱い視線を注ぐ。


「あなた、ずっと神様は信じないって言ってたのに」

「エレノアさまの優秀さを認めるのであれば、私も神の存在を認めてやっても構いません!」


 信仰を持たないカミラが信じるのはエレノアの存在そのものだ。

 教養と品位を持ち、優美でありながらも柔軟な発想と寛容さを持つエレノアの存在と彼女の喜びこそがカミラの生きる糧なのだ。


「他の人がいるところでそんなことを言わないのよ」


 カミラの考えは知ってはいたが、この正道院に世話になりながらその考えを言動に出してしまわないようにエレノアは注意をする。

 非常に優秀なカミラだが、エレノア至上主義がメイドとしての彼女の長所であり難点だ。


「狐だと問題だわ。どうしましょう……」

「そうですね。エレノアさまが聖女となれば、王族や高位貴族との婚姻が進められる可能性があります。ここはひとまず、旦那さまと兄であるカイルさまにご相談を致しましょう!」 

 

 先程からカミラが言っているのは聖女の伝承の一つだ。

 聖女の伝承は幾つかあり、宗派や地域によっても異なる。

 だが、神の遣いである白い狐の降臨と正道院に仕える者から誕生すること、この二つはこの国アスティルスで聖女として有力視されるのだ。

 そのどちらもを今、エレノアは満たしている。

 エレノア第一主義のカミラが焦るのも無理はないのだ。


(エキノコックスはキタキツネだけど……でも野生動物を気軽に触るのは病原菌の問題があるよね。魔法、生活魔法なら使えるみたいだけど《除菌!》みたいなのはないのかなー、いや、殺菌? どれがいいんだろ)


 一方、エレノアが気にしているのは感染症だ。

 この状況でエレノアが感染すれば、集団生活を行う皆にも確実に映ってしまうだろう。念のために手は入念に洗うつもりだが、魔法で解決出来ればそれに越したことはない。


《……洗う必要はない。そういったものは持っておらぬ》


「あぁ、ワクチンを受けているのね。ペットだったのかしら」


 狐を見ながら話すエレノアにカミラが不思議そうに尋ねる。


「エレノアさま、どなたとお話をなさっているのですか?」


 その言葉でエレノアはハッとする。

 先程から聞こえているこの声はエレノアの頭の中に響いているもので、カミラには聞こえていないのだ。

 確かに周囲に男性の姿はない。

 正道院に入れる男性は国か信仰会側からの許可がいる。そのうえで、足を踏み入れられる場所も限られ、正道院管理者の立ち合いが必要なのだ。


 腕の中の狐がきゅうきゅうと鳴く。


《我だ! 神の遣いである我の声である!》


 エレノアは形の良い眉を顰める。

 現状を把握し整理するために祈祷舎へと訪れたのだが、白い狐が現れ、そのうえなぜか頭の中には声が聞こえる。

 

(これは……事態はさらにややこしくなっているのでは? この狐って、どこから来たんだろう……結局、手は洗った方が良さそうだよね)


 白い狐は愛らしい瞳でエレノアを見つめて、きゅうきゅうと鳴く。

 もふもふとした白い毛並みは光を受けてさらにふんわりとして見える。

 間違いなく可愛らしいのだが、エレノアの頭の中では先程から成人男性の声が抗議をしている。


《そういったものは持っておらぬ! 我は神の遣いと言ったであろう! 清き魂の子、きちんと話を聞け!》


 突然の異世界転生に喋る狐にとエレノアの現状は混沌としている。

 おまけに聖女だのなんだのと情報は整理どころか、どんどん増えていき、頼りになりそうな優秀なメイドのカミラは恍惚の表情でこちらを見るばかりだ。

 こういったときは手っ取り早く出来ることに取り組むのが良い。仕事を一つ一つ片付けることが、結局は最短で解決できるのだ。


「よし、自室に戻って手を洗いましょう」


《もういい。好きにするがいい清き魂の子よ》


 こうして、もふもふとした白い狐を抱きかかえたエレノアは、黒い瞳にエレノアへの強い尊敬と好意を滲ませたカミラと共に自室へと戻っていくのだった。

 

 

 

 

 

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