第3話 聖リディール正道院


 ガタガタと揺れる馬車を降りて、エレノアが見上げたのは堅実な佇まいの建築物だ。重厚感のある建物はツタに覆われ、正道院の長い歴史を感じさせた。

 魔道具の通信ベルを探すカミラだが、馬車の音で気付いたのだろう。奥から一人の長身の女性研修士が現れる。

 

「す、すみません。お出迎えが遅れました!」

「いえ、出迎えてくださったこと感謝いたします」

「え、いえ……!」


 息を切らしながら話す研修士にエレノア、いやエレノアの記憶を持つハルが挨拶をする。

 研修士は大まかに二つに分けられる。

 貴族であり、事情があって研修士となるヴェイリス。そして、魔力を持つ平民や孤児院出身の者が研修士となるラディリスだ。

 その違いは一目でわかる。服の頭巾の色が貴族であるヴェイリス、平民であるラディリスでは異なるのだ。

 正道士の裾にレースをあしらった長い頭巾はトゥラスと呼ばれる。

 この色が貴族であるヴェイリスは薄紫色、ラディリスは薄青色、出迎えてくれた研修士は薄青色のもので髪を覆っていることから平民出身なことがわかる。


「…………」

「…………」

「……エレノアさま、ご挨拶を」

 

 カミラの言葉に、研修士は安堵の表情を浮かべる。

 こういった場合、高位の者から名乗るべきなのはエレノアとしての知識でハルにもわかる。しかし、罪を犯した謹慎として正道院に入る立場でありながら、先に挨拶をするのは躊躇われたのだ。

 だがカミラや出迎えてくれた研修士の反応から、どうやらエレノア側から挨拶をする方が良さそうだとハルは気付く。


「エレノア・コールマンと申します。本日よりこの歴史ある聖リディール正道院でお世話になります。恥ずかしながら不慣れなことも多く、ご迷惑をおかけするかと思いますが、日々学んでいく所存です。どうぞよろしくお願いいたしますね」

「…………」


 ふんわりと微笑みを称えながらこちらに挨拶をしたエレノアの姿は今までの貴族令嬢とは異なる。そもそも、他の貴族令嬢であれば出迎えたのが研修士一人であることに憤慨したことであろう。

 銀糸のような髪は光を受けて輝き、紫色の瞳は優しくこちらを見つめる。きゅっと上がった口角は優しく弧を描いていて、ついつい見とれてしまう。

 

「こほん」

「っ! 失礼しました。わたくしはグレースと申します。本日、エレノアさまをご案内する役目を仰せ司っております。平民ゆえ行き届かないこともございますが、どうぞご容赦ください!」


 カミラの軽い咳払いでハッとしたように長身の研修士、グレースは慌てて挨拶をする。


「いえ、私はこちらにお世話になる立場です。グレースさまは先にいらして、学んでいる御方ですので、そのようにお気を使わないでください」

「…………さ、さようですか」


 天海ハルとしての記憶とエレノアとしての記憶、どちらもあるのだが幸い性格的にエレノアは高貴な立場にあればこそ、公正で自らを律する性分だったらしい。

 カミラもエレノアの態度に特に驚いた様子はない。

 だが、グレースは違う。

 今までの貴族令嬢たちは現在進行形で扱いにくいのだ。

 貴族である研修士ヴェイリスを丁重に扱い、敬意を払い、礼節を守るのは当然であり、その上でさらに特別扱いを望む。

 そんな貴族出身のヴェイリスと平民出身のラディリスには大きな隔たりがある。

 数日前に、公爵令嬢であるエレノアを出迎えるように言われたグレースは心底泣きたかったが、今は別の意味で泣きたい。

 貴族令嬢の中にも本当に品格あり、麗しいご令嬢がいるのだと彼女は初めて実感したのだ。

 


*****


 

 重厚な建物の中は外よりもひんやりとしている。

 廊下を歩くエレノアとメイドのカミラは思った以上に広い正道院の中をグレースの案内で歩く。

 エレノアの記憶の中には正道院の内部に関するものはない。

 正道院は祈りの場として開かれてはいるが、その内部には許可なく入ることが出来ないためだ。

 

「礼拝堂は二か所ありましてヴェイリスの御方とラディリスの者、それぞれが使うようになっています。それから住居もそうですね。ヴェイリスであるエレノアさまは別棟となっております」

「まぁ、そうですのね」


 先程からすれ違う研修士は平民であるラディリスの者たちばかりだ。

 グレースと歩くエレノアの姿に驚き、その後、後ろに控えるカミラにさらに驚きの眼差しを向け、慌てて壁に寄って顔を伏せ、エレノアたちが過ぎていくのを待つ。

 会うもの会う者が皆このような対応をすることから、ヴェイリスとラディリスの身分の差がはっきりとわかる。

 

「エレノアさまはお荷物が少ないようですが、後からお連れの方々が運んでいらっしゃるんでしょうか」

「いえ、カミラが持つものだけですわ」

「は? え、あの、そのバッグ二つ分ですか?」


 カミラはエレノアの荷物とカミラ自身の荷物を運んでいる。

 それ以外に荷物を持ち込む予定はエレノアの記憶にはない。

 

「必要なものはこちらでご用意頂けるでしょうし、正道院に入るということは限られた物の中で暮らしていくことだと思っておりますので」

「そ、そうなのです! 正道院の生活は自給自足を基本にしており、祈りを捧げ、神より頂いた自然と共に暮らす日々です。華美なものや豪奢なもので身を飾るなど…………す、すみません」

「いえ、どうかなさいましたか?」

 

 エレノアの慎ましやかな荷物と正道院の生活を的確に捉えた話に、つい興奮してしまったグレースは冷静になる。

 彼女は貴族であり、ヴェイリスとなる身だ。

 どんなに言葉や態度が今までの貴族令嬢と異なっていても、貴族の在り方を否定するようなことは伝えるべきではないのだ。


「い、いえ。なんでもございません。次は外をご案内いたしますね」

 

 表情を硬くしたグレースは再び正道院の紹介へと戻る。

 そんなグレースの思いとは裏腹にエレノアは違うことに意識が向かう。

 グレースの発した言葉の中に会った「正道院の生活は自給自足」その言葉に強く惹き付けられたのだ。

 自給自足ということは様々なものをこの正道院内で作っているということ、それは天海ハルであったときに好きだったお菓子作りも出来るかもしれないのだ。


(どうしてこうなったかはよくわからないけど、今の私はここの生活に馴染まなきゃダメだよね。幸い二つの記憶があるし、ふさわしい振る舞いも出来るはず……何より自給自足生活で、お菓子作りが出来るかもしれない!)


 一方のグレースは噂がどれほど真実を含んでいるのかは、実際に目にせねばわからぬものだと思いつつ、自給自足の場へとエレノアたちを案内するのだった。

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