第4話 スローライフへの淡い期待


 グレースの後に続き、歩いていく先からは光が刺す。

 開けた場所に出ると風が吹き、エレノアの銀の髪を揺らし、彼女は紫の瞳を輝かせる。

 目の前に広がるのは青い空と果実をつけた樹木、畑には青々とした葉が風に揺れている。傍らにある鉢に植えられているのはハーブと花々で楚々とした美しさがある。作業をする者たちの薄青色の頭巾トゥラスもふんわりと風になびく。

 自然と調和し、清らかで実直な美がそこにはあった。


「こちらは第一庭園、野菜やハーブ、花を育てているんです。ここで育てたものは正道院の食事として、それ以外にも正道院の存続維持のために使われています」

「果実も野菜も瑞々しく実っていますね。ローズマリーにカモミール、ラベンダーにあちらはベリーかしら。これからの時期が楽しみですね」


 エレノアの言葉にグレースの表情がパッと明るくなり、グレーの瞳が輝く。

 ハーブや花々の名を正確に当て、その収穫にも興味を示してくれた貴族令嬢は今までいなかったのだ。


「ご存じなのですね!」

「えぇ、私も植物は好きで育てておりました。新鮮な果実やハーブ、野菜を使って調理ができるなんて素晴らしい事ですわね」


エレノアは花々を、ハルはベランダでハーブや野菜を育てていたので嘘ではない。

ベランダとは格段に違う広大で自然豊かな場所で、野菜や果実、ハーブを育てられることにエレノアは目を輝かせる。


「えぇ、そうなのです……ご理解を示していただき感謝いたします! 野菜やハーブ以外に養鶏も行っていますし、別の施設では養蜂を行い、乳牛や馬も飼っているんですよ。乳牛や馬、養蜂には地元民を雇用し、地域の経済や文化も……あ、喋り過ぎですね」

「いえ、楽しく聞いておりますわ」


 グレースは感謝の言葉とともに浮足立ってしまう自分の気を引き締める。

 だが、グレースが舞い上がるのも無理はないのだ。

 今までエレノアと同じように第一庭園を案内したとき、貴族令嬢は皆、不快さを隠そうとはしなかった。果実や花があれば、もちろん虫も飛ぶ。

 そのような場に案内されたことに憤慨する者も多くいた。

 第一庭園と呼ばれてはいるが、そこで育てられているのは野菜や果実。第一菜園と呼んでもよいと言われるほどであった。

 しかし、エレノアは興味深そうに菜園で育つ樹々や果実を見つめ、離れた場所で作業するラディリスたちと目が合うと微笑みを返している。


「そこで得たバターや生乳、ハチミツを使ってお菓子作りも行っていたんです。そういったものを貴族の方に献上したり……かつてはしていたんですけれどね」

 エレノアの瞳がその言葉でさらに輝きを増す。

 それこそが彼女が求めていた生活なのだ。


「お菓子作りを行っているんですか?」

「えぇ、『聖なる甘味』などと昔から呼ばれ、好評なんです。貴族の方からはご寄付以外にも砂糖や小麦粉などを頂いております」

「素晴らしいわ。それは本当に素晴らしい試みですね」


 エレノアの頬はバラ色に染まり、銀の髪が風になびく。

 紫の瞳は相変わらず輝き、グレースとの会話にも好意的な姿勢を崩さない。

 高位貴族でありながら、この青空と緑に調和するエレノアの自然体な姿にグレースはつい期待してしまう自身の心を諫めるのだった。



*****

 


「こちらがエレノアさまのお部屋となります。いかがでしょうか」 


 グレースに案内されたヴェイリス専用の別棟の最上階にエレノアの部屋はあった。先程の質実剛健な重厚な正道院とは異なり、華やかで明るい室内には装飾も施されている。

 

「とても広いのですね。天井も高く、開放感がありますね」

「そうですか? あの、ご不満や問題などはございませんでしょうか?」


 おずおずと尋ねるグレースにエレノアは小首を傾げる。

 その様子に慌てて、グレースは言葉を続ける。


「いえ! エレノアさまがお住まいだった場所に比べれば、狭いですし不備もございますし、当然ご不満はあるかと思うのですが!」

「ございません」

「そうですよね、申し訳ございません! …………え? ない?」


 エレノアは微笑みながらグレースに頷く。

 伸びた背、凛としたその姿は淑女そのものだ。

 

「えぇ、安全で清潔で就寝する場所もある。これで何の不満があると言うのでしょう。私がここに参った理由、それは私の犯した罪ゆえのものです。お世話になる立場で私が不満を申すなど傲慢でしかありませんわ」

 

 グレースは再び泣きそうになる。

 この場に来るには皆それなりの理由がある。

 だが、多くの貴族令嬢はそれを弁えず、正道院に置いても己の権力を振るおうとするのだ。それでどれだけの平民研修士ラディリスが苦労を味わったか。

 一方、エレノアは公爵令嬢にもかかわらず、自らの立場を知り、己を律することが出来るのだ。


「お付きの方の部屋も隣にございます。また、ヴェイリスのお付きの方々が利用できるキッチンもございますので、ご自由にお使いください」


 グレースがカミラを見ると黙って頷く。

 異国の民が使用人であることはないわけではないが、身の回りを任せるメイドとはめずらしい。きちんとカミラの能力や人柄を見ているのだろう。

 それもまたエレノアの好感度が上がっていく。

 グレースは軽く微笑みを称え、エレノアに尋ねる。

 真面目で勤勉だが、社交性に乏しい彼女の精一杯の歓迎の証だ。


「何かご質問はありますか? 不安になったことですとか」

「……先程、厨房があると伺いました。それに研修士の方々が農作物の手入れをなさっていました。その、私もああいったことを出来るのでしょうか?」


 グレースが今までの貴族と接していなければ、エレノアの発言に違和感を抱いただろう。彼女は「しなれけばならないのか?」ではなく「出来るのか?」そう尋ねているのだ。

 だが、今までのエレノアの様子に安心していたグレースはにこやかにエレノアの問いに答える。


「いえ、あれは我々ラディリスの職務です。ヴェイリスであるエレノアさまはなさらなくってよろしいんですよ」

「…………」

「あの、エレノアさま?」


 一瞬、言葉を失っていたエレノアだが再びたおやかな微笑みを浮かべ、グレースは安堵する。

 それ以外に不安や問題があれば、なんでも相談してほしいと伝えたグレースはその場を後にする。


 (溢れる自然、自給自足のスローライフ、快適そうな生活なのに私はそれに携われないなんて……貴族、なんて不自由な立場なんだろう)


 上品で可憐な微笑みを浮かべたまま、エレノアでありハルである人物はスローライフへの淡い期待が打ち砕かれ、悲しみの涙を心で流すのだった。

 



 

 

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